11.

 つかさは夕方になると学校まで僕を迎えに来た。
彼はそういう予告を一切しない人だったので、放課後つかさが校門に寄り掛かって立っているのを初めて見た時はかなり驚いた。
つかさはつまらなさそうに宙を睨み付けてそこにいた。 でも僕の姿を見つけると目尻を垂れ下げて真ん丸な笑顔を見せるのが常だった。
彼が初めて灰色の門の前で僕を待っていた時は本当にすごく驚いた。
その次の日の放課後はもしかして今日も来てくれているだろうかと淡い期待を胸に抱きながら校舎を出た。
そして3日目の今日は彼が必ず来てくれていると信じて校舎を出てから灰色の門へ続く約80メートルの道をダッシュで駆け抜けた。
周りを歩く生徒たちはゆったりした足取りで家路に着こうとしているのに、僕はその人たちの隙間を風のように駆け抜けていった。
僕が走ると、乾いた道の上に土埃が舞い上がった。 学ランの群れの横にはいつものように校庭で練習を始めようとする白いユニフォーム姿の野球部員たちが見えた。
空には白く薄い雲が浮かんでいた。今日の空は割合晴れていて、秋の穏やかな日差しがそこに存在するすべての人たちを明るく照らしていた。
灰色の門の手前まで行った時、僕はその向こうに見慣れた影を見つけてそこからは急にゆっくりと足を進めた。

 「おぅ!」
つかさは僕が行くと短くそう言っていつものようににっこり微笑んだ。
かわいい。
目尻が垂れ下がるその子供っぽい笑顔を見た瞬間に、僕はまたそう思った。
私服姿の青年が学校の門に寄り掛かっている光景は他の生徒たちの目には奇妙に映っていたようだった。
授業が終わって家路に着くY 高校の生徒たちは、初めはつかさの事をもの珍しげに見つめていた。 でもそれが3日目になると皆はしだいにその光景を見慣れて誰もつかさの事を気にしなくなっているようだった。
こうして彼はたったの3日間で放課後の風景に溶け込んでしまったのだった。
今日の彼はざっくりしたセーターを着ていて、その袖は少し長めだった。 白い袖に半分埋もれている彼の右手には、クマのキーホルダーに取り付けられている車のキーが握られていた。
僕はここまで走ってきた事が決してバレないように澄ました顔で静かに息を整えていた。
「行くぞ」
つかさはまた短くそう言ってすぐにバス亭とは逆の方向へ歩き始めた。そして僕は黙って彼の後を追いかけた。
バス停と逆方向へ歩いていくような人たちは、僕ら以外にもちろん誰もいなかった。

 僕たちの右側にはフェンスがあって、その向こうには古い校舎の姿が見えた。
Y 高校は創立100年を越える歴史の長い男子校だ。 その間に校舎は何度か建て替えられているようだけど、現在は白い外壁の所々に大きくヒビが入っていた。
緑色のフェンスには、時々赤とんぼがとまっていた。
すぐ近くでガチャガチャと金属の触れ合う音がするのは、クマのキーホルダーと車のキーがぶつかり合っているせいだった。 つかさの手に握られたそれは、彼が一歩足を進めるたびに不規則な金属音を放っていた。
舗装された道の上に、つかさの長い影が伸びていた。 歩くたびに前後へ揺れ動く彼の手の中で、クマのキーホルダーも一緒にユラユラと揺れていた。
校舎を囲むフェンスが途切れると、ちょうどそのあたりに彼の車が停めてあった。
つかさの車はトラックに衝突されて廃車になったという事だったけど、彼はすでに新しい車を購入していた。 それは中古で買ったという紺色のRV 車だった。
つかさはいつもこのあたりに車を停め、そこから校門までの短い距離を歩いて僕を迎えに来るのだった。

 つかさに促されてその助手席に乗り込むと、僕はいつも淡いオレンジの香りに包まれた。 それは彼が車用の芳香剤にその香りを選んでいたからだった。
彼が運転席に座ってエンジンをかけると、その瞬間から僕らは車の中で2人きりになった。
「どこへ行きたい?」
車が走り出すと、つかさは運転しながらいつもそう言って僕に行き先を委ねた。
彼は車のハンドルを操る事で手が自由に使える喜びを味わっているかのようだった。
つかさの大きな手は右や左にハンドルを切って僕をどこへでも連れて行ってくれた。
車内には一応FM ラジオが流れていたけど、その音量が低かったためにラジオの音は車の振動にかき消されていた。
僕にとって車に乗っている間はつかさを見つめるのに最も適した時間だった。
運転中の彼はもちろん前だけを見ていた。そして僕は助手席に座ってじっとつかさだけを見つめていた。
つかさは日の光が眩しいのか、少し目を細めているようだった。
彼の目を細くする日差しはつかさの茶色い髪を光らせ、同時に白い頬を照らしていた。
つかさが時々ふっくらした唇を舐めると、僕はそのたびにドキドキした。

 舗装された真っ直ぐな道をしばらく走り続けると、つかさが黙って左手を車のハンドルから放した。
半分白い袖に埋もれたその手は、何かを探すように助手席の僕の方へと伸ばされた。 僕には彼のその手が何を探しているのかちゃんと分かっていた。
僕はドキドキしながら彼にゆっくりと右手を差し出した。するとつかさの手は迷う事なく僕の手を強く握った。
つかさの手はとても大きくて、僕の右手は一瞬その中に埋もれてしまいそうになった。
もしかして彼は僕の手を握る事で自分の手が自由に使える喜びを味わおうとしていたのだろうか。
指と指を絡めて彼と手をつなぐと、僕はやっと視線を前へ向けた。
これからは目で彼の姿を確認しなくても、彼と手をつなぐ右手がしっかりとつかさの存在を僕に伝えてくれるからだ。
「腹減ったな。国道に出たら何か食おうぜ」
つかさの声が、車内に小さく響いた。
誰もいない田舎道を真っ直ぐに進むと、やがて国道にぶつかる。そこにはバーガーショップやファミリーレストランが軒を連ねている。
そして僕たちがどこで食事をするかを決め、車を降りる瞬間にしっかりとつながれていた手はあっさりと解かれてしまう。
昨日も一昨日もそうだったから、僕はちゃんとその事を知っていた。
車という密室の中では恋人同士のような2人なのに、車を降りた途端に僕と彼の関係は普通の友達へと変わってしまうんだ。

 秋の日差しが眩しくて、僕も思わず目を細めた。
真っ直ぐな道の遥か彼方には緑色の低い山が見えた。その鮮やかな緑の色はとても美しく僕の目に映った。
でもきっともう少し時が経てば、その美しい緑は赤や黄色へと変わってしまうのだろう。