シグナル・レッド03 |
何も言わない。今までと同じ。 でも何が同じなのかはもうわからない。 ますます激しくなる戦闘の合い間を縫うように、ちょくちょく壬生は如月の元を訪れる。全部が全部そう、だったわけではない。何もしないでぼんやりと茶などすすっているときもあったし、闘い方について白熱した議論を繰り広げるときもあった。 一度流されてしまえばどうということはないのかもしれないと如月は思い始めていた。 別に恋だの愛だの関係ない、だからそれだけ遠慮のない関係は案外楽で気持いい。甘えて甘やかして二人で悪巧みでもするみたいに顔見合わせてひっそり笑って。 適度に毒舌な彼は、慣れてしまえば話相手としても非常に良かった。黙っていてもそれが全く苦にならない。気遣いも無用だった。 隠すことに神経を使うのが唯一以前とは違うところで、よく店に来る面子のうち、こういうことに目敏い村雨と龍麻にだけ気をつければよい。 慣れはしないが、慣れてしまうものだ。 いつまでたっても慣れはしないが、慣れないこと自体にも慣れてしまうものだ。 御門たちから宿星について聞かされた翌日、少し疲れが残る身体で学校に辿りついた如月は、自分の席に着くやいなや名前を呼ばれ振り返った。 「如月君最近明るくなったわね。相変わらずの重役出勤だけど」 橘だ。何やら微笑を浮かべて近づいてくる。 「……どうしたんだい藪から棒に」 「あら、冷たいのね。まあそれはそれとして、卒業式のことなんだけど」 卒業式と聞いて如月は片眉を上げた。 「気が早いな」 橘はそれを軽くいなして笑った。 「こういうことは気が早いくらいがちょうどいいのよ。式が終わったら打ち上げ参加するかしないかアンケート取ってるの」 「式の後?」 「そう。もう皆進路決まってるでしょう、その頃」 「……ああ」 「じゃあ詳しくはこの紙読んで、終業式までに、私のところに持ってきてね」 「ああ分かったよ。大変だなこんな時期に」 本心から労うと、彼女は肩をすくめて笑った。 「もう慣れっこよ。如月君は今度のクリスマスパーティは来ないのよね」 「ああ。」 残念だけど仕方ないわ、と言って橘はまたせかせかと如月の席から離れて行って別の男子に話しかけている。彼女は実際こういうことに関しては驚くほど手際がいい。 如月が彼女と共に委員をつとめた文化祭の企画が、終わってみれば大成功といっていいくらいの出来で、それからこのクラスはいきなり団結してしまった。進学校として受験のプレッシャーも日々のしかかってくるせいか、逆にその団結と盛り上がりにはかなりのものがある。そして迫り来るセンター入試に備えて誰も彼もが目の色を変える時期に、クリスマスパーティを開く始末だ。まあ酒も入らず数時間食べて騒ぐだけだからいい息抜きにはなるのかもしれない。 如月自身も以前ほど遠巻きにされることもなくなったし、人との付き合い方にも強張りがなくなってきた。 忍としての訓練と同じように、これも、経験次第でどうとでもなるものかもしれない。慣れてしまえば、大層に考えることも怯えすぎることもないのかもしれない。 実戦形式のセンター演習が始まった現国の時間、問題を解き終えて暇になった如月は、冬枯れの木々を眺め、己の手を見た。 如月は昨日、龍麻たちが御門を訪れるのに同行した。 如月自身は、己の家が飛水として徳川を守ってきたことを知っている。 だからといって今の自分を取り巻く宿星の、詳しいことまで知っていたわけではない。 ただ祖父から、玄武の力をもって黄龍を護る者たれ、と言われて育ってきた。それが絶対だった。 厳格で寡黙な如月の祖父はどれだけのことを知っていたのだろう。 彼の背負う、宿星を御門は語らなかった。 祖父は黙して多くを語らなかったが、おそらく一部始終は知っていたに違いない。 龍麻の宿星はおそらく《黄龍の器》、だ。 心を無にせよ、とは何にも感動するな心動かすなという意味ではなく、龍麻を取り巻く過酷な運命としか言えないものに動揺するな、ということだ。祖父の真意が何であれ、如月はそういう風に関わっていくことに決めた。 今まで如月の人生をほぼ規定してきたともいえるそれに、一通り心の整理がついてしまうと否応無くまた考えてしまう。 どうして、振り切れないのだろうか。龍麻には死んでも見せられない醜態を、壬生にさらして平気なのは、壬生が、龍麻ではないからだ。龍麻ほど、特別でもなく、おそらく壬生も如月に特別な感情を抱いていないどころか、如月でないものを見ているからだ。 そうやって理屈でいくら片付けようとしても、怖い。 如月はあれから、もう一口も酒を飲んでいない。自分の記憶が唯一頼れるときに、それがあやふやではどうしようもない。 胸をかきむしりたくなる感情の暴走を押し殺し、如月は窓の外を見やった。 空が青い。寒い水色の空だ。 ふと雲が動き窓際の如月の席を照らした。背中があたたかい。教室内は黙々と鉛筆を走らせる音だけが聞こえる。 胸の温かさを感じて、柄にもなく、しあわせなどというものはこういうものかと思ってしまって苦笑した。毒されている。それでも気持ちよかった。 その放課後、龍麻が柳生と名乗る男に斬られた。 |
続きます。 |
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