22.

 日曜日は、つかさと1日中遊べる貴重な日だ。
ちょっと遠くまでドライブしたり、気まぐれにどこかへ立ち寄ったり。
特別な事なんか、何もしなくていい。ただ彼と同じ時間を共有する事が、とても嬉しくてたまらなかった。
「なぁ、タイヤキ食おうぜ」
郊外のショッピングモールをフラフラしていると、ある時彼がそう言った。 それはきっと、甘い香りと共にタイヤキ屋の看板が見えてきたからだった。
つかさはその店で1つだけそれを購入した。僕らは温かいタイヤキを半分に割って、2人で分けて食べるのだ。
彼はあんこのたっぷり入った頭の方を僕にくれる。そして自分は、黙って尻尾にかじりつく。
僕はつかさの、こういうところが大好きだった。

 ショッピングモールは天井が高くて、通路も広々としていた。
タイヤキを頬張りながら歩くと、だんだん体が温まってくる。
その空間には人がいっぱい溢れていた。家族連れや、若いカップルや、お喋りしながら歩く女の子たち。
その中にいた1人の青年が、ふと立ち止まって僕に笑いかけたような気がした。
不思議に思いながらつかさと2人で歩き続けると、やがてその人が大きく叫んだ。
「ムサシ!」
僕はその瞬間、すぐにつかさの顔を覗き見た。すると彼は、目尻を垂れ下げて優しくその人に笑顔を返していた。
つかさのあだ名は、ムサシ。
この日僕は、彼をそう呼ぶ人と初めて対面したのだった。

 それから僕たちは、3人でショッピングモール内にあるカフェに入った。 その店はとても混んでいたけど、うまい具合に窓際のテーブルが1つ空いていた。
「お前、今こっちにいるのか?」
つかさは向かい側へ座った彼に親しげに話しかけた。しかしその人は、それを無視してこう言った。
「おい、紹介しろよ」
ちょうどその時注文したコーヒーが運ばれてきて、会話が一瞬止まってしまった。
僕は口の中にあんこの甘みが残っていたので、苦いコーヒーをすぐに口にした。
「こいつは上田。高校の時からの友達だよ」
つかさは最初に、友達を僕に紹介した。
上田くんは体ががっちりしていて、髪は短く刈り上げていた。目も鼻も口もみんな大きくて、なんだか笑顔も豪快だった。
「こっちは和雪。最近よく遊んでもらってるんだ」
ちょっと間を置いてから、今度は僕が上田くんに紹介された。
僕の事をどう紹介するのか少し興味があったけど、つかさはそれをサラリとやってのけた。
「日曜日なのに、ネクタイか?」
つかさに冷やかされ、上田くんは慌てて首に巻いたネクタイを外した。
彼らは久しぶりに会った様子で、しばらくはお互いの近況を報告し合っていた。
つかさは事故に遭って入院した事や、その病院で僕と知り合った事などを粛々と語っていた。
上田くんの方は最近田舎から出てきたばかりで、今は車屋で働いているようだった。 彼はついさっきまで仕事をしていたそうで、ネクタイはその名残だと言って笑った。
2人の口から知らない人の名前が飛び出すと、僕は話についていけなくなった。
僕とつかさの歴史はまだ始まったばかりなのに、上田くんとつかさの歴史はとても長い。
彼らの話を聞いていると、それを実感してちょっと淋しくなった。
「吉岡の兄貴が、来月こっちで店を出すらしいぞ。場所は分からないけど、イタリア料理の店らしい」
「へぇ。随分出世したんだな」
「高校生の頃はチャラチャラしてたのに、本当にびっくりだよ」
「吉岡の兄貴って、たしか由紀子と付き合ってたよな?」
「別れたよ。由紀子は今、別な男と付き合ってる」
「お前、よくそんな事知ってるな」
「まぁね。俺は早耳なのさ」
2人は何も飲まずに話し続けていたけど、僕のコーヒーカップは空になっていた。
やがて2人の声が店内のざわめきに混じり、その内容は上の空になった。
窓から覗く空はすごく晴れていて、日差しがとてもまぶしく感じた。

 「ちょっとトイレに行ってくる」
しばらくすると、つかさが席を立った。
残された僕は、多少の気まずさを感じながら上田くんにそっと笑いかけた。
「勝手に話し込んで悪かったな」
彼はそれから初めてコーヒーに口をつけた。でもそれは、すでに冷めてしまっていただろう。
「あ、そうだ。名刺を渡しておくよ。今車の営業をやってるから、買いたい人がいたら電話して」
彼から名刺を受け取ると、そこに書かれた文字をぼんやりと眺めた。
1番上には見た事のある中古車屋のロゴがあり、その下に上田千春と書いてある。
その風貌とかわいらしい名前が見事にアンバランスで、僕は思わず吹き出しそうになった。
「和雪くんは、ムサシの恋人?」
前置きもなく突然そう言われ、急に心臓の動きが激しくなる。
僕が少し戸惑いを見せると、上田くんはまた豪快な笑顔を見せた。
「ムサシは君に惚れてるんだろう? 君たちは、相思相愛なのか?」
彼はすごくズバズバとものを言う人だった。どう返事をしていいのか分からなくて、僕はその場を逃げ出したくなった。
たしか以前にも、誰かに似たような事を言われた記憶があった。
つかさと僕は、そんなふうに見えるのだろうか。
友達同士ではなく、恋人同士にしか見えないのだろうか。

 僕がドキドキしていたその時、いきなり携帯電話が短く鳴った。
その時は、助かったと思った。とにかく話が逸れてくれれば、何でもいいと思ったんだ。
急いで携帯電話を開くと、液晶画面に太陽の光が反射した。 メールが届いた事が分かったので、僕は早速それに目を通した。

トイレにきて

それはつかさからのメッセージだった。
携帯電話をすぐに閉じて、上田くんの顔をじっと見つめる。
僕はつかさのメッセージに応えるべく、彼に小さく言葉を告げた。
「ちょっと、トイレに行ってきます」
「あぁ、うん」
上田くんは頷いて、冷めたコーヒーを更にすすった。
それを尻目に、急いでカフェの出口へ向かう。トイレはたしか、店を出てすぐ左側にあったはずだ。

 早速トイレへ駆け込むと、つかさは洗面台の横にいた。
急にあんなメールをくれるからいったい何かと思ったのに、彼は特に変わったところがなかった。 白いセーターはお似合いだし、笑顔がかわいいし、僕を見つめる目もいつも通りだった。
「どうしたの?」
彼に近付くと、いきなりきつく抱きしめられた。
抱き合う2人の姿が、洗面台の鏡にはっきりと映し出される。
つかさは僕の髪を撫で、僕はその胸に頬を寄せていた。そこに映る2人は、どこから見ても恋人同士だった。
それから間もなく、鏡越しにつかさと目が合った。彼は目尻を垂れ下げて僕に微笑み、僕も彼に笑顔を返した。
「逃げるぞ」
僕は右手を彼に掴まれ、そのまま体ごと引っ張られた。
ショッピングモールの通路へ出ると、そこには相変わらず人がいっぱいいた。
つかさは人ごみをかき分けて走った。手をつないで走る僕らの姿は、きっと大勢の人に見られていた。
「どこへ行くの?」
「逃げるんだよ。俺、上田に2千円貸してるんだ。コーヒー代ぐらい払わせたって、罰は当たらないさ」
前を走るつかさが、ふと振り返って楽しげにそう言った。
僕はつかさの、こういうところが大好きだった。