9.
朝になるとやっと金縛りが解かれた。
瞼の向こうに朝の光を感じて目を開けると、僕の体は自然に動いた。
両腕は自由自在に曲げ伸ばしができたし、両足はごく普通に膝を折る事ができた。
いつものようにテレビはちゃんと消されていた。そして部屋の中はカーテン越しの朝日に柔らかく照らされていた。
僕はきちんとパジャマを着込んで、たった1人でベッドの上に横たわっていた。
それはいつもと同じ朝の風景だった。
僕はすぐに昨夜の事を思い出したけど、それが夢なのか現実なのか自分でもよく分からなかった。
ただ枕に顔を埋めると微かにパパの匂いがした。そして腰が少しだけ重く感じた。
パパとの事が現実であった事を認識するためには、それだけの材料があれば十分だった。
僕は射精した後の事をほとんど覚えていなかった。でもあの後すぐに眠ってしまった事は容易に想像ができた。
安っぽいドラマを見てマスターベーションをした後、僕はいつもすぐに眠っていたからだ。
熱いシャワーを浴びて髪を乾かし、身支度を整えてキッチンへ行くと、ダイニングテーブルにパパの姿があった。
彼は昨日と違うティーシャツを着て、珍しくジーンズをはいていた。
明るい朝の日差しが硬い椅子に腰掛けて新聞を読む彼の横顔を照らしていた。
パパの頬は真っ白で、穏やかな2つの目は新聞に刷り込まれた文字をゆっくりと追いかけていた。
昨夜僕をくすぐった茶色の髪は、肩の上で小さく外側にはねていた。
「まぁちゃん、早く座ったら?」
僕に背を向けて料理をしていたママが、突然振り返って大きな声でそう言った。
ママは長い髪を1つに束ね、黄色いエプロンを腰に巻いていた。化粧をしていない彼女の顔はやけにシンプルに見えた。
ママは出来立ての卵焼きを皿の上に乗せ、透明なグラスに白いミルクをたっぷり注いだ。
パパはチラッと僕に目を向けておはよう、と素っ気なく言っただけだった。
彼の目が再び新聞の文字へ向けられると、やはり昨夜の事は夢だったのかという不安が僕の胸をよぎった。
「ほら、早く食べないと学校へ遅刻するわよ」
ママは家族のために用意した朝食をダイニングテーブルの上に並べ、早口でそう言いながらパパの向かい側に座った。
僕はなんとなく食欲がなかったけど、それでも一応パパの隣へ腰掛けた。
黒いテーブルの上には見慣れた食事が並んでいた。
卵焼きとトーストとサラダとミルク。それはずっと昔から続く我が家の朝食メニューだった。
でもパパと一緒に暮らすようになってからはその食事が2人分から3人分に増えていた。
「いただきます」
ボソッとそう言ってトーストにかじり付くと、パパも新聞を手放してサラダに口を付けた。
僕たち3人の朝にはいつもほとんど会話がなかった。
だけどこの朝だけは沈黙が僕の居場所を奪っているような気がしていた。
黙って1人で考え事を始めると、どうしてもよくない事ばかりが頭に浮かんだ。
パパはいったいどういうつもりで僕にあんな事をしたのだろう。
あれは一夜限りの遊びだったのだろうか。
パパはママとのセックスに退屈していて、僕の体をもてあそんだに過ぎなかったのだろうか。
彼にとって僕はいったいどんな存在なのだろう。もしかして僕は単なるおもちゃとしか思われていないのかもしれない。
どっちにしろ、僕はこれからパパとどんなふうに接していったらいいのだろう…
こうしてパパとの事に思いをめぐらせ、漠然と味気ないトーストをかじり続けていると、ある時突然彼が僕の名前を呼んだ。
「雅巳くん」
そう言われてパパの方へ顔を向けると、その瞬間に僕の不安がすべて吹っ飛んだ。
彼は朝日を浴びてにっこり微笑み、僕の口元へそっと手を伸ばした。
その細い指が僕の唇に触れると、細かいパンくずがそこから落ちてパラパラとテーブルの上に降り注がれた。
その様子を見ていたパパは、クスッと小さく声を上げて笑った。
彼の優しい目と、透き通るような白い肌。僕がそれに見とれていると、今度は彼の指が僕の胸元へ近づいた。
「ネクタイが曲がってるよ」
パパの指が軽くネクタイの位置を整えると、いつの間にか僕も彼につられて笑っていた。
彼に素っ気なくされると淋しい。でも少しでも構ってもらえるとすごく嬉しい。僕の心はそんな単純な構造でできていた。
「最近帰りが遅いけど、今日は寄り道しないで帰っておいで」
彼がそう言って僕の頭を撫でた時、自分の気持ちが彼に向かっていくのがはっきりと分かった。
僕は目の前で微笑む彼を心から愛していた。
若くて綺麗で優しい彼を、好きで好きでたまらなかった。