22.

 外が暗くなると、大樹と2人で夜の街へくり出した。
この時俺は学ランを着て出かけた。大樹と一緒に、学ラン姿で外を歩きたかったからだ。
電車を乗り継いで繁華街へ行くと、最初に目に付いたのがうさぎの看板だった。
ほんの一瞬だけ、折戸の顔が頭をよぎる。でもそれは、ネオンのまぶしさにあっさりと呑み込まれていった。
「カラオケに行こうぜ」
北風に髪をなびかせて、大樹がそっと微笑む。
それから俺たちは、すぐに近くのカラオケボックスへと直行した。

 案内された部屋は、たばこの匂いがした。外は寒かったけれど、ここはとても暖かい。
2人並んでソファーに座ると、まずは食事のメニューを開いて見た。
腹が減っていたので、チキンカレーとコーラを2つずつ注文する。 早速それが運ばれてくると、今度は部屋の中にカレーの匂いが充満した。
「幸也、先に歌えよ」
そう言われて、肉を噛み締めながら歌の本を開く。 最近の新曲はよく分からないので、とにかく知っている歌を探すためにパラパラとページをめくった。
するとその時、大樹の携帯電話が鳴り出した。聞き覚えのある着信音はほんの2〜3秒で途切れ、すぐに通話が始まった。
「もしもし。あぁ、俺だよ。今? 幸也と2人でカラオケ中」
それを聞いただけで、電話の相手が誰なのか分かった。
彼の声には、緩やかな優しさが感じられる。その時電話をしてきたのは、付き合って2年になる大樹の彼女だった。
あまり深くは考えないようにしていたのに、急に強い不安が心に広がっていく。
折戸は最近電話に出てくれない。そして彼の方から電話してくるような事もない。
俺が連絡を絶った時は1日に100回もの電話をかけてきたというのに。その彼が、今は1週間以上も連絡をしてこないでいる。
結局俺は、彼に必要とされていないという事なんだろうか。もしかすると彼だけではなく、他の誰にも必要とされていないのかもしれない……
「お前ちょっと鼻声じゃない? 風邪ひいたのか?」
大樹は時々コーラを口に含みながら、彼女との会話を続けている。
この部屋唯一の照明は、テレビの放つ青い光だった。その控えめな青が、突然ネオンのようにギラギラと輝いたような気がした。
まただ。
今日二度目の、フラッシュバック。
俺は強く輝く光の奥に、中学生の頃の自分を見た。


 2年2組の教室は、日当たりが悪くていつも寒々としていた。 学校の隣のマンションが、太陽の日差しをもろに遮っていたからだ。
それでも昼休みになると、黒板の前に5人の男子が集まって熱い議論を交わし始める。
彼らは同じ塾に通っていて、そこの若い女の講師に性的な興味を抱いているようだった。
「昨日先生が椅子に座った時、パンツが見えたよ」
「それより昨日は、ブラジャーが透けてただろ」
話はそんなところから始まって、そのうちにだんだんエスカレートしていく。
「先生が前かがみになった時、なんとか胸が見えないかな?」
「机の足につまづいたフリをして、抱き付く事はできない?」
「そうだ。塾の模試で成績が良かったら、先生とやらせて欲しいって言ってみるのはどう? 皆の成績が悪いと、先生は責任取らされて講師をクビになるらしいじゃん。 だったら俺たちがやる気を出すように、少しはサービスしてくれてもいいと思うけどな」
「それがうまくいけば、模試のたびに先生とやれるね」
話はこんなふうにどんどん膨らんでいき、最終的には皆で彼女をレイプする計画にまで発展する。
まずは暴れないように体を押さえ付け、次に声を出せないように口にタオルを詰め込み、スカートをめくり、パンツを脱がせ、1人ずつ交替で彼女を犯す。
話がその段階に差し掛かると、彼らは誰が1番に先生を抱くかを争い始める。
俺と大樹はそんな不毛な争いを、いつも遠くから呆れ顔で眺めていた。

 それについて大樹が語ったのは、後にも先にも一度きりだった。彼はいつも、大切な事は一度しか言わない。
木の葉が色付く秋の夕暮れ時。学校の帰り道で、彼は静かに語った。
「あいつらの話は、本当に聞いてられないな。女子が怒り出すのも分かるよ」
その日の昼休み、2年2組の教室は修羅場と化した。
いつもの連中がレイプの計画を練っている時、それを聞いていた女子がとうとう怒り始めたんだ。
「教室でいやらしい話をしないでよ! どうしても話したいなら、ここから出て行って!」
最初に口火を切ったのは、学級委員の田畑さんだった。彼女は普段は温厚な人なのに、その時は鬼のような顔をして怒っていた。
「そうだよ。あんたたち出て行ってよ!」
「いつも変な話ばかりして、耳が腐るから消えてくれない?」
「私たち、もう本当にうんざりしてるんだから!」
田畑さんの後に、他の女子も次々と続いた。教室で大喧嘩が始まったのは、それからすぐ後だった。
文句を言われた男の1人が、田畑さんに近付いて強く髪を引っ張る。すると長くて黒い髪の毛が、床の上にパラパラと舞い落ちた。
それに怒った女子たちが、彼女を守るために応戦する。
誰かが興奮して机をひっくり返すと、教室の中に大きく悲鳴が響いた。
セーラー服の襟を掴まれ、床の上に倒される女。後ろからぶん殴られて、その場にうずくまる男。
それはもう大変な騒ぎだった。男も女も入り乱れて、教室の真ん中で掴み合いの喧嘩が始まったんだ。
学ランのボタンが飛び散り、埃が宙を舞い、椅子が床に叩き付けられる。
そんな光景にショックを受けて、泣き出す女もたくさんいた。
中には喧嘩を止めに入った人もいたけれど、皆興奮しすぎてそいつの言葉なんか誰もまともに聞いていなかった。
知らないうちに教室の戸が開いていて、その向こうには騒ぎを聞き付けた野次馬が大勢陣取っていた。
その頃には、教室にある机の半分ぐらいが倒されていた。そして、床にはノートや教科書が散乱していた。

 大樹は角ばった石ころを強く蹴り、夕日を睨んで大きく息を吐いた。
彼は物静かな男だけれど、その時の様子からは激しい怒りが感じられた。
「あいつらはバカだ。 セックスは愛を確かめ合うための行為なんだから、両思いの相手とやらなきゃ無意味だろ。 そんな簡単な事も分からないなんて、あいつら正真正銘のバカだよ」
俺がその言葉にどれほどショックを受けたか、当時の大樹は分からなかっただろう。
少し前を行く大樹の背中が、一瞬遥か遠くに見えた。
彼の言葉は、すべて自分に向けられているような気がしてならなかった。 だって俺は、間違いなく大樹の言うバカの一員だったから。
セックスは、愛を確かめ合うためのもの。そんなの俺は、考えた事もなかった。
俺にとってセックスとは、快楽を得るためのものでしかなかった。本当に、それ以上でもそれ以下でもなかった。
お前は兄貴が好きか?
もしもそう聞かれたら、俺はきっと頷いただろう。でもそれは、大樹の言う愛とは少し違うような気がしていた。
じゃあ兄貴は? 兄貴は俺の事、いったいどう思っているんだろう……