23.

 高校へ進学してしばらく時が過ぎても、僕はほとんど新しいクラスメイトたちと交わる事なく過ごしていた。
僕は放課後になるといつも1番に教室を出て早々と帰宅の途に着いた。
パパは僕のすべてだった。僕は1秒でも早く家へ帰ってすぐに彼と愛し合いたかった。
高校生になってからも、僕が彼を思う気持ちにまったく変化はなかった。

 4月初旬のある日。
その日教師たちは何かの研究会を開くという事で、平日だというのに授業が午前中で切り上げられた。
その予定は数日前から知らされていたけど、僕はパパにその事を伝えるのをすっかり忘れていた。
それはもちろん僕にとっては歓迎すべき事だった。
相変わらず学校なんか大嫌いだったし、授業が短縮されればそれだけ早くパパの待つ家へ帰る事ができるからだ。
その日ももちろん授業が終わると一目散に外へ駆け出した。
今年の春は穏やかだった。3週間も雨が降っていないせいで外の空気はとても乾いていた。
バス通りへ出るといつも甘い香りが僕の鼻をついた。 バス停の横にある小さな洋菓子店がその香りをあたりに撒き散らしていたからだ。
学校帰りに僕と同じバスに乗る生徒は1人もいなかった。
他の皆はもう少しのんびり帰宅の途に着くので、1番最初にやってくるバスには誰も間に合わないのだった。
僕はガラガラな車内に悠々と身を置いて外の景色を眺めるのが好きだった。
赤い屋根の洋菓子店や、白い壁のカラオケボックス。
スピードを上げてバスが走り出すと、道路沿いにある建物が次々と僕の目に映っては消えていった。
そうやって流れていく外の景色を見つめていると、自分が少しずつパパの元へ近づいている実感が持てた。


 バスと電車を乗り継いで家へ帰ったのはちょうど1時頃の事だった。
その頃太陽は高い位置にあった。
空に向かってそびえ立つマンションへ急いで駆け込み、高速エレベーターに乗るとあっという間に家の前へ辿り着いた。
僕はいつものように重厚なドアの前に立って何度も何度もインターフォンを押した。
ドアの向こうでその音が鳴っているのはちゃんと分かった。でもその日はいくら待っても中からドアが開くような事はなかった。
結局僕は久しぶりに自分の鍵を使って家のドアを開けた。 ズボンのポケットから取り出した銀色の鍵を手にすると、その冷たい感触がすぐに脳へ伝わった。
ドアの内側に入って長い廊下を見つめても、家の中にパパがいる気配はまったく感じられなかった。
それでも一応彼の仕事部屋を覗いたりバスルームのドアを開けてみたりした。でもやっぱり彼はどこにもいなかった。
僕は最後に自分の部屋へ行ってみた。でもそこにもパパの影はなかった。
とにかく着替えよう。そう思って脱いだ学ランをベッドの上に放り投げた時、僕は突然言い知れぬ違和感を覚えた。
帰宅した後僕の学ランを脱がせるのはいつもパパと決まっていた。
僕はいつもなら家へ帰って5分もしないうちに裸にされ、毎日彼と愛し合っていたのだ。

 着替えを済ませた後、僕はたった1人でパパの帰りを待った。
本当は何度も彼の携帯電話を鳴らそうとしたけど、結局それはやめておいた。 僕は彼と携帯電話を通して話すのがどうしても嫌だったのだ。
僕は彼の掠れた声で耳をくすぐってほしかった。本当はすぐにでもそうしてほしかった。 なのに彼はなかなか帰ってきてはくれなかった。
リビングのソファーに腰掛けてガラスの壁の向こうを見つめていると、時間が経つにつれて空の色がどんどん変化していった。
最初は青かった空がそのうち薄い水色に変わり、やがて現れた雨雲が空を灰色に変えた。
天気予報がどうなっていたかは分からなかったけど、3週間も晴れの日が続いていたから外の空気は水を欲していたのかもしれない。
やがて白いタイルの床の輝きが失われた。灰色の雲が眩しい太陽を覆い隠してしまったからだ。
太陽の熱が失われると、半そでのティーシャツを着ていた僕は少し肌寒く感じた。 僕がパパを待っている間に、空はそれほどまでに大きく変化を遂げていたのだ。


 遠くの方でガチャッと音がしたのは午後4時半頃だったと記憶している。
僕はその音を聞き逃さず、リビングのドアをじっと見つめてそこからパパが現れるのを待った。
彼は足音をたてずに歩くので、そのドアが開くまでしばらく静かな時間が流れた。
やがてゆっくりとドアが開き、スーツ姿のパパがそこから顔を出して僕を冷たい目で見つめた。
その目を見つめ返しても、そこからは何の感情も読み取れなかった。
「雅巳くん、早かったんだね」
足音もたてずにパパが僕へと近づいた。その時僕は反射的に立ち上がっていた。
灰色に染まった空は静かに向き合う僕たちをじっと見守っていた。
パパはそれからすぐに笑顔を見せ、右手でネクタイを解き始めた。灰色の雲は彼の白い肌まで曇らせていた。
「腹減ったな。焼きそばでも食べない?」
パパがそんな事を言うとはすごく意外だった。
いつもの彼なら一も二もなく僕をソファーへ押し倒すはずだった。なのにその日の彼はそうしなかった。
僕の目に映るパパはいつもとどこかが違っていた。
青白く面長な顔も、輝くような目も、サラサラな髪も、何もかもがいつもとは少しだけ違って見えた。 でもどこがどう違うのかという事ははっきり分からなかった。
「着替えてくる」
パパはあっさりと僕に背を向けた。
彼は背筋をピンと伸ばして白い床の上を静かに歩き、ゆっくりとリビングを出て行こうとしていた。

 「パパ!」
その背中を見つめた時、僕はすごく不安を感じて彼を追いかけていた。
今すぐパパを掴まえないと、彼がどこかへ行ってしまいそうな気がしていた。
彼の背中に抱きつくと、その足がピタッと止まった。
パパの背中はほんのりタバコの香りがした。彼はタバコなんか吸わないはずなのに、たしかに苦い香りがした。
「どうしたの?」
彼はゆっくりと振り返り、口元だけでそっと微笑んだ。どんなに優しい目で見つめられても、まだ安心はできなかった。
僕は彼の白い両手をぎゅっと握り締めた。その手はとても冷たかった。
「ねぇ…抱いて」
そんな言葉を口にするのは不本意だった。いつもの彼ならそんな事を言う前に僕を素っ裸にしているはずだった。
背中の後ろで微かに雨の音がした。きっと3週間ぶりに降り出した雨がガラスの壁を叩きつけていたのだろう。
パパは冷たい目をして僕を見つめ、渇いた唇にそっとキスをしてくれた。そして彼は僕の前にひざまずいた。
「デザートを先に食べる事にするよ」
突然降り出した雨の音とパパの掠れた声が重なった。
足元でひざまずく彼が一瞬上目遣いに僕を見上げた。

 パパの両手はあっという間に僕の下半身を裸にした。
彼の口は当然のように大きくなっている僕のものをくわえた。
少し前には肌寒く感じていた体が急に熱くなった。
温かい舌が蜜の溢れ出す先端を吸うと、たまらない快感に思わず声を上げた。
「あぁ…」
今度は僕の喘ぎ声とシトシト降る雨の音が重なった。
虚ろな目に映るすべての景色が歪んだ。パパの冷たい両手が僕の尻を引き寄せると、僕も両手で彼の頭を引き寄せた。
目を閉じて天を仰ぐと、瞼の奥にそこには存在しないはずの光を感じた。
彼の頭が揺れるたびにその動きが僕の両手に伝わり、彼の舌が先端を吸うたびに激しい快感が体中に伝わった。
僕は手に触れる柔らかい髪をぎゅっと掴んで腰を前後に動かした。するとパパの温かい口の中でピストン運動が繰り返された。

 パパ、今までどこへ行ってたの?
昼間はずっと家で仕事をしてるんじゃなかったの?
「パパ、もっと。もっと奥まで舐めて」
心の声と口に出す言葉はまったく別のものだった。
パパの舌は注文通りに先端から奥の方までを優しく丁寧に舐めてくれた。器用な舌は小刻みに動いて僕を興奮させた。
僕はずっとこんな時が続けばいいと思っていた。もう学校へなんか行かずに、ずっとずっとこうしていたいと思った。
でも全身に何度も快感の波が襲い掛かると、嫌でも最後の時が近づいてきた。