8.

 僕はその日の授業中 雅春の事が気になって全然落ち着かなかった。
日の当たる教室で彼の背中を見つめていると、どうしても昨夜の事を思い出して心臓が大暴れを始めてしまった。
そっと触れた彼の柔らかな肌の温もりや、彼と舌を絡ませ合った時の興奮。その記憶が半日ずっと僕を支配し続けていた。
教室の中にはガタガタ言う机と紺色のブレザーを着た生徒がセットになって横7列に並んでいた。 皆が同じ制服を着ていても、僕の目には雅春だけが他の人と違って見えた。
雅春は誰よりも綺麗で、とても光り輝いていた。でもそれは僕が雅春を好きだからそう見えただけなのかもしれない。 僕は他の人の目にはなれないから、そのあたりの事ははっきりと分からなかった。
僕は最初から雅春の事が好きだったんだろうか。それは自分でもよく分からなかった。 そして雅春の方はいったい僕をどう思っているんだろうか。僕にはそれもよく分かっていなかった。
その時の僕は、とにかく分からない事だらけだった。
でもたった1つだけ分かっていたのは、雅春と熱い抱擁を交わした時にはもう完全に彼を好きになっていたという事だった。
僕たちは学校にいる時はいつも同じクラスの川原や横山たちと行動を共にしていた。
それはその日も例外ではなく、休み時間になると教室の後ろで皆とお喋りしたし、 お昼の時間になると仲のいい5人全員が集まってご飯を食べた。
でも、そんな時も僕と雅春の間には昨日までとは違う何かがあった。普通に喋るし普通に笑うけど、昨夜の事があってからの 僕たちは絶対に今までの僕たちではなかった。

 授業が終わって校舎を出た時、僕のドキドキは頂点に達していた。
外はよく晴れていて、空は綺麗な水色だった。5月の風はまだ少し涼しかったけど、風に吹かれて香る緑がとても心地よく感じられた。
寮へ続く道には石ころがいっぱい転がっていて、雅春は時々退屈そうに石を蹴って歩いた。
川原は相変わらず喋り続けていたし、横山と長谷川は彼の話に頷いていた。
寮の白い建物が近づいてくると、僕はいよいよ緊張してきた。
僕らは恐らく今日も川原の部屋に招待され、日当たりのいいその部屋で仲間たちとたわいのない遊びをする事だろう。
でも夕食を食べて102号室へ戻ったら、僕と雅春は2人きりになる。
僕はその時彼とどう接したらいいのか分からなくなっていた。本当にこの日の僕は分からない事ばかりだった。
そして僕は心の準備ができないうちに寮へ戻ってきてしまった。
寮の玄関へ入ると、皆が同時に靴を脱いでフタ付きの下駄箱をさっと開けた。 この後上履きに履き替えたら、5人の仲間たちは一旦それぞれ部屋へ戻るはずだった。
「じゃあ、また後でな」
明るい廊下に出ると、僕と雅春以外の皆はそう言って木の階段を上って行った。
102号室は寮の1階だから、僕たちだけは皆と別れた後真っ直ぐに続く廊下を歩いて行った。
部屋へ辿り着くまでの間、雅春は一言も口を利かなかった。彼はいつものように窓の外を見つめ、ずっと無言で僕の隣を歩いていた。

 102号室へ着くと、雅春はバーン!と勢いよく部屋のドアを開けた。
それはいつもの事だった。でもいつもと少しだけ違っていたのは、彼が部屋へ入るなりすぐドアに鍵をかけた事だった。
北向きの部屋の中は相変わらず肌寒かった。太陽の光はほとんど入らないし、空気がとても冷たかった。
「寒いな」
雅春は自分のベッドに長い足を伸ばして座り、膝の上に毛布を掛けて冷たい壁に寄り掛かった。
僕はここでもどうしていいのか分からなかった。その後の数秒間 僕はただ黙ってドアの前に立ち尽くしていた。
「何してる?早く来いよ」
変声期特有のハスキーな声が、そう言って僕を呼んだ。
雅春がそう言ってくれなかったら、僕はいつまでもドアの前から動けずにいたかもしれない。
彼は少しはにかんだような笑顔を浮かべてベッドの上から僕を手招きした。 彼の長いまつ毛は、瞬きするたびに大きく上下に揺れていた。
僕は本当はすぐにでも彼のそばへ行きたかった。そしてまた昨夜の続きをしたいと思っていた。

 僕が彼の横に座って毛布を膝に掛けると、雅春が僕の頬に自分の冷たい頬をすり寄せた。 彼の柔らかい髪が耳をくすぐり、長いまつ毛はすぐ近くに見えた。
「亮太も寒い?」
囁くような雅春の声が僕の脳全体に響いた。僕が小さく頷くと、彼はいきなり強く僕を抱き締めてくれた。
「温めてあげるよ」
そう言う雅春の声はもう遠く感じられた。彼のブレザーのボタンが強く胸に押し付けられて、少しだけ痛かった。 それでも彼の肩に頬を寄せて目を閉じるとすごく幸せな気持ちになれた。
北向きのこの部屋がこんなに暖かく感じたのはこの時が初めてだった。雅春の胸はストーブのように僕を温めてくれた。
しばらくすると、彼の手が毛布の下でモゾモゾと動いた。すると狭い部屋の中に布の擦れ合う音が小さく響いた。
僕はその瞬間をずっと心待ちにしていた。でも、その前にどうしても彼に聞いておきたい事があった。
「ねぇ雅春…」
僕が声を掛けると、僕の太ももの上で彼の手が止まった。
「雅春、僕の事好き?」
それは面と向かっては聞けないほどデリケートな質問だった。 僕はこの時彼の肩に顔を埋めていたから…だからなんとかこの質問をぶつける事ができたんだ。
この時雅春がいい返事をしてくれなかったら、僕はもう彼と触れ合う事をしなかったかもしれない。
でも彼は間髪いれずに即答してくれた。
「もちろん好きだよ。好きじゃないと、とてもあんな事はできないよ」
その言葉が嬉しくて、僕は彼の頬にキスをした。雅春の頬はさっきまでと違ってすごく熱くなっていた。
太ももの上にある雅春の手がまた動き出した時、僕の手はすでに彼のベルトを外そうとしていた。