12.

 北風がとても冷たい。今日は朝から外回りをしていて、午後になるとすっかり体が冷え切っていた。
道路には無数の枯れ葉が散らばり、走り行く車がそれをフワッと舞い上がらせる。
灰色の空はどこまでも続いていた。雨が降る気配はないけれど、今日はずっとどんよりとした空模様だ。
コートのポケットに右手を入れると、わずかな温かさが指先に触れた。 でも左手は鞄を持たなきゃいけないから、仕方なく北風に晒しておく。
早くオフィスへ戻って、熱いお茶を飲みたい。
そんな事を考えながら、急ぎ足で歩道を歩く。誰かが吐き捨てたガムを踏まないように、少しだけ注意しながら颯爽と歩く。

 見慣れた自社ビルが目に入ると、僕はかなりほっとした。あと3分ぐらい歩けば、やっと暖かいオフィスへ戻れそうだ。
横断歩道の手前で立ち止まり、鞄を持つ手を右手に交代させる。冷たくなった左手は、急いでコートのポケットに忍ばせた。
するとその時、道路を挟んだ向かい側に学ランの集団を見つけた。その少年の数は、全部で7〜8人というところだった。
よせばいいのに、いつもの癖でその中に幸也の姿を捜す。しかしそれは、ほんの一瞬で終わりを告げた。
そこに彼がいない事を覚ると、苦笑いをして天を仰ぐのがオチだ。

 今の僕は、比較的冷静だった。2人で過ごした日々が短かったせいか、彼と会えなくなったダメージが長続きしなかったんだと思う。 後から考えると、それは不幸中の幸いだった。
ちょっと前までは、常に幸也の事が頭にあった。 彼はどうしているだろうかと考え、何故連絡を絶ったのかを何度も何度も空に問い掛けた。
でもそれもそのうちやめてしまい、仕事に打ち込む事で完全に元の自分を取り戻したんだ。
冒険のない毎日はとても退屈だったけれど、元々人生とはそんなものだろう。
幸也と生きた日々は、一瞬で輝きを失う打ち上げ花火のようなものだった。
それはそれで思い出として、一生胸の奥のアルバムにしまっておけばいい。 必要ならば時々取り出して、少しの間だけ写真のように眺めていればいいんだ。

 横断歩道を渡る時に、学ランの集団と擦れ違った。
こっちはコートが手放せないのに、若い彼らはそうではなかった。
少年たちの笑い声が、北風と共に耳に突き刺さる。途端に青信号が点滅を始め、僕は小走りで横断歩道を渡り切った。
明るい笑い声が、少しずつ遠ざかっていくのが分かる。やがてそれは車の走る音にかき消され、すべてが完全に失われていった。
僕にはもう失うものなんか何もないはずだった。それなのに、何もないところから更に何かが奪い取られていく。
そのうち心も体も空っぽになって、風船のように空へ飛んでいってしまいそうな気がした。
だけどそれでも構わない。灰色の空から街を見下ろせば、いつか幸也を見かける事もあるだろう。 その時彼が笑顔でいてくれたら、僕はきっと満たされるから。

 自社ビルが目の前に迫り、もう一度暖かいオフィスに思いを馳せる。
今日はもう外へは出ずに、オフィスで黙々と仕事をしよう。時々ため息をつきながら、のんびり静かに仕事と向き合おう……
「あの、すみません……」
その時突然、後ろから誰かに声を掛けられた。
やっと元の自分を取り戻したと思ったのに、振り向いた瞬間に僕の時間は巻き戻された。