32.

 若葉のバイト先へ来たのは、本当にパパだったのだろうか。
その日の放課後。僕はずっとずっとそればかりを考え続けていた。
帰りのバスを降りて若葉と別れた後、僕はすぐに電車へ乗り継いだ。
空いている座席を見つけて静かにそこへ腰掛け、いつもそうしているように俯いて目を閉じる。
すると右からも左からも乗客の話し声が聞こえてきた。でもその人たちの声はすぐに雑音へと変わった。
夕方の太陽が背中を照りつけてとても暑かった。
僕は電車に揺られながら若葉が口にした言葉を何度も心の中で反すうしていた。
「お父さんは灰色のスーツを着てたよ。色白の肌が透き通って見えた。 目がキラキラしてて、髪はサラサラで、歩く姿がすごくかっこよかった」
バイト先へ来たのが僕のパパに間違いないのかと尋ねた時、彼は自信たっぷりに頷いてそう言った。
若葉の言った言葉はパパにピッタリ当てはまるものばかりだった。でもそれが本人だという確信はなかった。
ただしそれが本当にパパだったとしたら、彼が偶然若葉のバイト先へ立ち寄ったと考えるのは無理があった。
パパはきっと自分の意思で僕の写真を隠し撮りした。だったら彼が自ら若葉に会いに行ったと考える方がしっくりきた。
だとすると、パパは僕と若葉が一緒にいるところをどこかで目撃した事になる。 僕は若葉の事を一度も彼に話した事がなかったのだから。
じゃあ彼が僕たち2人を見かけたのは偶然なのか。そこまで考えると、とうとう頭が痛くなってきた。

 電車を降りて家まで歩く時、僕の足取りはすごく重かった。
バス通りにはいつもの風景があった。
道路を走る車が何台も連なり、時々現れるバスがバス停で待っていた人たちを呑み込んでいく。
自転車に乗って歩道を走る子供は、きっとどこかへ遊びに行く途中なのだろう。
早歩きの男の人が僕の横をすり抜けて行き、ベビーカーを押す女の人が前方から迫ってくる。
歩道のアスファルトが太陽の熱を跳ね返し、足元がやけに熱く感じた。
遠い所を眺めると、ぼんやりと陽炎のようなものが見えた。
頭痛は一向に治まらず、照りつける太陽がすごく熱くて、ずっと外にいると脳みそが溶けてしまいそうだった。
食事が不規則だったせいか、体がフラフラして気持ちが悪くなった。
僕は軽いめまいに襲われ、歩道の真ん中で立ち止まった。

 誰かに後ろからトントン、と肩を叩かれたのはちょうどそんな時だった。
フラつく体を回転させてゆっくり振り返ると、そこには見た事もない男の人が立っていた。
「滝沢雅巳くん?」
突然現れたその人は、どういうわけか僕の名前を知っていた。
色黒で背が低く、唇を歪めて微笑む白い服を着た男。
パパより少し年上に見えるその男は、黙って僕に1枚の名刺を差し出した。