9.

 僕はわりと夜更かしをするタイプだったのに、最近は午後10時頃になるとあくびが出るようになった。
それはきっと、あまりにも疲れていたからだ。
まず仕事から帰ると、すぐにチビとセックスをする。それはここ4〜5日ずっと続いている。
チビはその後眠ってしまうのだが、それからの僕は大忙しなのだ。
洗濯機を回している間に部屋を掃除して、台所に放置してある汚れた食器を洗い、時には洋服にアイロンをかけたり用事を足しに出かけたりもする。
洗濯物を干し終えたら、今度は夕食の準備に取り掛からなければならない。
とりあえずご飯を炊いて、一品ぐらいはおかずを作って、具のない味噌汁や野菜を切っただけのサラダを食卓に並べる。 料理は慣れていないから、これだけでも結構時間がかかるのだ。
チビが目を覚ますとようやく2人揃って夕食を食べて、その後すぐに風呂へ入り、濡れた髪を乾かす頃にはもうクタクタだ。
それでも少しぐらいはテレビを見ようとするけれど、目がショボショボして結局早々とベッドに横になってしまう。
チビと一緒に暮らし始めてからは、洗濯物も食事の支度も2人分になってしまった。それに、激しいセックスが日課に加わった。 だからきっと、体の疲れが倍増していたのだ。

 ベッドに寝転がって目を閉じれば、夢の世界はもうすぐそこだ。
しかしチビは、僕を簡単には寝かせてくれなかった。彼は夕方仮眠を取っているから、夜は妙に元気なのだった。
「ねぇトシくん、これは何?」
一瞬意識を失いかけた時、チビが勢いよくベッドの上へ飛び乗った。 するとその振動が体に伝わって、あっという間に夢の世界が遠のいていった。 部屋の中に少し湿気を感じるのは、壁伝いのロープに濡れた洋服が干してあるせいだった。
「ん?」
僕はベッドで仰向けになったまま、虚ろな目で彼を見つめた。
チビはすっ裸で僕の横に体育座りをしていた。
その時彼は胸に白い表紙のアルバムを抱えていた。それは多分、押し入れの中から見つけ出してきたものだった。
「これ、トシくんだよね?」
チビはうつ伏せになり、枕の上でアルバムを開いた。
寝返りを打ってそのページを覗き込むと、そこには懐かしい写真が飾られていた。

 チビが指さしたのは、高校の修学旅行で仲間たちと一緒に撮った写真だった。
学ランを着た4人の男たちは、湖をバックにして屈託のない笑顔を見せていた。 僕以外は全員が野球部員だったので、他の皆は3人とも坊主頭だった。
ほんの2年前に撮ったものなのに、写真の中の自分がとても幼く見えた。
そういえば、3年間着続けた学ランはいったいどうしたんだっけ?
ふとそんな思いが頭をよぎったけれど、その答えはまったく浮かんでこなかった。
「これ、修学旅行の時の写真だよ。湖の名前は覚えてないけど、この日は天気がよかったな」
「トシくんと一緒にいるのは、友達?」
「うん。高校の時に同じクラスだった仲間だよ」
「ふぅん……」
チビは少し淋しそうな笑顔を見せて、パラパラとアルバムをめくった。
その後のページには、学校祭や体育大会の時に撮った写真が次々と並んでいた。 そこに写る僕は、いつも楽しそうに微笑んでいた。
大口を開けて笑い、おどけたポーズを取りながら、目を輝かせてカメラを見つめる自分……
今の僕は、こんなふうに笑えているだろうか。その顔を見つけるたびに、ふとそんな思いが心を駆け抜けていった。
「トシくん、ボクといる時より楽しそう」
チビがそう言ってアルバムを閉じた時、僕はすごくドキッとした。
彼はいつも敏感で、心の声まで聞き取れるのかと錯覚するほどだった。


 彼はそれからすぐに電気を消して、何も言わずに布団の下へ潜り込んだ。
チビは珍しく僕に背を向けて横になっていた。 いつもはなかなか寝かせてくれないのに、今夜の彼は自分の方が先に夢の世界へ入ろうとしているようだった。
「どうした?」
彼の様子がおかしいと感じたので、ひとまず声をかけてみた。だけど、返事は返ってこなかった。
カーテンを突き破る外灯の光が、チビの白い背中を薄く照らしていた。 その背中が何かを訴えかけているように思えて、僕はすごく気になっていた。
彼はなんとなく淋しげだった。
本当なら、今すぐ彼を抱き寄せるべきなのかもしれない。 そうは思っても、後の事を考えるとどうしてもその背中に手が伸びなかった。
一旦チビを抱き寄せれば、それは自然とセックスに繋がる。
だけど今の僕にはそんな元気が残っていなかった。もう本当にクタクタで、目を開けているのが精一杯だったのだ。

 僕はきっと、すごくわがままなのだ。
実家にいた頃は家族の存在が疎ましく感じて、早く家を出たいと思っていた。 でもいざ1人になってしまうと、時々淋しくて泣きたくなった。
だからこそ、チビが話し相手になってくれてすごく嬉しかった。彼は僕にとって、なくてはならない存在だったのだ。
なのに僕は、たまに彼と一緒にいて疲れる時があった。 こんなふうに黙って背を向けられてしまう時が、まさしくそうだった。
チビが普通の子猫だったら、きっと何も気付かずに眠っていた。
彼が何も言わない毛むくじゃらなペットだったら、こんなふうに気を遣う事もなかった。
日に日に大きくなっていく背中をぼんやりと見つめて、僕は漠然とそう思っていた。
繊細で敏感なチビは、きっとすぐその思いを感じ取ってしまうのに。