10.

 翌朝僕らはいつものように廊下を歩いて食堂へ向かった。
その日も僕らは普段と同じ席に着いたけど、いつも先に来ているはずの川原はまだ姿を現していなかった。
廊下を歩いた時は外に降る雨の音が微かに聞こえていた。でも食堂へ来るとその音は大勢の生徒たちの声にかき消されそうになっていた。
僕と雅春はザワつく食堂の中で代わり映えしないオーソドックスな朝食に口をつけた。
食堂の中にはいつものようにバターと紅茶の香りが漂っていた。 雨のせいで全体的に薄暗い感じはしたけど、それはいつもと変わらぬ朝だった。

 川原が重そうな体を揺らして食堂へ走ってきたのは、僕がパンを半分ぐらい食べ終えた時の事だった。
その時彼の膨らんだ頬はすごく上気していた。川原はなんだか慌てていて、髪も服装も若干乱れていた。
彼は肩で息をしながら雅春の向かい側に座り、何か言いたげに僕らを見つめた。
「どうしたんだよ…」
雅春がそう言い終わるか終わらないかのうちに、川原が大きく息を吸ってこう叫んだ。
「205号室の奴ら、やばい所を見つかって先生に引きずられていったぞ!」
それは食堂の中全体に響き渡るほどの大きな声だった。川原の声に反応した皆は静まり返って一斉に彼に目を向けた。
でもその時は皆まだ彼の言っている事をよく理解していないようだった。それを悟った川原は更に言葉を付け足した。
「あいつら、一緒に寝てる所を見られたんだよ」
「えー?」
それはすごく簡潔な説明の仕方だった。彼の言葉を聞いた皆はこぞって驚きの声を上げた。
僕は突然頭がズキズキと痛み出し、テーブルの下に隠した両手はブルブルと震え始めていた。
情報屋の川原を囲むように、あっという間に人垣ができた。そこにいた皆はその話の続きを聞きたくてウズウズしているようだった。
「先生に踏み込まれた時、2人とも裸だったらしいな。でもその後すぐ制服を着せられて校舎に連れて行かれたみたいだぞ。 あれは2人とも退学だな」
川原はちょっと誇らしげに自分の持っている情報を大きな声で打ち明けた。 周りに集まった皆はますますおもしろがって黄色い声を上げていた。
「205号室の人って誰だったっけ?」
「それは…」
誰かの質問に川原が答えようとした時、食堂の中に大きく校内放送が流れた。その低い声は恐らく教頭先生の声だった。
「生徒諸君、すみやかに席に着いて朝食を済ませてください。今日の1時間目は臨時の全校集会を開く事になりましたので、 食事が済んだらすぐに会堂の方へ集まってください」
その声が響くと、食堂の中がどっと沸いた。もう降りしきる雨の音なんか一瞬たりとも聞こえてこなくなった。
退屈な学園生活の中において、色恋沙汰は噂好きな人たちの格好のエサだった。その朝食堂の中はどこもかしこもその話題で持ちきりだった。
川原は僕の目の前で次々といろんな事を話し続け、周りに集まった人たちはいつまでもその話に聞き入っていた。
僕はその時頭の痛みと手の震えを堪えるのに必死だった。そしてなんでもないような顔の表情を保つ事に神経を集中させていた。
この時雅春がどんな様子でいたのか僕にはよく分からない。この時の僕には彼の顔を見る勇気なんかなかったからだ。
頬を紅潮させて喋り続ける川原の声が嫌でも僕の鼓膜を刺激した。 紅茶の湯気の向こうには、雨に打たれて曇った窓ガラスがチラッと見えた。

 205号室の住人はその日のうちにひっそりと姿を消し、そこはすぐに空き部屋になった。
僕らの窮屈な学園生活が始まったのは、まさしくその夜の事だった。