17.

 全然寝た気がしなかった。でもきっと、体は少しは眠っていたんだろう。
僕は椅子に座ってウトウトしながら、時々目を開けて幸也の様子を伺っていた。 夢か現実か曖昧な中で、隆起した布団の形が変わっていないかを確かめていたんだ。
目が覚めると、幸也がいなくなっている。
そんなふうになるのは絶対に嫌だったから、一晩中彼を見張っていたというわけだ。

 狭い椅子に長い時間座り続けるのは、とてもつらい。深い眠りに堕ちそうになると、必ず腰が痛くなって目が冴える。
そんな状況下で、僕は決意した。
幸也を家に帰すのはやめよう。そんな事をしたら、彼が壊れてしまいそうだから。

 その結論を出すまでは、ショックで眠れなかったというのが本音だ。
家出の訳がこれほどのものだなんて、思ってもみなかった。
幸也は田代守と体を重ねた。恐らく彼らは、何度も何度もそうしたんだろう。
それもショックだったけれど、それ以上にショックだったのは、彼が兄を愛しているという事実だった。
「兄貴は俺を裏切ってあの女と寝たんだ」
幸也のセリフが頭の中で何度も再生され、そのたびに心臓を撃ち抜かれたような衝撃を感じる。
兄にセックスを強要され、それが嫌で家を飛び出した。
それが家出の原因なら、どんなに良かったかと本気で思う。
でも、違うんだ。幸也は兄を愛しているんだ。だからこそ彼の裏切りに耐え切れなくて、1人家を飛び出したんだ。

 それを理解し受け入れる事は、僕にとってきつい試練だった。 でも幸也の立場になってみると、もっともっとつらくなる。
兄に裏切られただけでもショックなのに、その結果とんでもない結末が彼に突きつけられてしまった。
兄の浮気相手が妊娠し、間もなく彼女は子供を生む。
それはあまりに残酷な現実だ。もしも自分が幸也の立場なら、家出ぐらいじゃ済まないだろう。
場合によっては、死を選ぶかもしれない。もしくは兄に復讐する事を考えるかもしれない。
これはそれほど重大な出来事だ。だからこそ、彼を家に帰してはいけないと思うのだった。

 それにしても、田代守は何故こんな状況を招いてしまったのか。僕にはそれが、1番の謎だった。
彼は頭のいい男だ。一度しか話した事はないけれど、そのぐらいの事はすぐに分かる。
しかしそれにしては、やる事があまりにお粗末だ。
これは勘でしかないが、彼は女を愛してはいないだろう。
それでいて彼女と寝たのは、気まぐれだったのか、それとも単なる遊びだったのか。その答えは、本人だけが知っている。
でもそれはどっちでもいい。
問題は、彼女が妊娠したという事だ。その事実が話をややこしくしてしまった事は、もはや言うまでもない。
田代守は、こうなる事を避けられなかったんだろうか。 彼のように頭のいい男なら、もっとスマートに浮気ができそうなのに……
それとも幸也との関係を終わらせるために、わざとこんな状況を作り上げたのか?
そうも考えたけれど、それはあまりに非現実的だった。


 そうやって考えているうちに、また腰に激痛が走った。
体を少し前のめりにして、小さくそっと息を吐く。それから僕は、覗き込むようにしてベッドの上を見つめた。
するとそこには、隆起した布団はもうなかった。その代わりに、裸の幸也がちょこんと座っていた。
「そろそろ会社に行く時間じゃないの?」
彼は淡々とそう言った。黙って腕時計を見ると、すでに朝の8時だという事が分かった。
ラブホテルの窓は雨戸で塞がれていて、外の光は一切入ってこない。 だから僕は、朝がやってきた事にまったく気付いていなかった。
「今日は休むよ」
短く返事はしたものの、その声は異常に掠れていた。 ほとんど徹夜明けに近い状況のせいか、視野が狭いし頭はクラクラする。
そんな時でも、幸也の肌の輝きだけはしっかりと分かった。
荒んだ暮らしをしていても、若さはちゃんと保たれている。幾らか痩せてしまったとはいえ、やはり彼は魅力的だった。
「ずっとそんな所で寝てたの? どうしてこっちに来なかった?」
幸也が淋しげに俯いた時、胸に激しい痛みを感じた。そして僕は、すぐに立ち上がった。
違うよ、違う。
田代守と寝たからといって、君に嫌悪感を抱いたりはしない。
ただ、少し考えたかっただけなんだ。これからの事を、ちゃんと自分で決めたかったんだ。


 僕はおぼつかない足取りで幸也に近付き、本能のおもむくままに行動した。
抱き締めて、キスをして、もどかしさを感じながら洋服を脱ぎ、むき出しになったペニスを彼に献上したんだ。
2人がベッドで絡み合うのは久しぶりだった。
体は疲れているはずなのに、ペニスはちゃんと反応していた。 幸也の指が少しでも触れると、ビリッと強い電流が全身を駆け抜ける。
同時に乳首を舐められた時、僕は大きく叫んでいた。それがしばらく続くと、喉はすっかりカラカラになった。

 しだいに体が熱くなり、1秒毎に興奮が高まってくる。
僕はすでにペニスを濡らしていた。 幸也は湿ったそれを指で操りながら、冷たい目で僕の顔を見下ろした。
舌が乳首を離れても、その感触はまだはっきりとそこに残っている。
「ん……」
掠れた声で喘ぎつつ、右手を柔らかな頬に伸ばす。
黄色の光に照らされる顔は、彫刻のように美しく見えた。僕が微笑みかけると、彼の目が少しだけ優しくなった。
右手は頬をすり抜け、幸也のペニスをぎゅっと掴んだ。 意表をつかれた彼は体の力が抜けてしまったようで、ゆらりと僕の胸に倒れこんだ。
硬くて熱いペニスを擦ると、指先にまでその熱が伝わってくる。
彼の体は、僕を欲している。それが分かった時は、ますます興奮した。
僕のと同じように、幸也のペニスもすぐに濡れ始めた。人さし指と親指に、ヌルヌルしたものがまとわりつく。
「気持ちいい……」
小さくつぶやいた後、幸也の唇が僕の胸を強く吸った。 そこにキスマークが刻まれた事を思うと、とても嬉しい気持ちになった。
彼が豹変したのは、その後だった。
素早い動きで腰を浮かせ、僕の上にサッとまたがる。すると間もなく、2人の体が1つになった。
今日の幸也は激しかった。好き勝手に腰を振り、ベッドを揺らして何度も僕の体を跳ねらせる。
体は密着しているのに、彼の乱れた髪が遥か遠くに見えた。僕にとって彼は、近くて遠い存在だったのかもしれない。
「あ、あぁ……!」
すごく気持ちがよくて、狂ったようにまた叫んだ。ペニスはびしょ濡れなのに、喉にはまったく潤いがない。
緩やかな快感はずっと続いていた。更に数秒毎に、絶頂と思える時がやってくる。
遠くの方で、幸也が喘ぐ。
快感の度合いが上昇し始めると、目の前で火花が散る。
彼とのセックスはまるで麻薬だ。一度はまってしまうと、もう二度と手放せなくなる。


 これほど感じていながらも、何故かセックスに没頭できない自分がいた。
一晩中そうしていたせいで、考える事が癖になってしまったのかもしれない。
全身が快感に包まれると、また大きな疑問が頭に浮かんだ。
幸也とのセックスは、半端じゃないほど気持ちがいい。 もしも同じ家に住んでいたら、いつでも自由自在にこの快感を得られるわけだ。
それなのに、田代守は何故別な人と寝たりしたんだろうか。
もしかするとほんの気まぐれだったのかもしれないけれど、その行動は僕には到底理解できなかった。