13.
僕は真っ暗な部屋の中に立っていた。
そこがいったいどこなのかという事は、自分でもはっきりとは分からなかった。
ただ、その部屋はひどく暑かった。
目尻に浮かぶ汗の存在に気付いた時、僕はようやく理解した。部屋の中が真っ暗なのは、きつく瞼を閉じているせいだったんだ。
目尻に浮かぶ汗は頬をスーッと流れ落ち、その汗は最後に顎のラインにまで達した。
太もものあたりにも汗をかいていて、その雫は次々とふくらはぎを伝って足元に流れ落ちていった。
下腹部に誰かの熱い息を感じた。
そっと手前に下ろした両手の先は、その人の柔らかい髪に触れた。
誰かが僕の前にひざまずいている。
その事にはすぐに気付いたけど、その人が如何なる人物なのかはまだ分かっていなかった。
気が付くと、火がついたかのように熱くなった僕の先端に生温かい舌の感触があった。
僕はその柔らかい舌の持ち主を知っていた。
暗闇の中で彼の姿はまったく見えなかったけど、僕の先端に舌を這わせているのは間違いなくつかさだった。
僕は両手で彼の小さな頭を掴み、腰を前へ突き出して彼にもっと奥まで舐めてもらおうとした。
すると彼はすぐに僕の思いを感じ取り、生温かい舌の先をツンと尖らせて僕の硬いものを隅から隅まで舐めてくれた。
つかさの舌が先端から奥まで自由に行き来すると、あまりにも気持ちがよくて意識が朦朧としてきた。
足元から頭のてっぺんまで、何度も何度も高圧電流が走った。
両手で掴む小さな頭は小刻みに揺れていた。つかさの舌はそれと同じリズムで小刻みに僕を愛撫した。
きつく閉じた瞼の奥には、真っ白な光が見えた。
それが長く続くと、だんだん限界が近づいてきた。
目尻に浮かぶ汗は頬をスーッと流れ落ち、その汗は最後に顎のラインにまで達した。
太ももを滑り落ちていく汗の雫は、休む事なく次々と生成されていた。
僕は奥歯を噛み締めて必死に射精を堪えた。
もう限界はすぐそこまで近づいていて、時々体がブルッと震えた。
それを何度か繰り返した時、突然つかさが舌の動きをピタッと止めた。
あと少しでいけそうなのに……
そう思って彼の頭を引き付けると、ふっくらした唇が僕の先端を強く吸った。
その瞬間に、僕はとうとう限界を越えてしまった。
ゆっくり瞼を開けると、そこには暗闇だけが存在していた。
部屋の中が暗いのは瞼を閉じているせいだと思っていたけど、目を開けてもそこは真っ暗だった。
周囲がやけに静かだった。僕は今が夜中である事を悟っていた。
僕は右手で顔中に浮かぶ汗をそっと拭った。
身に着けている衣服は汗をかいた皮膚にぴったりと貼り付いていた。そして汗を吸った枕はやけに生温く感じた。
「はぁ……暑い」
僕は柔らかいベッドの上で寝返りを打ち、体に覆いかぶさる布団を思い切り蹴った。
その時僕は、何か釈然としないものを感じた。
僕は真っ暗な部屋の中に立っていたはずなのに、どうして今はベッドに寝そべっているんだろう。
そういえば、つかさは?
彼はいったいどこへ行ったんだ?
少しずつ体の汗が乾き始めて頭が冷静になってくると、僕は今の自分の状況をやっと理解した。
つかさはたしかについさっきまで目の前でひざまずき、僕を頂点へと導いてくれたのだった。
僕の先端にはまだわずかに柔らかい舌の感触が残されていた。
パンツの中が生温かく濡れているのは、決して汗のせいではなかった。
翌朝僕はいつも通り学校へ向かった。
そしてちゃんと授業を受けてはいたけど、何もかもが上の空だった。
明るい教室の中には机がズラリと並び、机と同じ数だけ学ランを着た生徒の姿があった。
僕以外のクラスメイトはきちんと教師の声に耳を傾け、時々サラサラとノートに何かを書き記しているようだった。
でも僕だけは教師の声を聞き流し、机の上に広げたノートに意味のない丸印を延々と綴っていた。
机の隅に置いた消しゴムが落下して教室の床を転がっても、僕はそれを拾い上げようともしなかった。
ふと教室の窓の外に目をやると、校舎を囲むフェンスの向こうにいつもつかさと一緒に歩く道がはっきりと見えた。
遠くの空は綺麗な水色だった。
つかさは今日も放課後校門の前で僕を待っているに違いなかった。
5時間目の授業が終わって短い休み時間に入ると、僕はいよいよソワソワしてきた。
その頃机の上に広げたノートには数え切れないほどの丸印が並んでいた。
6時間目の授業が終わったら、とうとう放課後がやってくる。
いつもは1日の授業が終わるのを心待ちにしている僕だけど、今日だけは少し違っていた。
僕はつかさに会うのが恥ずかしくてたまらなかった。
昨夜あんな夢を見てしまった僕は、いったいどんな顔をして彼と向き合えばいいのだろう…
あれほど淫らな夢を見てしまった原因は、僕の体がつかさの愛撫を覚えていたからだ。
僕はたった一度だけ彼と触れ合った時の事を何度も思い返していた。
薄い月明かりの下。静かな病室の中で、僕らはたしかに触れ合った。
僕の指に反応して、つかさは声を上げていた。彼がベッドの上で足をバタつかせるたびに、緩んだシーツにシワが寄った。
あの日の月明かりは、そのすべてを余すところなく照らしていた。
でも僕が彼にしてあげた事については緊急避難的な要素が多かった。
あの時は両手が使えないつかさにご飯を食べさせてあげるのと同じで、単純に僕の手が彼の手の代わりをしたに過ぎなかった。
あの後僕はたしかに自分の手でパジャマのズボンを下ろし、自らつかさの愛撫を受け入れた。
でもそれは僕が彼にしてあげた事のお返しを受けただけだった。
あの夜の事に関しては、こうして自分自身に言い訳が立った。でも昨夜の事に関してはどこにも逃げ道がなかった。
静かな病室で彼と触れ合ったのは、もうとっくに過ぎ去った事だった。
つかさの両手が完治した以上、もうあの夜を繰り返す事はないと思っていた。
でも、僕の心と体は別の意思を持っていたのかもしれない。
僕の体は、ずっと彼を求め続けていたのかもしれない。
「はぁ……」
大きくため息をついて俯くと、突然机の前に黒い影の存在を感じた。
なんだろうと思ってゆっくり顔を上げると、目の前にクラスメイトの岩城が立っていた。
坊主頭の岩城は、不揃いな歯を覗かせてにっこり微笑んでいた。
彼のトレードマークである銀縁メガネのレンズが、窓の外の光を受けて一瞬キラリと輝いた。
「カズ、朝からずっとぼんやりしてるみたいだけど、何かあったのか?」
彼は突然僕の机の前にしゃがみ込んでそう言った。
岩城はY 高校陸上部のホープと呼ばれている男だった。
よくは知らないけど、彼は中学生の時100メートル走のタイムで全国3位の成績を残したらしい。
僕は岩城と特別親しいわけではなかった。でも彼は時々こうして僕に話しかけてくる事があった。
「別に、何もないよ」
僕は彼の問い掛けに短くそう答えた。
たとえ相手が誰であれ、僕のユウウツの原因を打ち明ける事は絶対に不可能だった。
僕はもう一度小さくため息をついて、机の上で組んだ自分の両手を何気なく見つめた。
明るい教室の中はクラスメイトたちがお喋りする声でガヤガヤしていた。
僕はこの時1人で考え事をしたい気分だった。でもそんな時に限って岩城はなかなか目の前から消えてはくれなかった。
「放課後いつもカズを待ってる奴は、いったい誰なんだ?」
岩城にそう言われ、僕は机の上で組んでいる両手にぐっと力を込めた。
つかさの事について僕が人に何かを聞かれたのはこれが初めてだった。
僕は岩城が少しでもつかさに関心を抱いた事をすごく意外に思った。
メガネの奥の岩城の目は、妙に真剣な表情をしていた。
「なぁ、あの男はお前の何なんだ?」
彼は探るような目つきでもう一度僕に質問を投げ掛けた。
でも僕はその問い掛けに何も答える事ができなかった。それは僕の方が自分に聞きたい事だった。
「カズ、あの男と普通の仲じゃないんだろ?」
「……」
「お前、もしかしてあいつとやったのか?」
岩城はいきなり予測のつかない発言をした。
僕は急に頬がカッと熱くなり、机の上で組んでいる両手に更に力を込めた。
この時僕は彼にすべてを見透かされたような気分になっていた。
窓の外の光が、もう一度岩城のメガネのレンズをキラリと輝かせた。
彼はメガネの位置を右手で整えながら一瞬目を伏せて渇いた唇を噛んだ。
僕は突然喉の渇きを覚え、ゴクリとつばを飲み込んだ。
するとその時、6時間目の始業を知らせるチャイムが教室の中に鳴り響いた。
立って歩いていたクラスメイトの何人かが、岩城の背中の後ろを通って自分の席へ着こうとしていた。
「真っ赤な顔をするなよ。こっちまで恥ずかしくなってくる」
岩城は小さくそうつぶやき、サッと立ち上がって僕に背を向けた。
僕は窓際の席へ戻っていく大きな彼の背中をドキドキしながら見送っていた。