7.

 翌日の朝、僕たちはなんとなくぎくしゃくしていた。
雅春はもしかして僕が目覚める前から起きていたのかもしれない。
同じベッドの上でおはよう、と言い合うのはその朝が初めてだった。その時はカーテンの向こうから朝の柔らかな光が 僕たち2人を照らしていた。
すぐに起き上がった雅春の髪にはひどい寝癖がついていた。でも彼の髪は柔らかいので、ブラシを通すとすぐに寝癖は取れてしまう。
彼は机に向かってさっさと髪を整え、パジャマを着たまま洗面道具を持ってすぐに部屋を出て行ってしまった。
昨夜の余韻なんか、その時には微塵も感じられなかった。

 僕たちは制服に着替えた後2人で食堂へ向かった。
その時廊下には食堂へ向かう生徒たちがたくさんいて、周りはやけにザワついていた。
それなのに、僕と雅春の間に会話はまったくなかった。 僕はザワつく廊下を歩いている時、彼が昨夜の事を後悔しているのかと思ってすごく不安を感じていた。
隣を歩く雅春は窓の外の朝日をじっと見つめていた。彼の髪は朝日が当たって茶色く透けていた。 彼の長いまつ毛の向こうでは、山の緑が朝露に光っているようだった。
雅春が僕を見てくれない。僕はたったそれだけの事ですごく胸が苦しくなっていた。

 廊下を突き抜けて食堂へ行くと、いつもの席に川原がいた。
食堂はとても広くて、白いテーブルクロスのかかった長いテーブルが横1列にズラッと並んでいた。 そして壁際のテーブルの1番後ろがいつもの僕らの席だった。
僕は最初ここで食事をする事にどうしても慣れなかった。同じ制服を着た男たちが何百人も集まって同じ物を頬張る光景がまるで 牢獄の食堂を思わせたからだ。
僕たちが席に着くと、食事当番の生徒が目の前に食事をドン、と置いてくれた。
それは四角いトレイに乗ったワンパターンな朝食メニューで、パンと卵焼きとサラダという大変オーソドックスなものだった。
食堂の中は廊下と同じようにガヤガヤしていて、バターと紅茶の香りが漂っていた。
トレイの横に運ばれてきた紅茶の湯気の向こうには、窓から差し込む明るい朝日が見えた。
僕の横に座った雅春はすぐにサラダを突き始めた。僕も間が持たないので、すぐにパンをかじってその場を凌ごうとした。
僕の向かい側に座っている川原はパンも卵焼きも素早く口に放り込んで頬を膨らませていた。

 こんな時ありがたいのが、お喋りな川原の存在だった。
でっぷり太った川原はいつも朝から元気で、しかも噂話が大好きだった。
彼は僕と雅春の気まずい空気にまったく気付く事もなく、その日も新たな話題を振りまいてくれた。
「A組の吉野ってヤツ、同室の先輩とうまくいかなくて先生に泣きついたらしいぞ」
川原はこの手の情報をキャッチするのが本当に早かった。
そういう事はここではよくある話だった。
授業が終わった後部屋へ帰ったらその後ずっと同室の人と一緒に過ごすのだから、 ルームメイトとの相性は各生徒にとってとても重要だった。
「それでどうなったの?」
僕は川原にその先の事を尋ねてみた。そういう時学校側がいったいどんな対処をするのか聞いておきたかったからだ。
「一応本人と同室の先輩を呼んで話を聞くみたいだな。その後しばらくたってもうまくいかないようなら部屋を変わるのかもしれないけど、 そのあたりは俺にもよく分からないや」
「ふぅん」
僕が生返事をして卵焼きを頬張ると、雅春が僕の目を見て久しぶりに話しかけてくれた。
彼はその時、ドキッとするような事を僕に言った。
「亮太、俺と一緒の部屋が嫌なのか?」
きっと雅春は冗談でそう言ったに違いなかった。その証拠に彼は優しく微笑んでいたし、その言い方も決して嫌味なものではなかった。
でも僕はなんとなく戸惑ってうまく返事をする事ができなかった。大きな声でそんな事ないよ、と叫びたいのに、どうしてもそれをすぐ 口にする事ができなかった。
「返事がないな。お前嫌われてるぞ、雅春」
川原が更にそう言って僕を追い詰めた。僕はその時、泣き出したい気分だった。
雅春は白い歯を見せて軽く微笑み、小さくちぎったパンを口に入れてモグモグと噛んでいた。
僕はその時なんだかやるせなくて、テーブルクロスの下で雅春の手をそっと握った。すると彼も強い力で僕の手を握り返してくれた。
「そうそう、美術部の山田さんがさぁ…」
川原は僕たちが手を握り合っている事も知らずにもう別な話を始めていた。でも僕はもうそんな話は全然耳に入ってこなかった。

 その朝、僕と雅春は明らかにぎくしゃくしていた。 人の目からは分からなくても、僕たち2人の関係はこの時から明らかに変わっていた。
僕は雅春の仕草や言葉にすごく敏感になっていた。彼の冗談にさえうまく対応できず、何故だか感傷的になってしまったりもした。
人を好きになるというのはこういう事なんだ。僕はこの朝、初めてその事を知った。