14.

 2日間の夏休みが終わると、翌日からまたいつもの暮らしが始まった。
のんびりするために海へ行ったはずなのに、僕たちはすごく疲れて帰ってきた。
セックスをして、海で泳いで、またセックスをして、熱いシャワーを浴びる。 僕たちの短い夏休みは、ほとんどそればかりを繰り返して終了したのだった。
僕は精神的にも肉体的にも疲れていて、帰宅した翌朝は起き上がるのがかなりつらかった。
でも、どんなに疲れていても仕事を休むわけにはいかない。 だから重い体を無理やり起こし、ちゃんといつもと同じ時間に家を出た。
チビも相当疲れていたようで、彼は僕が出かけるまでまったく起きずに眠り続けていた。


 僕は頭がぼんやりとして、半分眠りながら仕事をしていた。
レジのお金は何度数えても売上金額と合わない。 足元はおぼつかないし、トイレの掃除は忘れてしまうし、手に持っていた本はあっさりと床の上に落としてしまう。
そんなドジばかりを繰り返していると、案の定店長に怒られてしまった。
「お前、休みボケしてるのか? やる気がないなら、いつでも辞めてもらって構わないんだぞ!」
静かな事務室に彼の怒号が響く。
店長は回転椅子に腰掛け、腕組みをしながら僕を睨みつけていた。
それは普段の僕ならすぐに落ち込んでしまうシーンだった。でもこの日だけは、ぼんやりしすぎて何も感じなかった。
店長のメガネがキラリと輝くと、その光に目がくらみ、僕は一瞬めまいがした。
こっちは全然相手にしていないのに、彼はクドクドと説教を続けていた。 どこからかファックスが届いても、内線電話が鳴り始めても、頭から煙を出して延々と怒鳴り続けていた。
最近薄くなってきた店長の髪が、エアコンの風に揺れ動いていた。 趣味の悪いネクタイは、居心地悪そうに彼の首にぶら下がっている。
僕は漠然とそんなものたちを見つめながら、彼の言葉を全部聞き流していた。 するとそのうちに、やっと帰る時間が迫ってきたのだった。


 「あぁ、疲れた」
店を出ると、自然とそんな言葉が口から溢れた。それと同時に、2回も続けてあくびをしてしまった。
今日はもう何もしたくない……
僕は更にあくびを繰り返し、フラフラとコンビニへ向かって歩いた。
朝のうちはわりと晴れていたのに、その頃空はすっかり曇っていた。 頭上に広がる灰色の雲は、まるで僕の心を映す鏡のようだった。
僕は夏休みに淡い幻想を抱いていたのだ。
チビと一緒に海へ行けば、心も体もリフレッシュしてすごく元気になれそうな気がしていた。 でも実際はほろ苦い思い出と疲れを背負って、この街へ帰ってくる事になってしまった。
チビとの暮らしが退屈なわけではない。でも、たしかに何かが足りない。
この漠然とした思いが、僕の心をどんよりと曇らせていた。 でもそれは疲れているせいに違いないと、必死に自分に言い聞かせようとしていた。
1台のRV車が、僕の横を猛スピードで走り抜けていった。 その屋根には、派手な色合いのサーフィンボードが積まれていた。
僕は不意に潮の香りを思い出し、なんだかとても切なくなった。

 「トシくん?」
遠くの方にコンビニの姿が見えてきた時、僕は突然後ろから呼び止められた。
その瞬間は、またチビが追いかけてきたのかと思った。 この街で僕をそんなふうに呼ぶのは、彼しかいなかったからだ。
僕はすぐに立ち止まって振り向いた。ところがそこには、チビの姿はなかったのだ。
「トシくんだよね? 俺の事、覚えてる?」
目の前に立っていたのは、背の高い色白な少年だった。
赤茶色に染まった髪が、夏の風になびく。丸い目と厚みのある唇が、僕にそっと微笑みかける。
その時僕は、必死に記憶の糸を辿った。でも頭がぼんやりしているせいか、その人が誰なのかすぐには分からなかった。
ただ僕には、彼が人違いをしているとは到底思えなかった。
なにしろ彼は確信に満ちた声で僕を "トシくん" と呼んだのだ。 もしもこの世の中に僕とそっくりな人がいたとしても、その人と呼び名まで同じだとしたらあまりに奇遇だった。
つまり僕たちには、何か接点があるに違いなかった。 そこまでは理解できたけれど、じっと彼を見つめてもなかなかその人を特定する事はできなかった。
僕が返事をできずにいると、彼は小さくため息をついて前髪をサッとかき上げた。 すると狭い額が露になって、右の眉の上の小さな傷が僕の目に飛び込んできた。
「あっ……」
するとその時、やっとその人が誰なのか分かった。
彼の苗字は、二宮。でも下の名前までは知らない。
緩めのジーンズと真っ白なシャツがよく似合う、今時の若者。久しぶりに会う彼は、僕にそんな印象を与えた。
「俺の事、思い出してくれた?」
二宮は灰色の雲の下で微笑み、低い声でそう言った。
この街で僕を "トシくん" と呼ぶ、もう1人の人。
彼との再会は偶然だったのか、それとも必然だったのか。それは、僕には最後まで分からなかった。