30.

 二宮が嘘を言っていない事は明らかだった。
その目は真剣そのものだったし、彼は元々嘘をつくような人ではなかったのだ。
僕たちは布団の下で手をつないだ。ベランダの外からは、微かに車の走る音が響いていた。
この時彼は、僕の手の震えに気付いていただろうか。

 「最初に彼女を見たのは、中学3年の夏だった。また転校して、疲れきってた頃の話だよ」
二宮は仰向けになって、ぼんやりと天井を見つめた。 彼はなんとなく浮かない顔をしていて、強く手を握ってもまったく反応はなかった。
「俺は新しい学校に馴染めなくて、相変わらず友達がいなかったんだ。 日曜日になると、いつも1人で本屋へ行った。漫画の本を立ち読みして、夕方までの時間を過ごすんだ。 でもある時、本屋の前で女の子に会ったんだよ。その子は俺に近付いて、一緒に遊ぼうって言ったんだ。 俺は彼女が猫だとすぐに分かった。でもそれには気付かないフリをして、2人で遊びに行ったんだ」
僕はすごくドキドキして、すぐにその先を聞きたいと思った。二宮は天井を見つめながら、途切れ途切れに話を聞かせてくれた。
「それから毎日、いろんな事をして遊んだよ。彼女は少し年下だったから、幼稚な遊びもいっぱいした。 鬼ごっことか、かくれんぼとか、シーソーに乗ったりとか。 でも、すごく楽しかったんだよな。彼女は妹みたいにかわいかったし、あの頃は本当に楽しかったよ」
そう言いながらも、その横顔は悲しげだった。僕はそれがずっと気になっていた。
「でもそのうち俺にも友達ができたんだ。そうしたら、彼女は俺の前から姿を消したんだ」
「え? それ、どういう事?」
「彼女とは、いつも本屋の前で会ってた。でもそこを通りかかっても、全然見かけなくなったんだ」
「急にいなくなったの?」
「あぁ。俺に友達ができた途端に、急にいなくなったんだ」
「……」
「彼女は猫だから、誰かに拾われたのかな? すごくかわいい子だったから、そうなのかもしれないな」
彼は自問自答して、静かに目を閉じた。
その瞼の奥には、僕の知らない彼女との思い出が蘇っていたに違いない。
身勝手だとは分かっていたけれど、僕は彼女に嫉妬した。

 僕は残念なようなほっとしたような、複雑な気持ちになった。
人間の姿をした猫が、チビの他にも存在していた。そして二宮は、その人の正体に気付いていた。
自分と似たような経験を持つ人がこんなにそばにいたなんて……やっぱり僕は、特別ではなかったのだ。
それは少しショックだったけれど、この不思議を彼と分かり合えた事に対しては、わずかに安堵していた。
「それを誰かに話した事ある?」
「あるわけないだろ? 話したところで、誰も信じてくれないよ」
二宮はプイ、とそっぽを向いてしまった。その口調には、苛立ちが感じられた。
これ以上この話を続けるのはタブーだ。僕は直感し、すぐに口をつぐんだ。
暗い部屋の中には、不穏な空気が充満していた。二宮がこれほどはっきりと不機嫌さを露にしたのは初めてだった。
「そんな話、もうどうでもいいよ」
吐き捨てるようにそう言って、彼が布団の下へ潜った。するとすぐに、下腹部に温かい息を感じた。
「あっ……」
ツンと尖った舌が先端を舐めると、あっという間に快感の波に揺られた。
根元までゆっくり舌が伸びれば、その波は大きくなる。一ヶ所を集中的に責められると、小さな波が何度も襲い掛かってくる。
時々歯が当たると、少し痛かった。でもその痛みも、すぐに快感へと変わっていく。
すごく気持ちがいい時は、二宮の手を力いっぱい握り締めた。すると彼は、僕の先端を強く吸った。
壁が薄いから、ここではあまり大きな声を出す事ができない。
僕は片方の手で彼の手を握り、もう片方の手を口許へ持っていった。
二宮の真似をして、右手の薬指を噛んでみる。それでもやっぱり、多少は声が漏れてしまう。
「ん……」
その時、偶然舌が自分の指先に触れた。それはちょっとしょっぱい味がした。
二宮は、いったいどんな味がするのだろう。
そんな思いが頭に浮かんだ時、舌を揺らしてゆっくり指を舐めてみた。彼の舌と動きを合わせてみると、不思議と気持ちよさが倍増した。
先端を吸われると指先を吸う。一ヶ所を集中的に責められると、関節の上で細かく舌を揺らす。そして僕は、何度も強く彼の手を握った。
もう何がなんだか分からなくて、頭が変になりそうだった。
彼の愛撫は、こうしていつも僕を狂わせるのだ。

 ただ1つ分かったのは、自分が特別ではないという事だけだった。
でも僕たちが不思議な経験をした事に変わりはない。
まだ多くの謎は残っていたけれど、それは話し合って答えが出る類のものではないのだろう。
もう本当に、考える事に疲れてしまった。今はただ、2人きりの時を楽しみたい。
僕は頭の中を空っぽにして、彼との行為に酔いしれた。