14.

 11月13日。実際僕は、その朝先輩を連れ出すのにひと苦労した。
マミが会う約束をしたのは僕であって先輩ではない。柳田先輩は何度も僕にそう言った。 そしてお前1人で行って来い、と繰り返し言い続けた。
だけど僕は、ちゃんとマミに次は先輩と2人で会いに行くと告げていた。それは紛れもない事実だった。
「だから、先輩が来ないとマミちゃんはがっかりします。2人で行くって約束したのに、僕1人で行ったら怒られちゃうよ」
僕と先輩は、308号室の窓の前でしばらく揉めていた。
窓の外の景色は真っ白だった。そして冬の空には眩しい太陽が浮かんでいた。 窓辺に立つ先輩の髪はその光を受けて煌き、彼は眠そうな目でじっと僕を見つめていた。
「マミちゃんはお前に会いに来るんだよ。だから、1人で行っておいで」
「先輩、何度言ったら分かるんですか?」
長い間埒の明かない会話が続くと、僕はとうとう泣きたくなってしまった。
先輩の目はすごく優しかったけど、同時にすごく淋しげだった。そんな先輩を部屋に残して行く事は、絶対にできないと思った。
僕はとうとう床の上に座り込んで、癇癪持ちの子供のようにこう叫んだ。
「僕、先輩と一緒じゃなきゃ嫌だ。先輩が行かないなら、ずっとここから動かない!」
お尻の下の床はとても冷たかった。
先輩はそれからしばらく困った顔をして、床に座り込む僕を見下ろしていた。
僕は自分の思い通りにならない状況がたまらなく恨めしくて、ただ口を尖らせて俯いていた。
冬の太陽が、そんな僕を明るく照らしてくれていた。俯く視線の先には、茶色い学習机の足があった。
やがて先輩は、隣に腰かけて僕の顔を覗き込んだ。 僕が上目遣いで彼を見つめると、先輩は白い歯を見せてにっこり笑った。
「分かった。お前には負けたよ。さぁ、出かけよう」
僕を諭すようにそう言う先輩の笑顔は、ドキッとするほど素敵だった。

 僕は先輩と2人で出かけて行くのがすごく好きだった。
バスや列車に揺られている時、窓の外の景色を2人で見るのがすごく楽しみだった。
その日は外の雪景色が眩しかった。 S学園の側は本当に雪が多くて、バス通りから見つめる遠くの景色は純白だった。
まだ誰も足を踏み入れていない白い大地に、自分の足跡を付けてみたい。綿帽子をかぶった木の下へ行って、彼らと話をしてみたい。
時々そんな子供っぽい事を言って、先輩に笑われた。
僕はあまり雪が降らない町で育ったから、真っ白な銀世界が珍しくて、本当に大好きだった。 でも都会の町へ近づくにつれて、降り積もる雪の量はどんどん減っていった。


 列車を降りて駅の前に立つと、そこにはまったく雪が見当たらなかった。
都会のアスファルトの上では、少しぐらいの雪はすぐに融けてしまうようだった。
その日は頭上に太陽が輝いていたけど、風は冷たかった。そして都会の冬景色も風のように冷たく感じられた。
雪の降り積もらないアスファルトの上には砂埃が舞い、時々目にゴミが入ったりもした。
最初にマミに会った日は久しぶりに見る都会の景色が眩しく感じたけど、今は真っ白な銀世界の方がよっぽど僕を興奮させた。
歩道に並ぶ街路樹の葉はとっくに枯れて散っていたし、すれ違う人たちは皆肩をすぼめて歩いていた。
僕はその時、目の前に雪がない事を少し残念に思っていた。
「ほら、マミちゃんが来たよ」
先輩はそう言って、なんとなく元気の出ない僕の腕をグイグイと引っ張った。
僕はその時、冷たい都会の冬景色を見つめていた。でも先輩は同じ時、ずっと周りを見回して彼女が現れるのを待っていたに違いない。
風に吹かれながらこっちへ向かって来るマミは、すごく寒そうな格好をしていた。
彼女は珍しくミニスカートをはき、そのために細い膝が露になり、ふくらはぎは辛うじてブーツに守られていた。
黒いハーフコートはフカフカだったけど、時々風がいたずらをして白いマフラーが彼女の首からずり落ちそうになっていた。
僕は隣に立つ先輩の横顔をチラッと見つめた。
その時彼の目線は真っ直ぐマミに向けられていた。先輩の着ているハーフコートも、彼女と同じ黒だった。

 「今日、すごく寒いね」
マミは僕らに近づき、最初にそう言った。その時、彼女の真っ赤な頬はきっとすごく冷たかった。
彼女はマフラーを巻き直した後、穏やかな笑顔で先輩を見つめていた。そして先輩も同じように彼女の目を見つめていた。
「ここは雪が積もらないんだね」
先輩は彼女から目を逸らし、ちょっと淋しげにそう言った。
僕はその時、先輩も都会の景色を冷たく感じていたという事に初めて気がついた。そして驚く事に、マミも同じ心境でいるようだった。
「ここの冬は、ただ寒いだけ。それは雪が少ないせいなのかな。雪のない冬はちょっと淋しいよね」
マミはそう言って先輩の目線を追いかけた。彼らの視線の先では、葉の散ってしまった街路樹が風に揺れていた。
「S学園の周りはもう雪だらけだよ。こことは全然違う」
独り言のようにそうつぶやいた時、マミが明るい笑顔を僕に向けた。
「私、小学校まではもっと田舎に住んでたの。そこはすごく雪が多くて、いつも膝のあたりまで雪に埋まったよ」
「へぇ、そうなんだ?」
僕と先輩は彼女の話を聞いて同時にそう言った。
僕たちは、マミはずっと都会で暮らしてきたものと勝手に思い込んでいた。 彼女はいつもオシャレでかわいくて、まさしく都会っ子のイメージだったからだ。
「冬になると地面が雪で真っ白になって、そういう景色が大好きだった。 私、本当はずっと田舎で暮らしたかったの。でも小学校5年の時に学校が廃校になっちゃって、しかたなくこっちへ引っ越してきたの」
マミは口元をマフラーで覆いながら、懐かしそうにそう話してくれた。
「俺も、そこへ行ってみたいな」
あの後先輩がそうつぶやいたのは、運命だったとしか言いようがない。