10.

 彼と初めて愛し合った日から8日目。この日ようやくやっちゃんの部屋の窓が開いた。
学校帰り。外からその窓の薄いカーテンがヒラヒラなびいているのを見た時、 僕は家へ寄る間も惜しんですぐにやっちゃんの部屋へ向かった。
アパートの階段を上がる事さえもどかしい。彼の部屋の窓が開くのは僕が待ちに待った瞬間だった。

 彼は相変わらず上半身が裸で、下だけジーパンという姿で部屋にいた。
僕は白いドアを開けて玄関へ入った途端、出迎えた彼に唇を奪われた。最初から腰が砕けそうなほど激しいフレンチキスだった。
そして彼は有無も言わせず僕を抱き上げ、すぐにベッドへ連れて行った。 掃除が苦手なやっちゃんの部屋は相変わらず散らかっていたけど、この日の彼はそれを片付けようともしなかった。
僕は彼の積極性に驚き、うろたえていた。そして彼も僕と同じようにこの日を待っていたんだという事に気がついた。
その時の僕は彼の肩につかまって、体が床へ落ちないようにする事で精一杯だった。
それから間もなくベッドの上に下ろされ、二度目のキスだ。
まだ彼の部屋へ来てから1分足らずなのに、僕のはもうガチガチに硬くなっていた。
やっちゃんはキスの天才だった。僕はその時キスだけで射精してしまいそうなほど感じていた。
腰と腰が重なり合ってぶつかった時、彼の方も硬くなっている事が分かって興奮した。
やっちゃんの唇が僕を離れると、僕の唇からやっちゃんの唇へスーッと細い糸が引いた。 彼はそれを見てクスッと笑い、もう一度僕に軽いキスをしてくれた。
やっちゃんの優しげな目と薄い唇と部屋の中に差し込む太陽の光と…とにかく、この部屋のすべてが今日は僕だけのものなんだ。 そう思うとますます興奮した。

 彼はこの前とは違って、今日はまず僕のワイシャツのボタンを1つ1つ外していった。 下だけ裸なのも恥ずかしいけど、上だけ裸なのも僕にとっては同じぐらい恥ずかしかった。
僕はもうその時体中に薄っすらと汗をかいていて、窓の外から入り込む光が僕の胸の汗を光らせていた。
やっちゃんが僕の両手をシーツの上に押し付け、敏感なピンク色の乳首にキスをする。そうしてもらうとものすごく気持ちがよかった。
でも、外から入ってくる強い風の音がどうしても気になってしまう。
「やっちゃん…」
僕が彼を見上げてもじもじしていると、彼はクスッと笑って一度ベッドを離れた。彼は何も言わなくてもちゃんと 僕の言いたい事を分かってくれた。
僕はその後すぐに頭の上に響くガラガラ、バタン。という音をしっかりと聞いた。
「これでいい?照れ屋さん」
彼が勢いよくベッドに飛び乗り、スプリングが大きく唸りを上げた。
彼はシャワーに入ったばかりのようで、まだ髪が少しだけ濡れていた。彼の全身から漂うせっけんの香りに酔ってしまいそうだった。
僕は上になっている彼の白っぽい乳首を指でつまんだ。すると彼が小さく声を上げて僕のすぐ隣へ倒れた。
やっちゃんは枕に頭を押し付けて無防備に体を投げ出した。僕は彼に抱き寄せられ、しばらくやっちゃんの乳首を舐めていた。
「上手だね。まだ赤ちゃんだからかな?」
僕をからかうような言葉を口にしながらも、やっちゃんは気持ちがよさそうだった。
彼が感じていると、僕まで気持ちがよくなってくる。
二度目のローションも、僕の中をかき回す彼の指も、腰への圧迫感も…その日はすべてが気持ちよかった。

 激しく愛し合った後、僕らはベッドの上に寝そべって休憩をした。
やっちゃんも僕も、しばらく黙って白い天井を見つめていた。 時々裸になった彼の胸を見ると、白い肌が大きく上下運動を繰り返しているのが分かった。 でもそれは、僕も同じだった。
彼が身の上話を始めたのは休憩に入って5分が過ぎ、お互いの息が整った頃の事だった。
「僕が自分の価値を知ったのは、14歳の時だった。その頃実家の近所のアパートに30歳のサラリーマンが引っ越してきて… 夏のある日、その人の部屋へ連れ込まれてレイプされたんだ。 あの時は心も体も痛くて、もう死んじゃうかと思った。でも…ベッドの上で泣きじゃくる僕の目の前に2枚の10000円札が かざされた時、すぐに涙が止まった」
やっちゃんはボソボソと、淡々とそんな話をした。
僕は枕の上に頭を乗せたままやっちゃんの横顔を見つめた。だけど彼の目を見ても…なんの感情も読み取れなかった。 ただ彼のまつ毛があまりにも長くて…またそれだけでドキドキした。
微かに香る彼の汗の匂いはとても心地がよかった。彼をせっけんの匂いから汗の匂いに変えたのは…この僕だからだ。
「僕の家はあまり裕福じゃなかったから、子供の頃から欲しい物は自分で手に入れなくちゃいけないと当たり前のように思ってた。 大学へ進学するための入学金と4年分の授業料は高校を卒業するまでにこの体を売って貯えたんだ。 チャランポランに見えるかもしれないけど、僕はこれでも苦労人なんだよ」
真っ直ぐ上を見ていたやっちゃんが僕の方へ体を向け、僕たち2人は見つめ合った。
やっちゃんの目はとても優しかった。僕が手を伸ばして彼の頬にそっと触れると、彼は気持ちよさそうに目を閉じた。
彼のまつ毛が光っているのは涙のせいだったんだろうか。それとも、窓の外から入り込む光のせいだったんだろうか。
「こうして稼いだお金を残そうとは思わない。毎月30万稼いだら次の月まで客は取らない事にしてる。 それだけのお金があれば家賃も払えるし、大学の友達とも適当に遊べるし… 僕のやってる事を知ったら皆はきっと僕を軽蔑すると思うけど、体を売って暮らすのは結構きついんだよ。 僕の客は皆クソヤローばかりだしさ。客が皆坊やみたいな人ばかりだったら、僕はすごく幸せなのにな…」
やっちゃんは目を閉じたままそうつぶやいて、頬に乗せた僕の手に自分の手を重ねた。
その時まで気付かなかったけど、やっちゃんの手首にはこの前にはなかった青あざができていた。

 その時、部屋の中に突然明るいメロディーが流れた。それは僕の携帯電話の着信音だった。
やっちゃんはその音を聞いてパッと目を開けた。
僕は慌てて起き上がり、埃っぽい床の上に投げ出されたリュックの中から携帯電話を取り出した。そしてまず液晶画面を見て 電話をかけてきた相手が誰なのかをたしかめ、すぐに電話を繋いだ。
「もしもし、母さん?」
僕は裸のままベッドの上に正座して、やっちゃんの目を見ながら電話を取った。
するとやっちゃんはニヤリと笑い、モゾモゾと布団に潜りながら僕に忍び寄ってきた。
「シュンちゃん、今日帰ってくるの遅くなる?」
電話の向こうから、高音な母さんの声が聞こえてきた。
そして僕が母さんに返事をしようとして息を吸った時、正座している僕の足元に突然やっちゃんの頭が現れ… 彼は僕自身を温かい舌で舐め始めた。
射精したばかりで小さくなっていたそれは、刺激を受けてあっという間に元気を取り戻し始めた。
やっちゃんの揺れる髪が太ももをくすぐる。彼の両手が僕のお尻をぎゅっとつかむ。ベッドがまた…小刻みに揺れる。
「…少し遅くなる」
僕は目を閉じて、必死に普段通り話そうとした。あっという間に快感が体中を駆け巡り、母さんの声が遠く感じた。
「母さんこれから急な仕事で出かける事になったの。カレーを作っておいたから、帰ってきたら温めて食べてね」
「えっ?」
僕は体中を駆け巡る快感も忘れ、突然冷静になって母さんの言葉を聞き返した。
4日前 図書館の中から見た母さんの姿が頭の中に鮮明に映し出される。
「なるべく早く帰るようにはするけど…」
「分かった。行ってらっしゃい」
僕は早々と電話を切った。 その後携帯電話をベッドの上に投げ捨て、名残惜しいけどやっちゃんの顔を跳ね除けてベッドを飛び下りる。
僕はそれから床に散らばるやっちゃんの洋服に足を滑らせながら走って窓へ近づき、塀の向こうに見える家の玄関を見つめた。
玄関のドアはそこから見ると右斜め下に位置していた。しかもドアはアパート側ではなく広い道路側を向いているから、 恐らくそのドアが開いて母さんが家から出てきても、僕がここから見ている事には気付かれないだろう。
塀の向こうの物干し竿には洗濯物が1枚もなかった。母さんはきっと出かける前に洗濯物を取り込み、僕のためにカレーを作り、 母親としてやるべき事を全部済ませてから家を出るつもりだったんだ。

 「坊や…嫌だった?」
何も知らないやっちゃんは、少し悲しそうな声を僕の背中に浴びせた。 僕は慌ててベッドの側へ戻り、シーツの上に裸で座り込んでいるやっちゃんの唇へ短いキスをした。
やっちゃんは不安そうな目で僕を見上げ、それから泣きそうな顔をして俯いてしまった。
「嫌じゃないよ。すごくよかった。でも…僕行かなくちゃ。ごめんね、やっちゃん」
僕は彼にそれだけ言うと足元に転がっているワイシャツと制服のズボンを抱えて再び窓の側へ行き、 薄いカーテン越しに見える家の玄関を監視しながら急いでワイシャツを羽織った。
灰色の塀の向こうにあるドアはまだ開く気配がない。
「用事ができたの?」
背中にまたやっちゃんの声が浴びせられる。それでも僕は振り向かず、ずっと窓の向こうのドアを見つめていた。

 そのドアが開いたのは、僕がズボンを履いて靴下を片方手に持った時だった。 大きく開かれたドアの表面に太陽の光が反射して、僕は一瞬幻惑された。
母さんはよそ行きの洋服を着て家から出てきた。それは今まで僕が見た事のない薄い黄色のスーツだった。
もう靴下を履いているヒマなんかない。
僕は靴下とリュックを手に持ったままもう一度ベッドの上に裸で座り込むやっちゃんへ近づき、軽くキスをした後アパートの 玄関へ走りながらできる限りのフォローを口走っていた。
「急な用事ができちゃった。だから僕、行かなくちゃ。やっちゃんダイスキ。明日も窓を開けておいてね」
早く外へ飛び出したいのに、靴下を履いていない事で足の滑りが悪く、スニーカーがすんなりと履けない。
僕はトントンとつま先を玄関の灰色の床に押し付け、振り返る事もなく薄暗いスペースを後にした。

 僕はあまり足が早くない。
外へ出てからはアパートの階段を駆け下り、息を切らしてとにかく走った。 やっちゃんと愛し合った事で随分体力を使っていたから、息切れの仕方はハンパじゃなかった。
午後4時。外は暑かった。
新興住宅地の景色はいつもと何も変わりがない。
僕は時々門の奥から顔を出す青木さんちのプードルに吠えられ、吉田さんちの車庫の前を走り抜け、 通りに並ぶ立派な家に見守られながら母さんの足跡をただひたすら追いかけた。
母さんを追いかけなきゃ。
その時僕の頭にあったのは、その事だけだった。