15.
「俺も、そこへ行ってみたいな」
「本当? じゃあこれから行ってみる?」
先輩の言葉にマミが応えた時、すでに僕たち3人の意思は固まっていた。
僕らはそれからすぐに列車に飛び乗って、マミの育った町へと向かったのだった。
マミの育った町はかなり田舎で、そこへ行き着く列車は1日に3本しかないと彼女は言った。
田舎へ向かう列車はたったの二両で、その中はガラガラに空いていた。僕が知る限り、同じ車両に乗り合わせた人は青っぽいコートを着たお婆さん1人だけだった。
僕と先輩は車両の1番端の席に隣同士で座り、マミは僕の向かい側に腰かけた。
列車が動き出すと、マミはコートのポケットからキャラメルの入った赤い箱を取り出してにっこり笑った。
「これ食べる?」
彼女は細い指でその箱を包むセロファンを外し始めた。
僕はその後1粒キャラメルを受け取り、すぐに甘い粒を味わった。口に入れたキャラメルは、少し冷たく感じた。
その時マミはキャラメルに付いているオマケを取り出して、嬉しそうにそれを眺めていた。
彼女が手にしたオマケは、小さなピンク色の手鏡だった。丸い鏡の脇には赤いビーズのような物が取り付けられていて、それはいかにも女の子が喜びそうな物だった。
マミはそれを大事そうにポケットの中にしまい入れ、その後やっとキャラメルを口にした。
僕はその時、自分はキャラメルのオマケに似ていると思っていた。
マミはもしかしてオマケが欲しくてキャラメルを買うのかもしれない。でも、オマケだけを買う事は決してできない。
オマケはあくまでオマケであって、主役はいつもキャラメルなんだ。
列車に乗ってしばらく経つと、窓の外に銀世界が広がった。でもその中にはまだポツポツと民家が見えた。
その時太陽はまだ高い位置にあって、白い大地を静かに照らしていた。外の景色は、ただただ眩しかった。
「私の育った所は、何もなくてびっくりするよ。無人駅を出たら真っ白なじゅうたんが目の前に広がって、他には何も見えないんだから」
彼女はそう言いながら冷たい膝を両手でさすっていた。それを見た先輩は自分のコートを脱いで彼女の膝に掛けてあげた。
するとマミは先輩の目を見て嬉しそうに微笑んだ。
僕は先輩とマミがうまくいく事を望んでいた。その気持ちに決して嘘はなかった。でもそんな2人の仕草を見ていると、やっぱり少し胸が痛かった。
それから僕たちは、たわいのない話をしながら時を過ごした。
僕はその時、自分の小さな夢をマミに打ち明けた。
それはもちろん、まだ誰も足を踏み入れていない白い大地に自分の足跡を付けてみたいという夢だった。
「その夢、きっともうすぐ叶うよ」
その話をした時、マミは長い髪をかき上げながら優しくそう言ってくれた。
マミのパッチリした目は表情豊かだった。先輩は大きく見開いたり時々細める彼女の目を、ずっと真剣に見つめていた。
たまに列車が揺れると、先輩の腕と僕の腕が微かに触れ合った。
僕はそのたびにドキドキしてしまい、自分の先輩に対する思いを強く意識していた。
「あ、雪が降ってきた」
窓の外を眺めてマミがそう言ったのは、列車に揺られて1時間ぐらい過ぎた時だっただろうか。
ついさっきまで日が差していたのに、その時窓の外の景色は急変していた。
その時は大粒の雪が斜めに強く降っていて、窓ガラスを叩きつけていた。
そしてあっという間に窓ガラスに雪が貼り付き、やがて外の様子はほとんど見えなくなってしまった。
あの時雪が降り出したのも、やっぱり運命だったんだろうか。
「帰りの列車の時刻を考えたら、向こうで1時間ぐらいは遊べるかな」
マミは真っ白な窓を見つめてそうつぶやいた。その横顔は、いつもながらに綺麗だった。
わざわざ列車で遠くに出かけて行って、そこで遊べるのはたったの1時間。
それなのに、僕らはどうしてあの列車に乗ってしまったんだろう。
人気のない無人駅へ降り立った時、雪は少し小降りになっていた。列車の中が暖かかったせいか、外の寒さが身に沁みた。
その駅は本当に小さくて、まるでごく普通の民家のようだった。
誰もいない改札口を通り抜けて、ガタガタ言う木のガラス戸を開けると、そこにはマミの言っていた真っ白なじゅうたんだけがあった。
「すごい……」
僕は立て付けの悪いガラス戸の前に立って小さくそうつぶやいた。
そこから見える景色は、見渡す限り真っ白だった。
そこには人工的な物が何一つなかった。遠くの方を見つめても、家はおろか樹木すら見当たらなかった。
そこは、僕が憧れた本物の銀世界だった。
その時、僕の耳には雪の降る音が微かに響いていた。
雨と同じように、雪にも静かな音がある。僕がそれを知ったのは、北海道へ来てからの事だった。
雪の粒が頭やコートに当たると、小さくカサッという音がした。そこでは、雪の音以外に何も聞こえて来なかった。
「どこへ行く?」
先輩は頭に降り積もる雪を払い落としながらマミにそう尋ねた。マミはもう行く場所を決めていたようで、僕らは彼女の後を黙ってついて行った。
そこで感じる人の気配は、雪の上に付いている足跡だけだった。
雪道を歩き始めると、一歩歩くたびにザクッという音がした。その時、すぐ横を歩く先輩も同じようにザクッと音をたてて歩いていた。
僕は彼の足音を聞いているとすごく安心した。
「マミちゃん、どこ行くの?」
しばらく歩き続けた後、僕は先頭を行く彼女の背中に声を掛けた。
外はすごく寒くて、雪と風のせいで僕の頬はすごく冷たくなっていた。
早くどうにかしないと、そのうち凍えてしまいそうな気がしていた。
すると突然マミがピタッと立ち止まり、遠くの方を指さした。
その時は斜めに降る雪が僕の視界を阻んでいた。マミの小さな背中も、白く霞んで見えた。
でもよく目を凝らして彼女が指さす方向を見つめると、そこには何かの建物が微かに見えた。
「あそこ、私が通ってた小学校なの。もう今は廃校になってるけど」
それは、僕の目にはとても大きな建物に見えた。
先輩は目がいいから、校舎の上の方に時計が残っている事にすぐ気がついた。
「時計が見える。あれ、何時で止まってるのかな?」
「今から確かめに行こうよ」
先輩の言葉にマミがそう応えた。彼女はその後振り返り、僕の目を見て穏やかに微笑んだ。
「高橋くん、先に行って。ここ、まだ誰の足跡も付いてないよ」
僕はそう言われて初めて気が付いた。足元を見ると、校舎へ向かう道は少し土地が低くなっていた。
そこから先が校庭だったという事は、後からマミに聞いて初めて知った。
広い校庭は真っ白で、本当に足跡が1つも付いていなかった。
「ほら早く。先に行けよ」
先輩がそう言って僕の肩をたたいた。先輩の頭やコートは、雪に降られて真っ白になっていた。
「じゃあ、行くよ」
僕は勢いをつけて校庭へ飛び下りた。すると膝のあたりまでがすっぽり雪に埋まった。
それからすぐに、先輩とマミも僕の側へ飛び下りてきた。
僕たちは寒さも忘れて雪の中ではしゃぎ回り、やがて僕は先輩に背中を押されて冷たい雪の上に倒れ込んだ。
マミは雪まみれになって起き上がった僕を指さして、雪だるまみたい、と言いながら笑った。
その時の彼女の笑い声は、長い間僕の耳から消え去る事がなかった。