5.
2学期の始業式が終わった後。
僕は学校帰りに真っ直ぐやっちゃんの部屋へ行った。
どうしてそんな事をしたのかは自分でもよく分からない。
でも僕自身がよく分かっていない事を、やっちゃんはちゃんと分かっていた。
やっちゃんの部屋のドアは白かった。ドアの真ん中あたりには郵便受けがあって、
そこには色の派手なチラシが何枚か挟まれていた。
その時やっちゃんが部屋の中にいるかどうかは全然分からなかった。
でもドアの横に付いているインターフォンを二度押すと、中からゆっくりドアが開いて
ティーシャツとジーパン姿のやっちゃんが顔を出した。
「あぁ…隣の家の子だね?」
やっちゃんは制服姿の僕を見下ろし、最初に会った時と同じ天使のような笑顔でそう言った。
でも僕はその輝くような笑顔を見ても何も感じなかった。ドキドキするわけでもないし、下半身がムズムズするような
事もなかった。心も体も何一つ反応を示さなかった。
僕は前の晩一睡もしていなかったから頭がぼんやりしていた。
あれほど大好きなやっちゃんの顔を見ても何も感じないなんて、自分の頭はかなり重症だと思った。
「入んなよ。散らかってるけどさ」
そう言われた僕はぼんやりしたまま彼の部屋へ入った。
やっちゃんの部屋は、たしかに散らかっていた。散らかるどころか、足の踏み場もなかった。
「ベッドに腰掛けて。他に座る所ないから」
彼はそう言いながら床に散乱するゴミや脱ぎっぱなしの洋服を拾って歩いた。
例の窓からは太陽の明るい光が差し込んで、その光の中を埃が舞っていた。
やっちゃんの部屋はワンルームだった。
入口の横にキッチンと小さなバスルームがあったけど、キッチンはほとんど使っている様子がなかった。
8畳ほどの部屋にはテレビとベッドとテーブルぐらいしかない。
板張りの床の上には物が散乱していたけど、彼がさっと片付けると部屋の中は随分すっきりした。
僕は壁際に置かれているベッドに黙って腰掛けた。
やっちゃんは数秒で簡単な掃除を終え、その後僕の隣にドカッと腰掛けた。すると
ベッドのスプリングの軋む感触が僕の心と体へ即座に伝わった。
彼は俯いたまま何も言えずにいる僕の顔を黙って覗き込んでいた。
僕のすぐ隣にいるやっちゃんは、せっけんのいい香りがした。
「どうしたの?元気がないみたいだね」
彼にそう言われ、僕はやっと顔を上げた。
弱い風を感じて何気なく右の方へ目を向けると、視線の先には窓があって 薄いカーテンが微かに揺れていた。
そしてそのカーテンの向こうにはたしかに僕の部屋の窓があった。
僕はしばらく部屋の中を観察した。
そこはすごく殺風景な部屋だった。
余計な家具は何もないし、白い壁にはポスターもカレンダーも何も貼られていない。
脱ぎっぱなしの洋服が消え去った床の上には所々に埃が積もっていた。
勉強をサボっている僕の学習机にも同じように埃が積もっていた事をその時ふと思い出した。
ろくに掃除をしていないその部屋の中で、僕たちが座っているベッドだけが際立って綺麗に感じた。
セミダブルのベッドには清潔なシーツが敷かれ、ふっくらした枕が2つ並べて置いてあった。
目線を足元へ落とすと、そこには100円ショップで売っているような小さいゴミ箱があった。
そしてその中には使用済みのティッシュがたくさん詰め込まれていた。
それを見た瞬間、僕の中で何かが弾けた。
くしゃっと丸められたたくさんのティッシュは彼が幾度となく快楽を得た証しであり、同時に
僕が幾度となく涙を流した証しだった。
僕はすぐ隣に腰掛けている彼をキッと睨み、それから猛抗議を始めた。
「あの窓の向こうには僕の部屋がある。僕は受験生なんだ。難しい高校を受験するから、
毎日毎日勉強漬けなんだ」
無口だった僕が突然ペラペラと話し出したので、やっちゃんはすごく驚いているようだった。
彼は口を半開きにしたまま、目をパチパチさせて不思議そうに僕の顔を見つめていた。
呆気に取られたようなその顔がとてもかわいらしくて…僕は不覚にもドキドキし始めていた。
僕が大きな声で彼を怒鳴りつけたのは、自分の心臓の音が彼に聞こえないようにするためだ。
「それなのに…毎日毎日あんな声を聞かされて、全然勉強に集中できないんだ!
あんたが何をしようと勝手だけど、ああいう時はちゃんと窓を閉めてよ!」
僕の声は震えていた。その時、僕はきっとすごく感情的になっていた。でも、怒っているのとは少し違うような気がしていた。
やっちゃんはしばらく黙って僕の顔を見つめていたけど、やがてにっこり微笑んで僕の肩に右腕を回した。
彼に触れられた瞬間、僕の体は急に熱くなった。頬が赤くなっているのを悟られまいとして
下を向いたけど、そんな事をしても無駄だという事は自分が1番よく分かっていた。
「いつも僕の声を聞いてたの?」
彼が僕の耳元でそう囁いた。
僕は怒ってはいなかったけど、無意識のうちに怒っているふりをしようとしていた。
それなのに…自分の意思とは裏腹に体は素早い反応を見せた。
僕の体はどんどん熱くなり、ついにその中で1番熱い部分が頭をもたげてきた。
百戦錬磨のやっちゃんが、僕のそんな変化を見逃すはずなどなかった。
あっ、と叫ぶ間もなかった。
やっちゃんは右手で僕をきつく抱き寄せ…その瞬間彼の左手は僕の制服のズボンの中に滑り込んでいた。
何か言いたいのに、声が出なかった。
やっちゃんはトランクスの上から僕の先端に触れ、夢の中と同じようにクスッと笑って僕の耳にこう囁いた。
「もう大きくなってるよ」
耳が熱い。まるで火がついたのかと錯覚するほどに熱い。
「僕の声を聞いて…興奮した?」
彼の低い声が、僕の耳を更に刺激する。
僕はもう二度と口が利けなくなった。
彼の白い肌から漂うせっけんの香りが僕のすべてを支配していた。気持ちが高ぶって、頭の中が真っ白になった。
「いつも1人で気持ちいい事してたの?」
「…」
「あの窓の向こうで?」
そう言われて、僕は再び窓の方へ目を向けた。
カーテンの向こうに見える僕の部屋の窓は、しっかりと閉められていた。
次の瞬間、やっちゃんの柔らかい唇が僕の口を塞いだ。
そして僕らは舌を絡ませ合った。何度も何度も、激しく。
全部夢の中と同じだ。でも、本物の方が夢の中より何倍も興奮した。
激しいキスが済むと、やっちゃんの細い指が僕の熱い物を刺激した。
やっちゃんの指が僕を刺激するたびに、体が痙攣して声が出そうになってしまう。
マスターベーションなんかより何百倍も気持ちがいい。
「これがしたくて来たんでしょう?」
もう何も考えられず、目の前が霞み、緩やかな風の音もやっちゃんの声も遥か遠くに感じた。
でも、夢と同じなのはそこまでだった。
『出る…』
僕は奥歯を噛み締め、心の中でそう叫んだ。きっと僕はもう5秒ももたない。
そう思った時、百戦錬磨のやっちゃんが僕を夢から現実へと引き戻した。
「初回は無料サービスだから安心して。君は中学生だから…今後は学割にしておくよ」
彼は相変わらず左手で僕を愛撫しながら事務的な口調でそう言った。
高ぶっていた思いが、急に冷めてしまった。僕は物分かりがいい。彼のその一言でもう説明は十分だった。
突然視界がはっきりした。僕の目はやっちゃんの目にしっかりピントが合っていた。
彼は最初に会った時と同じように…天使のような微笑を僕にくれた。
でもその笑顔は今後、お金と引き換えなんだ。
もう射精する直前だった。僕はやっちゃんを突き飛ばし、大急ぎで彼の部屋を飛び出した。
外へ出ると夏の太陽が眩しくて激しいめまいに襲われた。
フラつきながらアパートの階段を駆け下りた時、僕の頬は涙で濡れていた。
それでも僕はすぐに家の前に辿り着き、急いでドアの鍵を開けて玄関へ入った。
やっちゃんはその時あの窓の向こうから僕の様子を見ていたかもしれない。
途中でやめたマスターベーションがどんなにシラけるものかという事を、僕はよく知っていた。
すごくいい気持ちになっている時に母さんが部屋へ来たり…友達から電話がかかってきたり…
今まで何度もそういう経験をしてきたからだ。
それが分かっていたから、
僕は玄関へ入ってすぐ自分の右手をズボンの中へ突っ込み、射精を試みた。
するとほんの2秒で生温かい僕の分身が大量に溢れ出し、買ったばかりのトランクスが台無しになった。
濡れたトランクスをはいたまま玄関のドアに寄り掛かり、下駄箱の前に揃えて置いてある母さんのサンダルを見つめながら僕が考えた事。
それは…今後いくら払えばやっちゃんと愛し合えるのかという事だった。