13.
僕を呼び止めたのはメガネの男だった。幸也と最後に会った日に、彼と揉み合いになっていたあの男だ。
彼は体にピッタリ合ったスーツを着こなし、落ち着いた色のネクタイを締めていた。
コートは羽織っていなかったけれど、特に寒そうな素振りは見せていない。
「私の事、覚えてますか?」
彼はメガネの位置を整えながら、探るような目をしてそう言った。
胸の奥にしまったアルバムを、こんな形で眺める事になるとは思ってもみなかった。
幸也の腕を引っ張り、それを振りほどかれている彼の姿が脳裏に浮かぶ。
この時僕は、大きな疑問を抱いていた。
この男は、どうやら僕に会いにきたようだ。でもここへくれば会える事を、どうして知っていたんだろうか。
「突然呼び止めて申し訳ありません。あなたは幸也と一緒にいましたよね? あの時あなたが運転する車に社名が入っていたので、失礼ながらここで待っていました」
すっかり心を見透かされていた。彼は僕が疑問をぶつける前に、先回りをして答えたのだった。
「僕の顔を見たのは、ほんの一瞬でしたよね? それなのに、よく顔を覚えていましたね」
「それはあなたも同じだ。私の顔を見たのはほんの一瞬だったのに、この顔をちゃんと覚えていたじゃないですか」
口調は穏やかだけれど、その言葉からは皮肉めいたものを感じた。
「少しお時間をいただけませんか? 話はすぐに済みますから」
頭のいい男だな。
僕は彼を、そんなふうに思った。
それから2人で、近くのビルの2階へ行った。
そこには落ち着いた雰囲気の喫茶店があったので、話をするにはちょうど良かったんだ。
今後幸也と関わるつもりがないのなら、彼の事など知らぬ顔をしてさっさと背を向ければよかった。
でも僕は、そうしなかった。それは心の深い部分で、彼を諦めきれずにいたからだ。
きっとこの男は、何かを知っている。
幸也の消息が分かるなら、なんとしてもそれを知りたかった。それが無理でも、彼に繋がる情報は喉から手が出るほど欲しかった。
僕たちは、太い柱の陰になっている席を選んで座った。
そこのテーブルはあまりにも大きすぎて、向かい合うと2人の距離がすごく遠く感じた。
さっきまではオフィスへ戻ってお茶を飲みたいと思っていたのに、そこで出された苦いコーヒーはあまり喉を通らなかった。
「私は幸也の兄です。率直にお聞きしますが、あなたは弟とどういう関係ですか?」
コーヒーの苦味が消えないうちに、小さな声で彼が言った。
僕はひどく驚いて、正面にいる男の顔をじっと眺めた。
その顔をよく見ると、所々に幸也の面影を感じた。
全体的に見るとあまり似ていないのに、目元や骨格にわずかな共通点があったんだ。
あまりジロジロ見られたせいか、彼は少し戸惑ったような表情を見せた。
それでも僕から目を逸らさずに、次の質問を投げ掛けてきた。
「あなたは弟の居場所をご存知ですか? もしも知っているなら、教えてほしいんです」
その言葉は、またもや僕を驚かせた。
幸也が家に帰っていないなんて、考えもしなかった。
彼の住所さえ分かれば会えると思っていたのに、これでは正真正銘の行方不明だ。
「幸也は家に帰っていないんですか? それはいつからですか?」
今度はこっちから質問を投げ掛けた。するとその時、彼の表情がわずかに変化した。
さっきは戸惑ったような様子を見せていたのに、突然ほっとしたような表情に変わったんだ。
「そうですか。あなたもあいつがどこにいるかご存知ないんですね……」
何かが心に引っかかっていた。彼は幸也の居場所を知りたいと言いながら、僕が何も知らない事で安堵していた。
それはいったい何故なんだろう。この人の本当の目的が、僕にはまったく分からない。
「本当に困った奴ですよ。学校もサボっているようだし、家には電話すらしてこない。
まぁ私にも覚えはありますけど、反抗期なんでしょうかね」
彼は宙を見つめてフッと笑った。
いろいろ思うところはあったけれど、僕にとってはこの男が幸也に繋がる唯一の手がかりだった。
なんだかんだと邪推するよりも、とにかく今は情報が欲しい。
「僕が幸也を探します。もしも見つけたら、すぐに家に連絡させます。
だから、彼の携帯番号を教えてください。それから、できれば学校も」
身を乗り出してまくし立てると、彼はその剣幕に驚いていた。
でも幸也を探し出したい気持ちは本物だったらしく、僕が欲しかった情報をすぐに提供してくれた。