14.
株式会社 田代不動産
副社長 田代守
幸也の兄の名刺には、そんなふうに記載されていた。
そして裏側には、幸也の携帯番号と学校名がボールペンで書かれていた。
幸也の父親は不動産業を営んでいるらしい。今の肩書きは副社長だが、田代守はいずれその後を継ぐようだ。
「たしろゆきや」
僕は事ある毎にその名前をつぶやいた。
それはおまじないのような物だったけれど、今のところその効果はまったく出ていない。
幸也の携帯の番号を知って以来、僕は何度彼に電話をかけたか分からない。
多分この5日間で、300回以上はかけたと思う。
でも電話は一度も繋がらなかった。呼び出し音は鳴っているのに、幸也は電話に出ようとしなかったんだ。
その間に、彼の通う高校へも行ってみた。登校する生徒たちを食い入るように見つめて、その中に幸也の姿を探したんだ。
それでも全然ダメだった。田代守の言う通り、彼は学校をサボっているようだ。
それだけじゃない。僕は幸也の行きそうな場所を特定して、片っ端から行ってみた。
待ち合わせをした公園とか、うさぎの看板の下。
他には2人で行ったホテルの付近や、ファーストフード店なんかも見かけるたびに中を覗いた。
しかし彼はどこにもいない。この5日間で分かった事は、たったのそれだけだった。
ところで幸也は何故家を出たんだろう。
それについては、田代守は心当たりがなさそうだった。しかし人間が行動を起こすには、当然それなりの理由があるはずだ。
家出を継続するのは、精神的にも金銭的にも相当つらいと思う。
なのにそれをやるという事は、よっぽど家に帰りたくない事情があるんだろう。
そういえば彼と最後に会った日にも、「帰りたくない」という言葉を口走っていた。
こうしていろいろ考えると、この一連の行動を反抗期で済ませるのは、ちょっと短絡的だという気がした。
ただ今は、そういう事はどうでもいい。
僕はとにかく幸也の事が心配でならなかった。
毎晩どこで寝ているのか。金は持っているのか。ちゃんと食事は取っているのか。
今1番気になるのは、そういう事だ。
特に最近は寒くなってきたから、本当に心配だ。なのに自分は、あまりに無力だった。
僕は幸也に何もしてやれない。それが悔しくて、時々涙が出そうになる。
金に困っているなら、財布の中身を全部渡したい。寒くて凍えているなら、今すぐ抱き締めてあげたい。
僕のこの気持ちは本物だ。彼を思う気持ちだけは、どこの誰にも負けないつもりだった。
けれど今夜も、何もできないまま夜が更けていく。
お腹は満たされているし、布団の中は温かい。でも彼の事が心配で、今日もすぐには眠れそうにない。
眠れない夜は、マスターベーションをするに限る。これは今始まった事ではなく、昔からの習慣だ。
暗闇の下でモゾモゾとパンツを下ろし、慣れた手つきでペニスを擦る。
妄想の中では、幸也に何でもしてあげられる。裸の彼を抱き寄せて、キスをしたり、好きだと囁いたりするのも簡単だ。
その一方で、現実に身を置くという事はとても厳しい事なんだと感じる。
マスターベーションの終わりは、妄想の終わりでもある。
心身共に現実に戻ると、そこにあるのは暗闇だけだ。幸也の姿も温もりも、何1つ見当たらない。
それでも刹那な幸せを求めて、毎晩ペニスを擦るんだ。
家出をしている彼の現実も、恐らくこれと似たような物ではないだろうか。
そう思うと、僕はますます眠れなくなる。