14.

 次の日僕は、授業が終わると急いで家へ帰った。
やっちゃんは今日、どうしても抜けられない用事があって僕に会えないと言っていた。
そして母さんは…仕事で夜遅くなると言っていた。

 その日の空は曇っていた。天気予報は夜遅くに雨が降り出すと告げていた。
僕は家の前に着くとすぐにドアを開けて玄関へ入り、背負っていたリュックを廊下に投げ出した。
当たり前だけど、家の中は静かだった。それはとても冷たい静けさだった。
僕は靴を脱ぎ捨てて家へ上がると、リビングへも自分の部屋へも行かず、真っ直ぐに母さんの部屋へ向かった。
母さんの部屋は1階の1番奥だ。そこは家の中でもっとも日の当たらない部屋だった。
茶色い木のドアの前に立ち、銀色に光る取っ手のノブをつかんで手前に引くと、ドアがキィーと奇妙な音を上げた。
そっと母さんの部屋へ足を踏み入れると、その部屋は…女の匂いがした。

 母さんの部屋には当たり前な家具が並んでいた。
左の壁際にはクローゼットと背の高いたんすがあり、右の壁際には鏡台と本棚がある。
鏡台の上にはたくさんの口紅や箱に入ったコットンが置かれていた。母さんはきっとここで…母親から女に変身を遂げるんだ。
鏡台の鏡は縦に細くてとても大きく、そこには僕の全身が映し出されていた。
僕は鏡の中の自分と目が合った。色白で頬がぽっちゃりしていて…一重まぶたのせいか少し目が腫れぼったい。 そして胸板は薄く、白いワイシャツを着ていてもその事は一目瞭然だった。
僕はしばらく鏡の中の自分と見つめ合った。右手の指で小さな唇に触れると、鏡の中の自分も同じ仕草をした。
僕はその時、自分の目がやっちゃんの目になったような錯覚に陥っていた。
鏡の中の自分を見つめると、僕がいつもやっちゃんの目にどんなふうに映っているのかがよく分かった。
今はちゃんとワイシャツを着て制服のズボンを履いているけど、彼には裸になった姿も全部見られてしまった。 そんな事を意識すると、すごく恥ずかしくなってくる。
母さんもこの鏡に自分の姿を映した時、僕と同じような事を考えたりするんだろうか。
その時僕は、まだ少し迷っていたのかもしれない。でも結局こうするのが1番いいと鏡の中の自分に言い聞かせた。
自分が行動を起こす事ですべてがうまくいく。僕はそう確信し、意を決してたんすの引き出しに手を掛けた。

 母さんは大昔、一度だけ僕にヘソクリのありかを教えてくれた事がある。 それはよくありがちな、たんすの引き出しの中だった。
僕は6段あるたんすの引き出しを上から順に開け、母さんのヘソクリを探した。 ティーシャツも、下着も、1枚ずつ丁寧にめくって札束を探す。僕には絶対にヘソクリを見つけ出す自信があった。
人の習慣というのはなかなか変えられるものではない。僕だって少ないヘソクリを隠す場所はいつも決まっている。 それは、いつも同じ場所へ置いておかないと気持ちが悪いからだ。
だからきっと、母さんだってそうに決まっている。
本棚の横には小さな窓があり、そこから微かな外の光が部屋の中へ差し込んでいた。
僕は薄暗い部屋の中で、その光だけを頼りに母さんのヘソクリを探し続けた。

 3段目の引き出しを開けてみる。
僕はまず白いサマーセーターと赤いティーシャツの間に手を入れた。 するとその時、衣類とは違う感触の物が指に当たった。
心臓がはち切れそうなほどドックン、ドックンと脈打っている。
僕は指に触れた物をしっかりとつかみ、ゆっくりとそれを取り出した。
僕の手の中にある物は、ぶ厚い茶封筒だった。その封筒はずっしりと重く感じた。
その中に入っている物を、ゆっくりと引き出してみる。その中から出てきたのは、想像以上の物だった。
トランプのようにパラパラとめくった数十枚の薄っぺらい紙。それは、すべてが10000円札だった。
母さんのヘソクリは思った以上に多かった。それを今度は不器用な両手で数えてみる。

1枚…2枚…3枚…

 それをすべて数え終わるまで、何分の時間を費やしただろう。それはきっと、2分か3分の短い時間だったはずだ。
わずか2〜3分で数え終わってしまうお金を…母さんはいったい何時間かけて、何人の男と寝て稼いだんだろう。
10000円札は、全部で93枚あった。
母さんがパートを始めたと僕や父さんに言ったのは…たしか3ヶ月か4ヶ月ぐらい前の事だった。
たくさん洋服を買ってブランドもののバッグを持つようになっても、母さんはまだこれだけのお金を貯えている。
僕はその時、妙に淡々とした満足感があった。
僕は母さんが父さん以外の男と寝る事に対してまったく嫌悪する事がなかった。 母さんがそうしたいのなら、それはそれでいいと思っていた。
でも…僕のダイスキなやっちゃんが僕以外の男と寝る事に対しては強い嫌悪感を抱いていた。
それを辞めさせる手立てがあるのなら、どんな事でもする覚悟ができていた。
僕は日の当たらない部屋でたんすの前に立ち、茶封筒の中から取り出した札束をじっと見つめていた。
やっちゃんが必要としているお金は、月30万。ここにあるお金を使えば、3ヶ月間彼を僕だけのものにできる。
これさえあれば、彼の物欲も性欲も全部僕が満たしてあげられる…