手袋とポケットと彼の手と

 もうすぐ冬がやって来る。
僕が朝の早い時間に初めて萩原くんを見かけたのは、ちょうど去年の今頃だった。
早いもので、もうあれから1年が過ぎようとしている。だけど僕と彼の朝は今も尚続いていた。
でもだからといって僕たちが特別親しくなったというわけではなかった。
萩原くんは毎朝自転車でやって来て、僕の家のポストに朝刊を入れた後すぐに去っていく。 彼はその仕事を淡々とこなしていた。そして僕はそんな彼をいつも窓の内側から見つめていた。
僕らの関係に特別な進展はなく、ただそれが1年も続いているというだけだった。
僕と彼は相変わらず学校でもほとんど接点がなかったし、2人だけの短い朝に言葉を交わす事さえしなかった。


 明日から11月に入る。最近はすごく日が短くなった。そして、夜が長くなった。
僕の通う中学では3年生になると 『卒業制作』 というものが行われる事になっていた。 それは各クラスでいくつかのグループに分かれ、それぞれが大きな版画やモザイク画などを制作して体育館や廊下に展示するというものだった。
その作品は卒業後半年ぐらいはずっと飾られる事になっていて、それは卒業生が校舎に残していく足跡のような物だった。
その中で出来のいい作品は市役所で飾られたり地元の新聞に写真が載ったりする事もある。
僕たちは3年生。いつの間にか卒業制作を行う学年になってしまった。これが終わるともう後に残っているイベントは受験ぐらいしかない。 それが分かっていたから、3年生は皆卒業制作にすごく力を入れていた。

 僕は今日、同じクラスの5人の男子と一緒に午後8時まで学校へ居残りした。
一緒に残ったのは卒業制作でモザイク画を担当するグループのメンバーばかりだった。
僕のクラスでは5つのグループに分かれて卒業制作が行われていて、そのうち版画を制作するグループが2つと油絵を制作するグループが 2つあった。
そして僕が所属するグループはモザイク画を制作する事に決まっていて、少しずつ少しずつその作業は進んでいた。
でも他に比べてモザイク画の制作は大幅に遅れていたから、今日は皆で夜遅くまで残って作業に精を出したというわけだ。
本当は萩原くんもモザイク画を制作するグループの一員だった。でも彼はこの時一緒にはいなかった。
彼はモザイク画の制作に一度も参加した事がなかったんだ。
やっと細かい作業を終えて校舎を出ると、その寒さが身に沁みた。外はもう真っ暗で、北風がとても冷たかった。
僕たちは肩をすぼめて外灯に照らされるスクールゾーンを歩いた。 もう朝晩はかなり冷えるのに、その時はまだ誰もコートを着ていなかった。だけどブレザー1枚で歩くには、その日の気温は低すぎた。
僕たち6人は学校前の舗装された道を横に並んで歩いていた。その道は夜になるとほとんど車が通らないから、 そんなふうにして歩けるのは夜の特権だった。
「寒いなぁ」
「うん……」
皆最初は口数が少なかった。時々誰かが口にする言葉は、寒さや空腹を嘆くものばかりだった。
だけど道を1本曲がった時、その中の誰かがぽつんとある事をつぶやいた。 すると皆はその一言に強い反応を示し、そこにいた僕以外のメンバーが全員急に饒舌になった。
「萩原はどうして手伝わないんだよ」
最初のきっかけは、その一言だった。
僕はそれ以降の話の流れをただ黙って聞いていた。本当は皆に言いたい事がいっぱいあったけれど、結局何も言えずに黙って話を聞いていた。
「萩原のヤツ、いつもさっさと帰るじゃん」
「朝は遅刻が多いくせに、帰るのは1番早いよな」
「あいつ、自分がモザイクの担当だって分かってるよな?」
「分かってるに決まってるだろう?」
「だけど、1回も手伝った事ないよね」
「ムカつくな。手伝わなくても製作者の欄に萩原の名前が載るんだぜ」
「頭にくるな、あいつ」
僕らの周りはとても静かだった。たまに木の葉の揺れる音がしたけれど、それ以外に自然な音はほとんど聞こえて来なかった。
そんな中、彼に対して熱くなる皆の声がどんどん大きくなっていった。
僕は遠くの星を見つめてその長い時間をやり過ごした。

 翌日。帰りのホームルームが始まる直前の事。
その時、クラスメイトたちは皆すでに帰る支度を始めていた。
皆は担任の先生が教室へやってくるのを今か今かと待っていた。そして教室の中は皆がお喋りする声でガヤガヤしていた。
空は少し曇っていて、気温は前の日よりももっと低く感じられた。
今日から11月に入ったという事もあり、コートを羽織って登校してくる人の割合もかなり多くなっていた。
萩原くんの席は窓際の1番後ろだった。彼は机の上に両肘をつき、横目でぼんやりと窓の外を見つめていた。 去年より少し伸びた茶色の髪は、生え際のあたりが少し黒くなってきていた。
彼の背後の壁には作りかけの大きなモザイク画が立て掛けられていた。でもその半分は出来上がっておらず、 それが何の絵なのかはまだよく分からないような状態だった。
下校時間が近づいていたそんな時。僕は昨日一緒に残ったメンバーの1人から声を掛けられ、教室の隅に引っ張られていった。
銀縁メガネの彼は、昨夜の帰り道で1番最初に萩原くんに対する不満を口にした人だった。
僕は掃除用具箱の前で彼にある事を耳打ちされた。それは僕をドキドキさせるような一言だった。
「ホームルームが終わったら萩原を捕まえて文句を言ってやろうぜ」
銀縁メガネの彼が僕の耳にそう囁いた後、すぐに担任の山岸先生が教室へやってきた。
友達と集まってお喋りしていた生徒や窓際でぼんやりしていた生徒が皆一斉に自分の席へ着く。 そして先生の声が大きく教室の中に響く。
萩原くんはその時、相変わらず机に肘をついて窓の外を見つめていた。僕は遠くの席から彼を見つめ、高鳴る心臓を右手で押さえていた。

 人間は1人では何もできない。でも何人かが集まって結束すれば大きな力を生み出す事ができる。
萩原くんは人を寄せ付けない雰囲気を持っていた。一見怖そうに見える風貌とその独特の雰囲気から、 今まで誰も彼に近づこうとはしなかった。
だけど銀縁メガネの彼は皆で萩原くんに近づこうと言った。そうすれば怖くないから、 皆で近づいて皆で彼に不満をぶつけようと言った。
卒業制作は休み時間や放課後に皆で集まって作業をするものと決まっていた。でも萩原くんは休み時間になると 必ず居眠りしていたし、放課後は1番に教室を飛び出して行ってしまう。
萩原くんはいつもそんなふうだったから、モザイク画を担当している人たちが彼に対して腹を立てるのも分からないわけではなかった。
だけど、僕はこんなやり方は嫌だった。皆で徒党を組んで彼1人を責め立てるなんて、そんな事は絶対に避けるべきだと思っていた。
皆は彼が早起きして新聞配達をしている事を知らない。 でも僕はその事を知っていた。それに彼が最近夕刊の配達を始めた事までちゃんと知っていた。
たしかに萩原くんは放課後になるといつも真っ先に教室を出て行ってしまう。 でもそれは遊びに行くからそうしているわけじゃない。夕刊の配達があるからそうしているだけだ。
これはちゃんと話し合えば折り合いが付く問題だった。 彼が夕方忙しいなら日曜日にでも作業をしてもらえばいいだけの話だった。
だけどもう他の皆はすでに熱くなっていて、僕1人ではその流れをせき止める事ができなかった。

 ホームルームが終わると、ベージュのブレザーを着た皆が一斉に席を立った。
それは萩原くんだけではなく、僕も、銀縁メガネの彼も、その他の人も皆一緒だった。
何も知らない萩原くんはいつものように真っ直ぐ教室のドアへ向かって歩いて行った。
僕はこれから彼の身に起こる事を考えるとどんどん胸が高鳴っていった。 そして銀縁メガネの彼が萩原くんを呼び止めた時、僕の胸の高鳴りは頂点に達していた。
「萩原、ちょっと待てよ」
呼び止められた萩原くんは立ち止まって後ろを振り返った。するとその時、銀縁メガネの彼は昨日残ったメンバー全員を手招きした。
僕はその時、どうしたらいいのか全然分からなかった。僕は結局皆の後ろに立っているだけで何もする事ができなかった。
「お前さぁ、卒業制作の事分かってる?」
最初にそう言ったのは誰だったんだろう。僕は頭が真っ白でそれすらよく分からなかった。
「いつも逃げて帰るけど、どういうつもりなんだよ」
「お前手伝う気ないのか?」
「最初からやる気がないんだろう?」
「ムカつくんだよ」
「なんとか言えよ」
その時萩原くんは僕ら6人に囲まれていた。そして、彼に罵声を浴びせる5人の声が重なった。
でも、彼は毅然としていた。
彼の二重の目はちゃんと皆を見つめていた。そして2つの耳はちゃんと皆の話を聞いていた。 そして彼は一言も言い訳をしなかった。
その時、彼を囲む僕らを遠巻きに見ているクラスメイトがたくさんいた。 その人たちはただ黙って僕らの一方的な話し合いに聞き入っているようだった。
悪いのは萩原くんだ。きっとそこにいた皆はそう思っていたに違いない。
「お前、残りは全部1人でやれよ。俺たちはもう知らないからな」
「帰ろうぜ」
僕が何も言えないうちにまた皆の声が重なった。
僕はいつも何もできず、ただ黙っているだけだった。 その時も僕は皆に手を引っ張られ、彼を1人ぼっちにして教室を出てしまった。
一瞬振り返ると、ブレザーを着た彼の背中がとても小さく見えた。 朝自転車に乗ってくる彼の背中はとても大きく見えるのに、その時の彼は朝の彼とは全然違っていた。
彼に文句を言って満足している皆とザワつく廊下を歩いている時、僕は自分が嫌いになりそうだった。
無力な自分に、すごく腹が立った。

 「萩原のヤツ、泣きそうな顔してたじゃん」
「自分が悪いんだからしかたがないさ」
薄暗い下駄箱に辿り着くと、皆が口々にそう言って上靴を脱ぎ始めた。 皆の声はすごく弾んでいて、僕はその事が悲しかった。
僕の靴箱の5つ隣には今も 『萩原』 と名前が入っている。
僕はその時、彼がプレゼントしてくれた白い手袋をはめていた。僕は手袋をはめたその手を見つめ、彼の優しさに触れた時の事を思い出していた。
下駄箱に1人たたずみ、彼のスニーカーを夢中で磨いた時の事。
その様子をどこかで見ていた彼が、靴箱にそっと手袋を入れておいてくれた時の事。
僕たちの心がわずかに触れ合ったのはあの時だけだった。
あれは僕にとってとても大切な思い出だ。この手袋はあの時からずっと僕の宝物だった。
「おい、行くぞ」
銀縁メガネの彼が秘密の思い出に浸る僕を手招きした。
僕はこのまま帰ってはいけないと思った。そんな事をしたら大切な思い出が灰になって指の隙間からこぼれ落ちてしまうと思っていた。
「ごめん。僕、忘れ物しちゃった。先に行ってて」
僕は皆に背を向けて教室へ引き返す事を選択した。それが無力な僕にできる精一杯の行動だった。

 僕は下駄箱へ向かう人たちとすれ違いながら明るい廊下を引き返した。
そして教室の中を覗くと、自分の席に座って作業をする萩原くんの姿が見えた。
彼は隣の机と自分の机をくっつけてその上にモザイク画の土台を置き、色の付いた卵の殻をその上にペタペタと貼り付けていた。
それはとても孤独な作業だった。
僕らは昨日皆でお喋りしたりお菓子をつまんだりしながら楽しく作業をしていた。 時折休憩時間と称して机の間を走り回って遊んだり、黒板に落書きを書いたりもした。
なのに萩原くんはただ黙々と下を向いて真剣にモザイク画の制作に取り組んでいた。たった1人で。ブレザーの袖をまくり上げながら。
秋の空は暗くなるのが早い。
今はまだ窓の外から太陽の光が差し込んでいるけれど、あっという間にその光は消え失せる。
僕は薄暗い教室で1人になる彼を想像するとたまらない気持ちになった。
彼に近づくのは少しの勇気が必要だったけれど、今ここで勇気を出さなければ後になって絶対に後悔すると思っていた。

 ガラッとドアを開けて教室へ入ると、萩原くんが一瞬手を止めてじっと僕を見つめた。 少しつり上がった迫力のある目に見つめられると、やっぱりちょっと腰が引けた。
でも僕は机の間を歩いて彼に近づき、黙って彼の向かい側に腰かけた。
僕にそんな事をする勇気があったのは本当に驚きだった。 その時はきっと、両手にはめた白い手袋が僕に勇気を与えてくれたんだ。
その時もう廊下は静まり返っていた。そして僕ら2人だけの教室もシーンと静まり返っていた。
僕は白い手袋をはずしてそれをブレザーのポケットにしまい入れ、その後黙って作業に参加した。
薄茶色のベニヤ板の上にのりを塗って、色の付いた卵の殻を次々とその上に貼っていく。 僕がそれを始めると、萩原くんも黙って作業を再開した。
僕はこの時、彼に気づかれないように萩原くんをそっと観察していた。
彼は顔色が悪く、唇は少しかさついていた。そして左の耳の下には小さなほくろがあった。
すぐそばで見る彼の手はとても大きくて、所々に小さな傷がついていた。 でも彼は傷の事などまったく気にせず、すごくマジメに作業に取り組んでいた。
僕はその時、銀縁メガネの彼に今の萩原くんの姿を見てもらいたいと思っていた。

 思った通り、教室の中はあっという間に薄暗くなった。
教室に並ぶ机の影がどんどん長く伸び、やがてその影すら見えなくなった。
そして黒と紺の識別が難しくなってきた頃、僕は立ち上がって教室に明かりを灯した。
もう窓の外は真っ暗だった。僕は白いカーテンを引いてすぐに夜の闇を覆い隠した。
この時机が並ぶ広い教室は僕たちだけの物だった。 落書きのない黒板も、明るい蛍光灯の光も、全部が僕たちだけのためにあった。
その時僕は、僕たち2人が揃って窓の内側にいる事を初めて意識した。
僕と彼の朝は今もずっと続いていたけれど、僕はいつも窓の内側にいて、彼はいつもその外側にいた。
でもこの時は間違いなく2人揃って窓の内側にいたんだ。 僕はその事が嬉しくて、いつまでもこんな時が続けばいいと思っていた。
僕は気を良くして再び作業を進めるために彼の向かい側に腰かけた。
そして机の上にあるのりの入ったチューブを掴もうとした時、同じようにのりを取ろうとした彼の手と僕の手が重なった。
僕は一瞬ハッと息を呑んで彼の目を見つめた。するとその時、彼とバッチリ視線が合ってしまった。
重なった手をサッと引くと、ほとんど同時に彼もサッと手を引っ込めた。
そして行き場をなくした右手を背中の後ろに隠した時、萩原くんが初めて僕に声を掛けてくれた。
「お前、もう帰っていいぞ」
その声は、少し掠れていた。
僕はその時、彼の顔をすぐ近くで見つめていた。一見怖そうな萩原くんの目は、よく見ると澄んだ茶色だった。
「もう少し手伝うよ」
僕はそんなありきたりな言葉を返すだけで精一杯だった。
でも僕の返事を聞いた時、彼が一瞬微笑んだような気がした。すると僕は嬉しくなって、ますます作業に没頭した。

 時間を忘れて黙々と作業を進めていくと、モザイク画はほとんど完成に近い状態になった。
8割ほど出来上がったモザイク画の図柄が彼の目に触れた時、僕はちょっと恥ずかしくなってしまった。
そのモザイク画のデザインをしたのは僕だった。僕が描いたのは、朝日を浴びて自転車に乗る少年の絵だった。
自転車のハンドルを持つ少年の手に手袋はなく、彼の背中はオレンジ色の朝日に照らされている。
短く刈り上げられた少年の髪は朝日に透けていて、彼が履いているスニーカーはピカピカに光っている。
「だいぶできたな」
萩原くんが安心したような声でそう言って、ほっと一息ついた。
彼は完成間近な絵の中の少年を見つめ、今度ははっきりと微笑んだ。それは前にも一度見た事がある、子供っぽくてかわいらしい笑顔だった。
それはとても穏やかな時間だった。僕はもう少し彼と2人きりの時間を楽しみたいと思っていた。
でも午後8時になった時、教室の中に 「残っている生徒は帰りなさい」 という趣旨の校内放送が流れ、僕の希望はあえなく崩れ去ってしまった。

 校舎を出た時空は真っ暗で、外には冷たい風が吹いていた。
僕らは強い向かい風を浴びながら肩をすぼめて歩いた。
学校前の舗装された道は昨日と同じでほとんど車が通りかかる事はなかった。
僕らは風の音を聞きながら歩道の上をゆっくりゆっくり歩いた。すると時々地面に枯れ葉が舞い散って、その葉が僕らの靴にまとわり付いた。
「寒くてたまんねぇな」
萩原くんの独り言が風に乗って僕の耳に届いた。
もうこの時期、ブレザー1枚で外を歩くのはかなりつらかった。 僕はポケットの中から彼にもらった手袋を取り出し、それを萩原くんに渡そうとした。
「これ、使って」
僕が手袋を差し出すと、彼が外灯の下で立ち止まった。
彼はそれを受け取るそぶりを見せず、ただじっと僕の手の中の白い手袋を見つめていた。 彼はその時、さっきの僕のように僕たち2人の思い出を頭に浮かべていたのかもしれない。
僕は明るい光の下で萩原くんを見上げていた。 彼は僕よりずっと背が高かった。制服のサイズは恐らく彼の方が2サイズぐらい上だった。
また強い風が吹いて彼の髪が揺れた。そして僕よりサイズの大きな彼のブレザーが風になびいていた。
その時、萩原くんの目はつり上がっていた。僕はその目にひるんでしまい、手袋を握った手を力なく下ろした。
「それ、お前のだろう? お前が使えよ」
少し苛立った声でそう言われた時、朝の彼を思い出してもう一度手袋を差し出した。
萩原くんは相変わらず寒い朝でも手袋をはめずに新聞配達をしていた。 僕はその時、いつも冷たそうな彼の手をどうしても温めてあげたいと思っていたんだ。
「僕はいいから……これ、萩原くんが使って」
彼を見上げてそう言うと、萩原くんの目つきがますます厳しくなった。でも今度はひるまずに手袋を彼の手に押し付けた。
その時、またも強い風が吹いて僕の足元に枯れ葉がまとわり付いた。

 萩原くんは白い手袋を握ってじっと僕を睨みつけ、冷たくこう言い放った。
「それ、自己犠牲ってヤツ? 俺そういうの嫌いなんだよね」
彼にきつい言葉を浴びせられ、僕の目にじわっと涙が浮かんだ。
僕の大切な思い出はすでに灰になりつつあった。
僕が彼を思ってした事は、ただのお節介でしかなかったんだろうか。それは全部僕の自己満足にすぎなかったんだろうか。
思わず俯いてしまった僕は、足元に飛んできた茶色い枯れ葉を見つめていた。その時は彼のスニーカーにもいっぱい枯れ葉がまとわり付いていた。
その後すぐに彼の手がぼくの左手を掴み、驚いて再び彼の顔を見上げた。
その時、萩原くんの目はもうつり上がってなんかいなかった。
彼は僕の左手に白い手袋をはめてくれた。すると冷たい風から守られたその手が少しだけポカポカした。
そして萩原くんは自分の右手にもう片方の手袋をはめた。僕たちはこの時、手袋を片方ずつ分け合ったんだ。
「ほら、こっちの手を貸せよ」
萩原くんは手袋をはめない左手で僕の右手を握り締めた。 そして2つの重なる手を僕よりサイズの大きいブレザーのポケットにそっと忍ばせた。
僕の左手は彼がプレゼントしてくれた手袋で温められ、僕の右手はポケットと彼の手によって温められた。

 僕たちはポケットの中で手を握り合い、静かな道を並んで歩いた。
時々強い風が吹き付けても、もう寒いと感じるような事はなかった。
この日の思い出は僕の2つ目の宝物になった。
萩原くんは少し乱暴だけれど、すごく優しい人だった。

終わり

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