26.
適当な洋服を着て外へ飛び出した時、僕の心臓は大きく脈打っていた。
僕はもう自分がどうしたいのか分からなくなっていた。その時はただパパと2人でいる事が苦しくてたまらなかった。
空は青く、太陽の日差しは煌いていた。でもそんなものは何の役にも立たなかった。
僕はとにかく走り続け、バス通りへ出ると息を切らして歩道の上に立ち尽くした。
道路を走行する車は僕と違って躊躇なく走り続けていた。
ここでも僕は1人ぼっちだった。
そこにいる僕はパパに愛されている自分ではなく、暗い目をして俯いていた12歳の少年に戻ってしまっていた。
俯いてアスファルトの上を見つめると、昔の事が思い出されて切なくなった。
パパと出会う前の僕はいつも地面を見つめて歩いていた。
足元に10円玉を見つけると少し嬉しくなってそれを拾った。道の上に石ころが転がっていた時には、迷わず右足で蹴った。
昔の僕は毎日毎日そんな退屈な1人遊びを繰り返していた。
でもその時はアスファルトの歩道が涙で滲んで見えた。
その時の僕は、道の上に10円玉が落ちていても決して見つける事はできなかった。
誰かの笑い声が聞こえて顔を上げると、右側の方から歩いてくる親子連れの姿が目に入った。
小さな男の子の手を引いて歩く若い母親は、白いロングスカートを風になびかせていた。
青い洋服を着た男の子は子供らしい笑顔を見せ、母親と楽しそうに何かを話していた。
彼らは僕に目を向ける事もなくゆっくりと背中の後ろを通り過ぎていった。
道路の車が次々とブレーキをかけて停まったのは、すぐそこの信号機が赤い色を示していたからだった。
ママに会いたい。
僕はその時強くそう思った。自分がそう思った理由は、ちゃんと頭で理解していた。
ママはパパの小説の中でひどい書かれようだった。
わがままで勝手で子供の事なんか放りっぱなしの、ひどい母親として描かれていた。
あれでは彼女がパパの結婚相手だった事実など何があっても公表できるわけがない。
そういう意味では、彼女も僕と同じ犠牲者だったのだ。
その事に気づいた時、今ならママと分かり合えるような気がした。
右手をジーンズのポケットに入れると、指に冷たい感触があった。
僕はろくに使った事のない携帯電話を手に取り、ゆっくりとそれを開いた。
アドレス帳に登録されているのはパパの番号だけだった。でもママへ繋がる番号は頭の隅にしっかりと刻み込まれていた。
ママに会いたい。ママと話したい。
そういう強い思いはあったけど、彼女へ電話する事をためらった。
僕はママを裏切って彼女に捨てられた。それを思うと、今頃ぬけぬけとママに会いたいなんて言える立場ではなかった。
ゆっくりと彼女へ繋がる番号をプッシュした後、いったい何台の車が目の前を走り過ぎて行っただろう。
パパを失いかけた時、自分がどれほどひどい仕打ちをしたかという事にやっと気が付いた。
ママがパパを愛していた事はよく分かっていたのに、僕は彼女の大切なものを奪ってしまったのだ。
自分の卑劣さを痛感した時、僕の気持ちに微妙な変化が起きた。
ママに謝りたい。
最後まで心の通わなかった母親に対して、僕は強くそう思った。するとすんなり彼女に電話をする事ができた。
発信ボタンを押して携帯電話を耳に当てると、青い空を見上げて1つ深呼吸をした。
僕がママに電話をしたのは、彼女と離れて暮らすようになってから初めての事だった。