7.

 1人ぼっちを自覚した僕は、徐々にパパを避けるようになっていった。
彼は午後8時を過ぎると本格的に仕事を始める。それが分かっていたから、放課後数少ない友達を誘って寄り道をして、なるべくその時間を過ぎてから帰宅するよう努力した。
でもだからといってパパと話したくないわけではなかった。本当はずっと彼と同じ時間を共有していたかった。
だけどパパとどれほど長い時間を過ごしても結局彼はママのものでしかなかった。
そう思うと、なんとなくパパと2人でいる時間を楽しめなくなったのだ。
夜空に星が浮かぶ頃、僕はできるだけゆっくりとした足取りで家路に着くようになった。
少し前までは放課後なるべく早く家へ帰るようにしていたのに、この変わりようには自分でも驚いていた。
その頃僕は初めて気づいていた。
僕は人一倍独占欲が強かったのだ。それでいて今まで誰かを独占した経験は一度たりともなかった。
そしてパパを独占できないのなら、彼がそばにいない方がずっとましだという気がしていた。


 午後8時20分。
ガチャッと音をたてて玄関の鍵を開けると、僕はすぐに靴を脱ぎ捨てて自分の部屋へ向かおうとした。
でもその時パパが仕事の手を止めて僕のところへやってきたので、必然的に足を止める事になってしまった。
パパは胸に小さくブランド名の入った黒いティーシャツを着ていた。それがママの買ってきた物であるという事を、僕はちゃんと知っていた。
パパは目の前に立ちはだかって僕の行く手をふさいだ。
玄関の隅に置かれた白い下駄箱の上には透明な花瓶に入った赤い花が飾られていて、そのいい香りが僕たちの間をさまよっていた。
そしてパパはいつもの冷徹な目で僕を見つめていた。氷のように冷たい視線が、僕の心に突き刺さるかのようだった。
その目はいつも僕を足止めさせた。優しさも敵意もない冷たい視線を浴びせられると、金縛りに遭ったかのようにまったく動けなくなった。
「お帰り、雅巳くん」
僕が黙って薄暗い廊下に立ち尽くしていると、彼の冷たい視線が突然穏やかなものへと変わった。
でも僕にはパパがどんな様子だろうともう関係がなかった。
僕は何も言わず、ただ彼の横をスッとすり抜けてゆっくりと自分の部屋へ向かった。
パパはそんな僕に二度と声を掛けようとはしなかったし、もちろん追いかけてくるような事もしなかった。

 やっと自分の部屋へ辿り着くと、急に疲れがどっと出た。
それほど仲がいいわけでもない友達と寄り道する事も、パパを無視する事も、僕にとってはどちらも疲労に繋がる行為でしかなかった。
僕はその夜お風呂へも入らず、部屋の電気を一度も点けず、さっさとパジャマに着替えてすぐにベッドへ横になった。
枕の上に頭を乗せてテレビの電源を入れ、しばらくその画面を見つめていると時々その光が眩しすぎて涙目になった。
本当はそんな事を考えたくなんかないのに、僕は一瞬パパの事を思った。
パパは毎晩暗い部屋で眩しいブラウザを見つめて孤独な仕事に追われていた。 そして彼も時々その光に耐えられず目に涙を浮かべているのかもしれないとふと思った。

 すごく疲れているはずなのに、僕はちっとも寝付く事ができなかった。
ベッドに横たわって漠然とテレビを見つめていても、音量を絞っているためにその内容はほとんど分からなかった。
そして気がつくといつもの安っぽいドラマが始まろうとしていた。 でもその夜はとてもマスターベーションをするような気分ではなかった。
なのにテレビの画面に裸の女が登場すると、いつの間にか勝手に下半身が熱くなってきた。
人の習性というものはそう簡単には変えられないようで、僕の体はその時間になると勝手に反応を示すようにできているようだった。
裸の女はお風呂上りで、赤っぽい髪がしっとりと濡れていた。
彼女は酔いつぶれて眠っている男のズボンを自ら剥ぎ取り、興奮気味にその男の上にまたがった。
女が腰を大きく振ると、男は意識が朦朧としながらも大きな両手で彼女のお尻をわしづかみしていた。
テレビ画面に男の顔はほとんど映らず、赤毛の女が腰を振る様子がただひたすら流されていた。
僕はいつものように布団の下でパジャマのズボンを下ろした。 そしてゆっくり目を閉じると、すぐにドラマの中の男へと変身する事ができた。
裸の女が自分にまたがってせっせと腰を振っている。
それを想像しながら硬くなった体の一部分に指を当てると、少しずつ少しずつ気持ちがよくなっていった。
夏が近づくにつれて外の気温も家の中の気温も上昇する傾向にあった。
徐々に興奮が高まってくると、僕の手にも太ももにもじわっと汗が滲んだ。

 こんな日でも僕はしっかりと快感を得る事に成功した。
肌に汗が浮かぶたびに頂点がどんどん近くなっていった。そしてきつく閉じた瞼の奥には天国への扉が見え隠れしていた。
しかし、それは突然起こった。
ある時僕の頭にいきなりパパとママのセックスする様子が浮かび上がったのだ。
パパは細い裸体をベッドの上に投げ出し、ママは彼にまたがって小刻みに腰を振っていた。
彼女が動くと大きな胸がユサユサと揺れた。パパの白い手はママのお尻をぎゅっとつかんでいた。
それはまるで悪夢のような妄想だった。
僕は頭の中のその映像を消し去るためすぐに目を開いた。その時僕の全身は冷たい汗に包まれていた。
「はぁ…」
しかし目を見開いてもまだ悪夢は続いていた。
大きく深呼吸をして額の汗を拭った時、僕は暗闇の中に立つパパの存在に気づいたのだ。
パパはベッドの脇に立って冷たい目でじっと僕を見下ろしていた。
黒いティーシャツを着た彼の姿が、テレビの放つ光によって淡く照らされていた。
冷徹なその目が僕を見つめると、まるで銃を向けられているような気分になった。
そして僕はまったく身動きができなくなった。
ただ体中から次々と汗が噴き出して、枕もシーツも徐々に湿っていくのが分かった。