12.

 僕とパパはこうして深い仲になっていった。
春から夏。夏から秋。そして冬。
時が過ぎて季節が変わっても、僕たち2人の愛にまったく変化はなかった。
僕は1日に何度も彼と愛し合った。 学校から帰った時や夜一緒にお風呂へ入る時。そして何でもない時にもその気になればすぐに彼と愛を確かめ合った。
でもパパは午後8時を過ぎると原稿を書く事に没頭してしまう。彼は絶対に仕事のペースを変える事はしなかった。
もちろん僕もパパのペースを乱す事はしたくなかったけど、それでも時々彼の仕事部屋へ出入りするようになっていった。


 「パパ、忙しい?」
あれは12月のある夜の事だった。
その夜パパはいつも通り午後8時には僕をリビングへ残して仕事部屋へこもってしまった。
でも僕はその晩に限って何故だかすごく淋しくなり、午後10時頃遠慮がちにパパの背中へ声を掛けたのだった。
パパの仕事部屋はいつも通り暗かった。明かりを点けずに仕事をするのは彼の昔からのやり方だったのだ。 そして部屋のドアを開けっ放しにしておくのもそれと同じだった。
部屋の奥にある机の上にはノートパソコンが置かれていて、廊下から中を覗くと白いブラウザの光が目に沁みた。
僕が声を掛けると、パパはパソコンのキーボードを打つ手をすぐに止めて椅子に腰掛けたままゆっくりと僕を振り返った。
彼はその時ざっくりした赤いセーターを着ていた。それはやはりママが彼のために買ってきた物だった。
「遠慮しないで入っておいで」
僕はパジャマ姿で廊下に立っていた。
仕事部屋の中は暗かったから、パパがどんな顔をしてそう言ったのかはよく分からなかった。 でも声のトーンがすごく穏やかだったから、その言葉に甘えてすぐに彼の元へ駆け寄った。
「ここに座って」
パパは自分が座っている椅子の横に折りたたみ式の椅子を開いて置き、そこへ座るよう僕に勧めた。
パパの隣に座ると、白いブラウザの光で彼の表情が浮かび上がった。 パパが優しい目をして微笑んでいたので、僕はすごくほっとした。 明るいブラウザに目をやると、そこには無機質な黒い文字がたくさん綴られていた。
「今何を書いてるの?」
「穴埋め小説だよ。ある作家が突然雑誌の連載を休止したいと言い出したらしくてね、代わりに俺がその穴埋めを頼まれたんだ」
パパは少し目が疲れたのか、ブラウザを見ながら何度もきつく瞬きを繰り返していた。
「ここにいてもいい?おとなしくしてるから」
僕はダメだと言われるのを覚悟しつつもそんな申し出をした。
するとパパは一瞬冷たい目で僕を見つめた。 ブラウザの白い光がその目を照らした時、僕は彼のそばにいる事を諦めようとしていた。

 「ねぇ、前に言った事覚えてる?」
僕がほとんど椅子から立ち上がろうとしていた時、パパが急にそんな事を言った。
彼は少し伸びすぎた前髪を邪魔くさそうにかき上げ、目の表情を和らげて椅子の背もたれに寄り掛かった。
僕はパパが何の事を言っているのか全然分からなくて思わず首をひねった。
僕たち2人は白いブラウザの光を浴びて少しの間見つめ合った。
やがてパパは僕が自分の言葉の意味を理解していない事に気づき、ちょっと笑いながらある事実を話してくれた。
「いつか雅巳くんを主人公にして小説を書くって言ったよね? 実はもう随分前から書き始めてるんだ。全部書き終えたら出版社へ持ち込むつもりだけど、その前に君に読んでもらおうと思ってるんだよ」
そう言われてやっと思い出した。パパと一緒に暮らし始めた頃、僕はたしかにそんな事を言われていた。
「どんな小説なの?」
僕は身を乗り出して1番興味のある事を彼に尋ねた。するとパパはその質問に簡潔に答えてくれた。
「それはもちろん俺と雅巳くんの愛の物語だよ」
パパはそう言って少し恥ずかしそうに俯いた。その仕草がとてもかわいらしくて、僕はすごくドキドキした。
「今までの事、全部書いてるんだ。一緒にキャッチボールをした時の事とか、初めて君を抱いた時の事とか」
「それ本当?」
「本当だよ。ちゃんとフィクションとして脚色してるけどね」
それを聞いた時、僕はすごく興奮した。
パパとの事は誰にも言えない秘め事だったけど、そのすべてが小説となって人の目に触れる事を想像するとすごく興奮して胸が熱くなった。
僕は本当はいつも大声でパパの事が大好きだと叫びたかったのだ。

 「それ、すぐに読みたい」
僕はパパの腕を掴んで自分の欲求をぶつけた。彼が僕たちの事をどんなふうに書いているのかすぐに知りたかった。
でもパパは今度こそその申し出をあっさりと却下した。
「ごめん。書きかけの小説を人に見せるのは嫌なんだ」
よく考えると、彼が僕の望みを叶えてくれなかったのはその時だけだった。
ブラウザの光は穏やかに微笑むパパの顔をはっきりと照らしていた。
優しい目と、真っ白な頬。それを少し憎らしいと感じたのはその時が初めてだった。
僕は少し前までは望みが叶わない事が普通だと思って生きていた。
友達の輪に入りたくても、たまにはママと話したくても、その欲求が満たされた試しはほとんどなかったからだ。
でもパパはいつでも心の隙間を埋めてくれた。
夢にまで見た父親とのキャッチボールも、耐えがたいほどの快楽も、敵を見返す手段も、すべては彼が僕に与えてくれたものだった。
パパにそれだけのものを与えてもらった僕は、もう十分満たされているはずだった。 でも人間はだんだん贅沢になる生き物のようで…僕はその時ちょっとおもしろくなかった。
「俺たちの物語のラストは、いったいどんなふうになると思う?」
パパが冷たい目をしてそう言ったので、ムクれた顔を見せる事ができなくなった。
優しさも敵意もない冷たいその目が、いつも僕を足止めさせた。
「これからいろんな事があると思うけど、最後は絶対ハッピーエンドがいいな」
彼は独り言のようにそうつぶやいてパソコンのキーボードの上に指を乗せた。
パパの目はブラウザの中の文字を追いかけ始め、カチャカチャとキーボードを打つ音があたりに響いた。
彼の頬は白い光に照らされ、冷徹な目には無機質な黒い文字が映し出されていた。
仕事に集中し始めると、パパは一切喋らなくなった。
1人でいるのが淋しくて彼のそばへきたはずなのに、その時は2人でいる方がもっともっと淋しく感じた。