7.

 あっという間に朝が来た。
カーテンの向こうはすごく明るい。部屋の景色は全体的にカーテンと同じ緑色だ。
慣れない手つきで卵を焼く。フライパンはすごく熱い。そして、クーラーが壊れかけている部屋の中も暑い。
この部屋は、裸でいるのがちょうどいい。
僕のお兄さんは額に汗を浮かべながらまだ眠っている。
裸のまま仰向けになって。大事な所だけをタオルケットで隠して。

 僕はちゃぶ台の上に2つのお皿を並べた。端の方がかけているお皿の上には、トーストと焦げた卵焼きが並んでいた。
僕はそれから窓に近づき、勢いよく緑色のカーテンを開けた。すると眩しい朝日が窓ガラスを突き抜けてお兄さんの額の汗を光らせた。
お兄さんは日の光が眩しいようで、小さなシミの付いたタオルケットを頭からかぶってしまった。
「お兄さん、おはよう。ねぇ起きて。朝ごはん作ったよ」
僕は畳の上に座り、タオルケットの上からお兄さんの体を揺すった。
すると突然ガバッと起き上がったお兄さんが僕を強引に布団の中へ引きずり込んだ。
背中の下のシーツはいつも通り汗で湿っていた。胸の上にのしかかるお兄さんの体がちょっとだけ重い。
でも彼の唇が僕の口を塞ぐと、幸せいっぱいでそんな事はすぐに忘れてしまう。

 僕らはその後、1枚しか残っていなかったトーストと卵焼きを半分ずつに分けて食べた。
6畳の狭い部屋の中には、小さなちゃぶ台を挟んで向き合う裸の僕らだけがいた。
「おいしい。お前、いい嫁さんになれるぞ」
お兄さんは真っ黒に焦げた卵焼きをおいしいと言ってムシャムシャ食べてくれた。そして、半分ずつ分けるはずのトーストをほとんど全部僕に食べろと言った。
「他の所へ嫁ぐなよ」
冗談だって分かっているけど、お兄さんにそう言われると嬉しかった。それにこんな会話はすごく楽しかった。
彼は口をモグモグ動かしながら横目で部屋の隅に置かれた僕の私物を見つめた。
僕はほとんど何も持たずに家を出た。窓の下には僕のティーシャツとズボンがたたんであり、その横に財布と携帯電話とローションのビンが置いてあるだけだった。
お兄さんは手を伸ばして小さなローションのビンを持ち上げた。そしてその中に半分ぐらい残っている透明な液体をしげしげと眺め、僕に1つの疑問を投げ掛けた。
「お前、これどこで手に入れたんだ?」
「ママの部屋にあったんだ」
「えっ !?」
「男女兼用って書いてあるでしょう? ママはあまり濡れないんじゃないの?」
僕がそっけなくそう言うと、お兄さんはまた耳を真っ赤にしながらビンの後ろにかいてある注意書きに目を通していた。

 お兄さんは朝食の後顔を洗い、身支度を整えて仕事へ行く用意を始めた。彼が調子の出ないクーラーを2度叩くと、やっと涼しい風が部屋の中を舞うようになった。
僕は窓を背にして畳の上に座り、せかせか動く彼の様子をじっと見つめていた。
もうすぐお兄さんは行ってしまう。でも不思議と淋しくはなかった。それはきっと、彼が必ず帰ってくる事を知っているからだ。
朝日を浴びて動き回るお兄さんが、とても眩しく見えた。
思わず抱きつきたくなる広い背中が、たった今紺色のポロシャツで覆われた。
お兄さんはすごく着痩せする。少し緩めのズボンを履くと、特に痩せて見える。
僕は初めて銭湯で彼を見かけた時、そのギャップにドキッとした。
あの時僕は一見痩せ型な彼が洋服を脱ぐ様子を鏡越しに見つめていた。 銭湯のロッカーの影で。高鳴る胸を押さえながら。
あの時に見た広い背中と引き締まったお尻。そして褐色の肌。僕がそのすべてにドキドキしていた事を……お兄さんはきっと知らない。

 「ちょっとでかいかもしれないけど、これ着てろよ」
お兄さんは押入れの奥から比較的サイズの小さそうなカッターシャツとショートパンツを取り出し、それを裸の僕に渡してくれた。 それから彼は僕の手に千円札を1枚握らせた。
「今日はそれで昼メシを食え」
彼はそう言いながら僕の隣に腰かけて靴下を履き始めた。 そしてお兄さんが片方だけ靴下を履いた時、僕は今受け取ったばかりの千円札を彼に返した。
「僕、お金持ってるよ。だから大丈夫」
僕はそう言って畳の上に置いてあった自分の財布をお兄さんに渡した。彼は二つ折りになっている革の財布を受け取り、その中身をたしかめた。
その時僕は、朝日が当たって光る彼の髪に見とれていた。
「お前、金持ちだな」
お兄さんは僕の財布から3枚の一万円札を抜き出し、驚くようにそう言った。
彼はそれでも僕に千円札を手渡そうとした。 僕は首を振ってそれを受け取らない意思を示したけど、お兄さんはその時だけはどうしても譲らなかった。
「財布に入ってる金は何かあった時のために取っておけ。これは、俺のちっぽけなプライドだ」
彼はしわくちゃになった千円札を太陽にかざし、それをしっかりと僕の右手に握らせた。
お兄さんはその時真剣な目で僕を見つめてくれていた。すると僕は、その受け取りを拒む事ができなくなった。