12.

 翌日。僕はこんな時でもちゃんと学校へ通っていた。
でも授業なんかまったく上の空で、その日1日学校で何をしていたのか全然記憶がない。
1時間目が何の授業だったのか、2時間目は何だったのか、給食のメニューは何だったのか…本当にそんな事はまったく記憶になかった。

 放課後。僕は重い足取りで帰宅するべく外を歩いていた。でも、家に帰りたくなんかなかった。
今朝の母さんはひどくご機嫌で、今日の夕食はシュンちゃんの好きな焼肉にするから早く帰ってきてね、とニコニコ微笑みながら僕に言ったんだ。
母さんは今頃家にいる。家にいて、僕の帰りを待っている。
僕はどんな顔して母さんを見つめたらいいのか分からなくなっていた。
昨夜はベッドの中で僕なりに母さんがどうしてあんな事をするようになったのか考えてみた。
母さんは浮気をしているわけじゃない。仕事として男と寝ているんだ。その結論は、僕の心の中で固まりつつあった。
最初に図書館の中から母さんの姿を見た時すでにそんな予感はしていた。
あの時母さんと一緒にいた男は遠めに見てもブサイクで、母さんがあんな男と浮気をするとは到底考えられなかった。
それに母さんはパートを始めて以来、間違いなくリッチになっていた。 最近はしょっちゅう僕が見た事のない洋服を着ていたし、ブランドもののバッグを持つようになった。
その事だけを考えても、母さんが何かの形でお金を稼いでいる事は明らかだった。
でも僕は、不思議とそんな母さんに対して嫌悪感を抱く事はなかった。それはきっと、僕がやっちゃんと出会ったからだ。

 今までは深く考えた事がなかったけど、きっと父さんと母さんの間にもうセックスはない。
父さんはいつも深夜まで家に帰らない。そして母さんはその父さんを待たずに眠ってしまう。 それに…ずっと前から2人の寝室は別々だった。
少し前の僕なら、どんな理由があれ父さん以外の男と寝た母さんを薄汚く感じただろう。
でもやっちゃんと出会った後の僕には母さんの気持ちが少し分かった。
母さんはきっと淋しかったんだ。
セックスに代わるものなんか、きっとこの世には存在しない。
いくら趣味に興じても、他の事に一生懸命になっても、あれには代えられない。僕はやっちゃんと出会ってその事を知った。
僕は彼と愛し合うようになってからマスターベーションをしなくなった。 それは…その行為自体がひどくつまらないもののように思えたからだ。
好きな人とセックスをすると、他の事がすべて無駄のように思えてしまうんだ。
もしかして、悪いのは父さんの方なのかもしれない。 母親としても女としても完璧なあの母さんを長い間放っておいたのは父さんなんだから。

 夏の太陽が、ちっぽけな僕を照らしていた。
僕は眩しい太陽を見上げ、右手を空へかざした。
本当は…分かっていた。母さんがした事に対しては、僕にも責任がある。
僕はいつから母さんと話をしなくなったんだろう。 いつリビングから遠ざかり、自分の部屋へこもるようになったんだろう。
今でも母さんの事が大好きなのに、どうしてもっと話をしなかったんだろう…
母さんに淋しい思いをさせたのは、きっと父さんだけじゃない。僕だって父さんと同罪だ。

 「はぁ…」
僕は道の真ん中でため息をつき、足元に転がっていた石ころを蹴った。
街路樹の葉が風に揺れ、微かに緑の匂いがした。同じ風が地面のサラサラな土を舞い上げ、埃が目に入って涙が出てきた。
「痛い」
僕は独り言をつぶやいて、右手で両目を擦った。
そして少し風が止んだ後顔を真っ直ぐ前へ向けると…視線の先に何か光り輝く物を発見した。
優しげな目。高い鼻。薄い唇。あまり日焼けしていない綺麗な顔。
茶色に染めた髪は木の葉と共に揺れていたけど、彼は黒いキャップを頭にかぶってその揺れを止めた。
彼は立ち止まったままでつばに手を掛け、キャップの位置を整えた。彼はその瞬間、天使のような微笑を僕だけにくれた。
「やっちゃん!」
僕はその時、今日初めて独り言ではない言葉を口にした。
僕はあまり足が早くない。でもその時は自分にできる全速力で彼に駆け寄った。
その時道に人影はなかったけど、通りかかった誰かに見られる危険性はもちろんあった。
でも、それでも構わない。僕は迷わず彼に駆け寄り、薄いティーシャツを着たその胸に飛び込んだ。
そしてやっちゃんは、そんな僕をちゃんと受け止めてくれた。
やっちゃんは、せっけんの匂いがした。僕は彼の温もりに触れると嫌な事を全部忘れてしまう。
僕は彼の胸に顔を埋め、幸せを感じながらそっと目を閉じた。