11.

 翌週僕たちは、一泊する予定で海へと向かった。
店長の機嫌のいい時に夏休みを欲しいと申し出たら、奇跡的に2日間連続で休みがもらえたのだ。
その前日は雨が降っていたので、てるてる坊主を窓の脇に吊るして眠った。 すると翌朝にはすっかり雨が上がっていて、空にはまぶしい太陽が輝いていた。

 郊外へ向かう列車に乗ると、チビは窓際の席に座って流れ行く景色を延々と眺めていた。
彼は列車に乗るのも海へ行くのも初めてだったらしい。だからこそチビはこの日が来るのを心待ちにしていた。
何も知らない子供がそうであるように、彼は新しい体験にワクワクしている様子だった。
午前11時に乗った列車は、それほど込んではいなかった。 郊外へ遊びに行く人たちの多くは、恐らくもっと早い時間から行動を起こしていたのだろう。
「緑がいっぱいだよ」
列車に乗ってしばらく経った時、チビがそう言って窓の外を指さした。
線路脇にはどこまでも続く野原が広がっていた。 乗車した駅付近には高層ビルが建ち並んでいたけれど、その姿はもうとっくに見えなくなっていた。
「この先はずっと緑の景色が続くよ」
そう言ってやると、チビは大きな目を輝かせてにっこりと微笑んだ。 白い頬にエクボが浮かぶのを見た時は、少々無理をしてでも短い旅に出て本当によかったと思った。
外の日差しはとてもまぶしくて、ガラス越しとはいえ強い熱を肌に感じた。
列車が駅で止まるたびに、次々と車両の中へ人が乗り込んできた。
やがて僕たちの横に、小さな女の子と若いお母さんが向かい合って座った。 2人は楽しげに会話を交わし、お菓子やジュースを口にして時を過ごしていた。
僕も何度かチビに飲み物を勧めたけれど、彼はそんなものには興味も示さずいつまでも窓の外を眺めていた。


 2時間揺られた列車を降りた時、すぐに潮の香りを感じた。 小さな駅を出て浜辺に行くと、僕は目の前の光景に魅せられてしまった。
そこには真っ青な海が存在し、頭上には海と繋がっているかのような青い空が広がっていた。
緩やかな波音が静かに響き渡り、太陽が海の水に反射してまぶしい輝きを放つ。
それは今までに見た夏の海とは全然違っていた。 とにかく綺麗で、水が透き通っていて、思わず見入ってしまうほどに美しかった。
そのあたりで泳ぐ人がほとんど見当たらないのは、そこがプライベートビーチだったからだ。
僕は人の多い一般的な海水浴場へ行くよりも、静かな所でチビとゆっくり過ごしたかったのだ。
「ねぇ、海が青いのは空の青が反射してるから? それとも、海の青が反射して空も青くなるの?」
チビはすごくマジメな顔をして僕にそう問い掛けた。優しい潮風が、彼の二色の髪をわずかに揺らしていた。
僕が何も答えずに笑うと、彼も唇を横に広げて小さく微笑んだ。
彼にとってこの世の中は、不思議がいっぱいの世界に違いなかったのだ。

 それから僕たちは、白い砂浜を歩いて宿泊する予定のホテルへ向かった。 4人並んで僕たちの前を歩いていたのは、同じ列車を降りた若い女の子たちだった。
ホテルへは駅から徒歩3分という短い距離だったけれど、そこへ向かう間はすごく暑かった。 黙っていても玉のような汗が噴き出すほど、外は本当に暑かった。
砂浜を歩くと、スニーカーの中に次々と砂が入り込んできた。僕はそれを我慢して、ただ黙々と歩いていた。
「暑いよ!」
チビは大きな声でそう叫び、サッとポロシャツを脱いでしまった。
前を行く女の子が1人振り向いて、その様子を羨ましげに見つめていた。
彼女は肌を露出した服装をしていたけれど、それでもやはり暑かったのだろう。 だからといって、さすがにチビの真似はできないようだった。


 浜辺のホテルへ着いて早速部屋に入ると、その涼しさに感動した。
ゆったりとした空間に身を置くと、日頃の疲れが全部吹っ飛んでいくのを感じた。
フローリングの床が冷たくて、裸足で歩くととても気持ちがよかった。 壁の色は砂浜と同じく真っ白で、そこには余計なものが一切なかった。
僕はキングサイズのベッドへ寝転んでみた。
正面に見えるベランダの向こうには、透き通る青い海が存在していた。そして砂浜には先客の姿があった。 派手なビキニを着た大人の女たちが、そこに寝そべって肌を焼いていたのだ。
ここはプライベートビーチを持つちょっとした高級リゾートホテルだった。 部屋数が少なく、とても静かで、かなり贅沢な気分を味わえる場所だ。
このホテルの1階の部屋は、特別にルームチャージが高かった。
でももちろんそれなりの特典はある。それは各部屋のベランダから自由に外へ出入りするのが可能な事だった。 水着で外へ飛び出して、たとえ体が砂まみれになったとしても、そのまま部屋へ駆け込んですぐにシャワーを浴びる事ができるのだ。

 チビは早速ベランダへ駆け寄り、そのガラス戸を少しだけ開けた。するとその時、またわずかに潮の香りを感じた。
青い海を見つめるチビの背中が、僕にはすごく大きく見えた。
「ベランダを出たらすぐに海なんだね!」
彼はそれからすぐに振り返り、薄手のショートパンツを急いで脱ぎ始めた。 僕はフカフカなベッドの上から、その様子をぼんやりと眺めていた。
合鍵を持つようになって以来、チビは昼間に1人でよく出かけているようだった。 腕や足が若干日に焼けているのは、恐らくそのせいだったのだろう。
でも彼がいったいどこへ出かけて行くのか、僕はまったく知らなかった。 何度か尋ねた事はあるけれど、チビは微笑むだけで何も答えようとしなかったのだ。

 チビはあっという間に裸になった。冷たい床の上には、彼の脱ぎ捨てた洋服が無造作に置かれていた。
裸になった彼を見た時、随分胸板が厚くなったな、と思った。 細身ではあるけれど、腕や足には筋肉が付いて、本当に男らしくなったと思った。
裸の彼が、僕を見つめてにっこりと笑った。僕はまだ細身の裸体を眺めて、のんびりとベッドに寝転がっていた。
この時自分は何もせずにそこで待っていればいいと思っていた。 そうすればすぐにチビが近づいてきて、僕をいい気持ちにさせてくれると思い込んでいたのだ。
「ボク、海に入るよ。トシくんも早く来てね」
ところがチビは、いきなりガラス戸に手を掛けて裸のまま外へ飛び出しそうな気配を見せた。
僕は慌てて起き上がり、急いで彼を引き止めに行った。