18.
約束の日曜日。僕は4日ぶりにつかさと会った。
彼は朝10時に家まで迎えに来てくれて、僕を車に乗せた後真っ直ぐに自分のアパートへと引き返した。
彼がジャージ姿だったのは、きっとすぐにアパートへ戻るつもりだったからだ。
つかさの暮らすアパートは8つの部屋がある四角い建物で、その壁は空に溶けてしまいそうな水色だった。
「俺の部屋、2階の奥なんだ。階段が急だから気を付けろよ」
アパートの錆付いた階段の前に立った時、つかさは僕にそう言って注意を促した。
たしかに階段は急だった。
足元に気を付けながら2階へ上がり、眼下を見下ろすとアパートの前に停めたつかさの車の屋根が目に入った。
そこは2階建てで、階段を上ると4つの白いドアが一定の距離を置いて並んでいた。
彼の後に続いて1番奥のドアの前に立つと、秋の日差しが僕の背中を温かく照らした。
「遠慮しないで入れよ」
つかさは玄関へ入ると後ろを踏んづけていたスニーカーを投げ飛ばし、すぐにその奥の廊下へと足を踏み入れた。
アパートの玄関はとても狭くて、短い廊下の右側には小さなキッチンがあった。
つかさが廊下の左側にあるドアを開けると、その奥にはわりと大きめのテレビが見えた。
僕は彼の後に続いて廊下へ上がり、つかさの靴と自分の靴を玄関の隅に並べて置いた。
つかさの城は広めのワンルームだった。
僕はそこへ足を踏み入れた時、まずは部屋の中をゆっくりと見回して観察した。
日当たりのいい彼の部屋は結構綺麗に片付いていた。そして意外にも立派な家具が揃っていて驚いた。
大きめなテレビの前には木造りの丸いテーブルがあり、ベランダを背にして皮のソファーが置かれていた。
そしてソファーの横にある背の高い棚は部屋を二分する役目を果たしているようだった。
棚の奥にはベッドの姿が半分だけ見えていて、そこはドアのない寝室のようなスペースになっていた。
「何してる? こっち来いよ」
つかさはテーブルの上にあった雑誌を片付けながらそう言って真ん丸な笑顔を見せた。
目尻の垂れ下がったその笑顔を見るのは、すごく久しぶりのような気がした。
彼はすごくリラックスしている様子だったけど、ドアの前に立つ僕は少しだけドキドキしていた。
誰にも邪魔されない密室で彼と2人きりになってしまったら、すぐに何か起こりそうな予感がしたからだ。
秋の日差しがベランダを通して部屋全体を明るく照らしていた。
つかさは強い日差しを背負って僕に近づいた。
彼は子供のような笑顔を見せながら、決して子供が口にしないような言葉を僕に投げ掛けた。
「絶対変な事しないから、早く来いよ」
そんなふうに言われると少し頬が熱くなった。この時僕は彼に心の中を見透かされたような気分になっていた。
「素敵な家具がいっぱいだね」
僕は話を逸らしたくて彼にそう言った。
するとつかさは急に目をつり上げておもしろくなさそうな表情を見せた。
「この部屋、少し前まで何もなかったんだ。俺はそれで満足だったのに、おふくろが勝手に家具を入れさせたんだよ」
つかさは不満げにそう言ったけど、彼のお母さんはつかさがかわいくてそんな事をしたに違いなかった。
僕はこの時お母さんに愛されている彼をすごく羨ましく思った。
「このソファーは座り心地が悪いから、下に座れよ」
僕が真新しいソファーへ近づくと、つかさがすかさずそう言った。
その時ソファーの上には雑誌や脱ぎ捨てた洋服が置かれていたから、僕は必然的に温かい木の床の上に腰掛けた。
テーブルの下に足を伸ばして正面を見つめると、真っ黒なブラウン管に緊張気味な自分の顔が映し出された。
秋の日差しの中を、無数の埃が舞っていた。そこは彼と2人きりの静かな空間だった。
「何か飲むだろ? ジュースでいいか?」
つかさはそう言いながら僕に背を向けて一度部屋を出て行った。そして数秒後には缶ジュースを2本抱えて僕のところへ戻ってきた。
彼はまた目尻を垂れ下げてにっこり微笑んでいた。秋の日差しは彼の頬と茶色の髪を照らし、同時に僕の背中を照らしていた。
「好きな方を飲めよ」
ガン、と音を立ててつかさが2本の缶ジュースをテーブルの上に置いた。
僕は目の前にある缶ジュースを一瞬で見比べ、そのうちの1本に手を伸ばした。
するとその時、突然背中から彼に抱き締められた。
ジャージに包まれた2本の腕が、僕の胸をぎゅっと強く締め付けた。
つかさは僕のすぐ後ろに座っていた。秋の日差しの代わりに、つかさの体温が僕の背中を温め始めていた。
彼の冷たい頬が僕の熱い頬にそっと寄せられた。つかさの茶色い髪が、僕の首筋を少しくすぐった。
「ずっと会えなくて淋しかったよ」
彼の声が耳に囁かれると、僕はまたドキドキしてきた。
缶ジュースを取り損ねた僕の手は、力なく膝の上に下ろされた。
僕の体は熱かった。つかさの2本の腕はきっと僕の鼓動をしっかりと感じていた。
彼の腕に更に力が込められると、すごく胸が苦しくなった。
「これ、受け取って」
つかさは僕の胸の前でゆっくりと右の掌を開いた。するとそこには銀色に光る鍵が存在していた。
「この部屋の合鍵だよ」
つかさの掌に乗っている銀色の鍵に秋の日差しが反射して眩しかった。
胸にも頬にも背中にも、つかさの温もりをはっきりと感じた。
「日曜日は1日中一緒にいよう」
3日前の雨の夜、つかさは僕にそう言った。
こうして1日中彼と一緒にいる事を考えると、ドキドキし続ける心臓が壊れてしまいそうな気がした。