11.

 退屈していた僕に転機が訪れたのは、それから間もなくの事だった。
冬休みに入る3日前。あの日、武志は風邪をひいて学校を休んだ。 その前日に初雪が降って突然寒くなったから、彼はきっとそれで風邪をひいてしまったのだろう。
僕はその日の放課後、竜二と誠と3人で白く染まったトンネルの下を歩いた。
学校から地下鉄駅へ向かう道の両側には綿帽子をかぶった樹木が並び、土の道の上にはほんのり雪が降り積もっていた。
「風が冷たいな」
僕たち3人は口々にそんな言葉をつぶやき、急ぎ足で駅へと向かった。僕はそんな時もずっと竜二だけを見つめていた。
彼の頬は冷たい向かい風に煽られて真っ赤になっていた。そして彼の首に巻かれた黒いマフラーが同じ風に揺れていた。

 地下鉄駅へ着くと、やっと北風から解放されてほっとした。
でも僕がほっとしたのは一瞬だけだった。皆で地下鉄のホームへ下りた時、1番会いたくなかった人と突然対面してしまったからだ。
僕たちはホームを3人並んでゆっくり歩いていた。そこには次の地下鉄を待っている同じ学校の男子生徒たちがいっぱいいた。
そして場違いなその人はホームの真ん中にある太い柱に寄り掛かって立っていた。
紺色のハーフコートを着た背の高い女の子。
彼女はヒールの低いブーツをはき、水色のチェックの柄が入ったスカートを身に着けていた。 それは、とある女子高の制服に間違いなかった。
その人の細い指が軽くウェーブのかかった長い髪をかき上げた時、竜二は突然足を止めた。
彼女は最初に僕の顔を見て、その後すぐ誠に目をやった。そして最後に竜二の姿を見ると、白い歯を見せてにっこり微笑んだ。
「圭子…」
僕はその時、竜二がそうつぶやくのをはっきりと聞いた。
そして、彼女がカツカツとブーツのヒールを鳴らしながら僕らに近づいてきた。人形のように整った彼女の顔を見た時、僕は急に胸が苦しくなった。
その人が竜二の彼女だという事は説明されなくてももう分かっていた。
竜二と彼女の距離が縮まるたびに、僕と彼の距離はどんどん離れていくような気がした。


 僕らは地下鉄に乗り込むと、いつものように適当な座席へ腰掛けた。 ドアから1番近い所に竜二が座り、その隣に彼女が座り、彼女の隣には僕が座った。 そして誠は僕の右側に腰掛けて真っ直ぐ前を見つめていた。
「急に来るからびっくりしたぞ」
「今日、学校が早く終わったの」
「本当はサボったんじゃないのか?」
「違うよぉ」
地下鉄が走り出すと、竜二と彼女は仲良く話し始めた。
僕はじっと俯いてそんな2人の姿を見ないようにしていた。でも視線を落とすと、ミニスカートから覗く彼女の太ももが嫌でも目に飛び込んできた。
僕はすべての物を断ち切るためにきつく目を閉じて眠っているフリをした。 すると彼女の姿は視界から消えたけど、もちろんその存在が消え去ってしまうわけではなかった。
彼女はとってもいい香りがした。息を吸うたびにその甘い香りが僕の鼻を刺激した。 彼女が透き通る声でクスクス笑うと、自分が笑われているような気がしてそのたびに涙腺が緩んだ。
地下鉄の揺れと、彼女の笑い声。それを全身で受け止めていると、時々吐き気がしてきた。
僕はそれまでに何度も竜二と彼女が仲良くしている所を想像した事があった。でも現実と想像はあまりにも違っていた。
竜二の彼女は僕が想像していた人よりずっとずっと美人で、すごく上品な香りがした。 僕が髪を伸ばしてスカートをはいても、絶対に彼女には勝てないと思った。
「リュウくん、今日ケーキを買って帰ろうよ」
彼女が口にする何気ない一言がどんどん僕を追い詰めた。そんな事を口にする彼女は、まるで女房気取りだった。
竜二と2人で地下鉄に乗って帰る時はあっという間に時間が過ぎてしまうのに、その日は時がゆっくりと流れていた。 早く2人が降りる駅へ着いてほしいのに、その日の地下鉄はわざとノロノロ運転しているように感じられた。
俯いて目を閉じる僕は、ひどい孤独感にさいなまれていた。
それでも僕はひたすら眠ったフリを続けていた。だけどもちろん本当に眠る事なんかできるわけがなかった。
胸が苦しくて、頭が割れるように痛くて、気を抜くと本当に泣き出してしまいそうだった。

 「竜二、俺降りるよ。じゃあな」
やがて僕の右手の方から誠のそんな声が聞こえてきた。
ノロノロ運転の地下鉄は更に減速を始めていた。僕はその声で誠の降りる駅が近づいている事を知った。
それから数秒後に、誠が席を立つ気配がした。僕はすごく心細くなり、膝の上で両手の拳を握った。
するとその時、誰かの手が遠慮がちに僕の肩を叩いた。
わけが分からず目を開けると、すぐ目の前に誠が立っていた。彼は僕の濡れた目をじっと見下ろし、優しく微笑んでこう言った。
「初音、降りるぞ。今日は俺の家に遊びに来る約束だっただろ?」
それは思ってもみない言葉だった。僕は誠とそんな約束をした覚えはまったくなかった。
でも彼が僕に助け船を出してくれたという事にはちゃんと気が付いていた。