22.
ずっとこのままでいられたら幸せだ。
僕にはそれが分かっていたから、その後もパパとの関係を崩さないように努力した。
もちろん彼には写真を見てしまった事なんか絶対に打ち明けられないと思った。
本当はパパに愛されてなんかいなくても、表面的に優しくしてもらえたらそれでいいと思う事にした。
ママと一緒にいた頃よりはずっとマシだ。僕は自分にそう言い聞かせ、彼に愛されているフリをし続けた。
翌年の3月。高校進学が決まった後、僕はパパと一緒に新しい制服を買いに行った。
日曜日。デパートの制服売り場はひどく混み合っていた。
そこには僕と同じ年と思われる人たちがたくさんいた。
彼らはほとんどがお母さんに連れられて4月から新しく通う学校の制服を買いにきているようだった。
広い売り場には各高校の制服が勢揃いしていて、壁際には白いカーテンで仕切られた試着室がズラリと並んでいた。
僕はその1つに入って真新しい学ランを身に着けた。その姿をパパに見せると、彼はとても嬉しそうに笑った。
「すごくよく似合うね。かわいいよ」
満面の笑みを浮かべたその顔は息子を溺愛する父親の顔に見えた。
頬の肉を緩めて白い歯を見せるパパはやっぱり誰よりも綺麗だった。
恋人として彼に愛されなくても息子として愛されていればいい。
僕はいつでも漠然とそんな事を考えるようになっていた。
制服を購入した後、僕たち2人は少し街をブラブラする事にした。
その日は天気がよくて風も穏やかだったから、外を歩くと湿りがちな気分が少しだけ明るくなった。
繁華街には人が溢れていた。そして人々のざわめきが風に乗って僕の耳に届いた。
ビシッとスーツで決めたパパがそこを歩くと、当然のように皆が彼に注目した。
彼の美しさと洗練された雰囲気が、相変わらず人の目を引き付けていたのだった。
パパは人ごみの中を歩く時もしっかりと僕だけを見つめてくれていた。
自分に注目する多くの人たちの視線を撥ね退けて、ずっとずっと僕だけを見つめてくれていた。
通りかかる店のウインドーに僕に似合いそうな洋服を見つけると、彼は迷わずそれを購入した。
ファーストフード店の中を覗いて誰かがアイスクリームを頬張っていると、すぐにそれと同じ物を買って食べさせてくれたりもした。
僕はそんなふうにしてもらうと素直に嬉しかった。
周りにたくさん人はいたけど、その中で1番幸せなのは自分だと思う事ができた。
春の日差しは僕たち2人を照らすために存在しているのだと思った。
緩やかな風は僕たち2人だけのために宙を舞っているのだと本気で思った。
でも僕がそんなふうに感じたのはほんの短い間だけに過ぎなかった。
本屋のウインドーの前で僕たちが一斉に立ち止まった時、僕の思考が突然後ろ向きなものへと変化した。
大きなガラスのウインドーの向こうにはハードカバーの本がいくつも立て掛けられていた。
そしてその真ん中には真っ白な表紙が眩しいパパの本が置いてあった。
僕はしばらくずっとその白い色を見つめていた。
僕らの後ろを通り過ぎる人たちの影がウインドーに映っていたのは分かったけど、その人たちの姿なんかまるで目に入らなかった。
そして人々のざわめきが徐々に耳から遠ざかっていった。
僕とパパの物語はこの年の1月に出版され、その当初からショッキングな内容とリアルな表現が一部で随分と話題になっていた。
でも僕たちの物語は事実に基づいたものだったから、表現がリアルなのは当然の事だった。
とはいえそれが出版されて以来パパの元へは次々と仕事の依頼が殺到し、彼はそれまで以上に忙しくなっていた。
僕はそれまでずっと車で学校の送り迎えをしてもらっていたけど、彼が多忙になったため高校へ進学した後は交通機関を使って通学する事になってしまった。
僕たちの物語が世間に受け入れられた事にはすごく興奮したけど、僕は高校進学と共にそういう残念な現実も受け入れなければならなかったのだ。
「行こうか」
しばらく白い表紙を見つめていると、やがてパパが小さくそう言った。
僕たちはウインドー越しに見つめ合った。
ガラスに映る彼の目はとても冷たかった。彼がそんな目をした瞬間に緩やかな風まで凍り付いてしまったような気がした。
藍色のスーツを着た彼の立ち姿はとても美しく、風に揺れる茶色の髪が太陽に煌いていた。
パパはさりげなく僕の肩を抱いて人ごみの中を歩き始めた。
それから僕たちは何も語らず、ただフラフラと街の中をさまよった。
道行く人たちはきっと白い表紙の本の作者がパパである事を知らなかった。
パパの本の売れ行きが伸びると、彼には取材の話がいくつも舞い込んできた。
でも彼はそのすべてを断り続け、小説家としてのプロフィールを公開する事さえ拒んでいた。
パパが僕を守るためにそうしてくれている事はちゃんと分かっていた。
彼のプロフィールが明らかになると、義理の息子の存在もそのうち公になってしまう。
その時きっと世間の人たちは気づくのだ。
僕とパパの物語はノンフィクションであり、14歳の頃から僕が義理の父親と何度もセックスを重ねていた事を。
青い空を見上げると、白い雲が何度も何度も頭上を通り抜けていくのが分かった。
その日はとても天気がよくて、ひどく穏やかな風が吹いていた。
僕はママの息子である事を公言できずに育った。そして本当の意味でパパの息子である事実を公言する事も難しくなった。
自分はきっと誰にも愛されてなんかいない。
その思いを胸に抱く時、僕はいつも泣き出しそうになった。