11.

 車の揺れに身を任せて、夜の街を漠然と眺める。
ネオンの光が瞬くと、そのたびに彼との日々が遠ざかっていくような気がした。
幸也からの連絡は、あれからプツリと途絶えていた。
でもその事に対して特に驚きはなかった。なんとなくだけれど、多少はそういう予感があったからだ。
それでも2人が最後に会った日の記憶は強烈だ。
幸也と揉めていたメガネの男。そいつから逃れて、車に飛び乗った時の緊張感。 そして、手を震わせながら「今夜は帰りたくない」と言った彼。
分断されたその記憶が、頭の中でパズルのように組み立てられていく。
しかしそれは、いつまで経っても完成する事がない。どうしても見つからないパーツが、幾つか存在するからだ。

 僕は幸也に会いたかったけれど、だからといってどうしようもなかった。
何しろ住所も電話番号も知らないし、彼がどこの高校へ通っているかもよく分からなかったんだ。 幸也という名前が本名かどうかも怪しいし……これではまったく手の打ちようがない。
僕は彼の事を何も知らない。こんなふうになって、それを思い知った。
我ながら、つくづくマヌケだと思う。好きな人の事は、もっと積極的に知るべきだ。 その方法はいくらでもあったはずなのに、こんなふうになるまでどうしてぼんやりしていたんだろう。
それにしても、あのメガネの男は何者なのか。幸也の事を何も知らないから、2人の関係はまったく想像がつかない。
恐らく彼らは初対面ではなかったと思う。それは雰囲気でなんとなく分かった。
だいいち見知らぬ男に絡まれただけなら、幸也はすぐにそう言ったはずだ。
それまでは機嫌よく話していたのに、あの男の出現で彼の様子は変わってしまった。 あの幸也が押し黙って手を震わせるなんて、どう考えても尋常ではない。
彼らの間にどんなやり取りがあったのかは分からない。ただ、あの男が幸也に何らかの影響を与えたのは事実だ。
詳しい事情は分からないにしても、幸也が何か問題を抱えている事は検討がつく。 乱暴なやり方で僕に近付いたのも、もしかするとそれが原因になっているのかもしれない。
でも想像があまりにも漠然とし過ぎていて、結局パズルは未完成のままだ。


 月日は否応なく過ぎていく。幸也が僕への連絡を絶ってから、すでに3週間が経過していた。
僕はその間も淡々と仕事をこなし、腹が減るとメシを食い、たまには酒を飲みに出かけたりもした。
つまり今は、幸也と出会う前の自分に戻っていたんだ。 もちろん彼を忘れたわけではなかったし、忘れられるはずもなかったけれど。

 窓の外には道行く人の姿が見える。 コートを着て歩く人や、マフラーを首に巻いている人。彼らは季節が冬に近付いている事を、やんわりと僕に教えてくれる。
シートの上へ投げ出した手に、突然彼女の手が重ねられた。
今夜は由利ちゃんと食事に出かけ、今はその帰りだ。2人きりでタクシーに乗るのは、それほど珍しい事ではない。
彼女の手が、僕の指をそっと撫でた。
車の中には、ラジオの音が小さく響いている。僕と同じように、運転手も淡々と仕事をこなしているようだ。
由利ちゃんは、僕が何か言うのを待っているようだった。 こんな時は幸也の言葉を真似て、「今夜は帰したくない」とでも言えばいいんだろうか。
でもそんな事は、口が避けても言えない。
家へ帰ったら、僕は毎晩幸也を思ってマスターベーションをする。今彼女が撫でてくれているその指で、有り余る性欲を発散させるんだ。
由利ちゃんはそんな事も知らずに、汚らしい男の手をいつまでも触っていた。 なのに僕は、その手を払い除けようともしない。それでいて、彼女の顔を見つめる事もない。
僕は最低だ。幸也の事も、由利ちゃんの事も、同時に裏切っている。
そんな自分にすごく腹が立って、血が滲むほど強く唇を噛んだ。