5.

 2週間後の夜。俺は真知子のアパートへ招待された。
本当はあまり気乗りしなかったけど、俺は電話で彼女に誘われた時全然別な事を考えながら うん、と生返事をしてしまったんだ。
真知子は翌日仕事が休みだった。そして俺は翌日遅番だった。
これはどう考えても…彼女に泊まって行けと言われるパターンだった。

 夜7時。白で統一されたいかにも女の子らしい彼女の部屋で、俺はスパゲティーが出来上がるのを待っていた。
真知子はきちんとした人だ。それは綺麗に整頓された部屋の中を見ればすぐに想像がつく事だった。
淡いベージュのカーペットにはゴミ1つ落ちていないし、ガラステーブルはピカピカに光っている。
彼女の部屋は8畳のワンルームだったけど、家具の配置が工夫されていて全然その狭さを感じさせなかった。
パイプベッドの下には収納ケースが3つ並び、ベッドの横には邪魔にならない大きさの机が置かれていて、その机の上も すごく綺麗に整頓されていた。
窓の横にはコルクボードが掲げられ、そこにはメモや写真などが所狭しと貼り付けてある。
その真ん中には大きく引き伸ばした写真が飾られ、そこに写っている俺と真知子は笑顔で頬を寄せ合っていた。

 明るい部屋の中にはバターのいい香りが漂っている。真知子はキッチンに立ち、まな板の上で野菜を切っているようだ。
俺はベッドに寄り掛かって床の上に座り、真っ直ぐ正面に見える彼女の後ろ姿を見つめた。
ミニスカートから覗く彼女の足はとても細くて綺麗で、しかも足首がキュッと引き締まっていた。
2つに結んだ髪は淡い茶色で、ざっくりした黒いセーターがよく似合っている。
彼女は、俺にはもったいない人だ。
俺は彼女に優しくされるたびに罪悪感を覚えていた。 仕事を始めたばかりの頃に友達から紹介されてすぐに彼女と付き合い始めたけど…俺は彼女を愛してはいなかった。
ただ、彼女はどことなく裕也と似ていた。おとなしくて、おっとりしていて、一緒にいるとほっとする。
俺は正直言って…真知子を裕也の代わりにしていただけだった。

 「おいしくなかったらごめんね」
2人分の夕食を作り終え、真知子がテーブルの上にスパゲティの乗った皿を運んできた。 トマトソースがかかった太めのパスタは、とてもおいしそうに見えた。
「おいしそうだよ」
「見た目はね。和ちゃんにお料理を食べてもらうのは初めてだから、ちょっと緊張しちゃった」
彼女はそう言いながら白い歯を見せて笑い、テーブルを挟んで俺の向かい側に座った。
エプロンを外し2つに結んでいた髪をほどくと彼女は 食べてみて、と言って俺の目をじっと見つめた。
「いただきます」
俺はそう言って銀色のフォークを右手に持ち、それにクルクルとパスタを巻きつけてパクリと口に入れた。
彼女の作ったトマトソースは少し酸味が効いていて、俺の好みとピッタリだった。
「真知子、すごくおいしいよ」
「本当?」
俺が前向きな感想を述べると、ようやく彼女もフォークを手にしてスパゲティーを頬張った。
彼女は一口食べて、今日のは80点の出来だと俺に言った。

 食事の後、俺たちはレンタルビデオ屋で借りてきた洋画のビデオを見た。
彼女の部屋にあるテレビは、1人暮らしの部屋に似つかわしくないほどの大画面だった。 それは、家電量販店に勤める俺のコネで安く手に入れたプラズマテレビだった。
真知子は雰囲気を出すために部屋の明かりを絞ってからビデオを再生させた。
俺たちは2人並んでベッドに寄り掛かり、しばらく黙ってテレビの画面に見入っていた。 その時見ていた映画は真知子の好きなラブストーリーだった。
赤ら顔の青年とブロンドの美女が手を繋いで海辺を歩くシーンになった時、隣に座る真知子がそっと俺の手を握り締めた。
俺は少し驚いて彼女の横顔を見つめたけど、真知子の目はまだしっかりとテレビ画面を見つめていた。
俺はその時、裕也と映画を見に行った時の事を思い出した。
ポップコーンをつかもうとした時に裕也の手と俺の手が触れて彼がさっと手を引いた、あの思い出だ。
その後、俺はもう映画の内容が上の空になった。
真知子の部屋へ来てからしばらく忘れていたのに…この2週間ずっと頭の中にあった事をまた思い出してしまった。

 部長に嫌味を言われ、本気で仕事を辞めてしまいたいと思ったあの夜。
俺はあの夜ベッドに寝転がり、求人情報を求めてパソコンのブラウザとにらめっこしていた。
そしてあの時偶然見つけたウェブサイトが、俺の心を揺るがしていた。
『短時間で高収入』
ウェブサイトのトップページにはその大きな文字以外に何もなかった。そして俺は、何も考えずに次のページへ進んだ。
たしか俺は、次のページに出てきた『東京へお住まいの方はこちら』という文字をクリックした。 そして次の画面へ進むと、『短時間で高収入』という触れ込みがどういうものなのかすぐに分かった。
そのウェブサイトには若い少年の顔写真とプロフィールが数え切れないほど載せられていた。 そしてそこへプロフィールを登録する人間を広く募集しているという記述があった。
痩せ型、スポーツマンタイプ、童顔。ブラウザの真ん中には少年のタイプを示すキーワードがたくさん書かれていて… 俺はその中から興味本位でメガネという項目を選び、クリックしてみた。
すると俺は…1番最初に出てきた顔写真に釘付けになった。
フレームの細いメガネをかけた少年の横顔。その髪は黒く、顎が尖っていて…彼は裕也とそっくりだった。 俺は放心し、しばらく彼の横顔をじっと眺めた。
彼のプロフィールを読むと、年齢は19歳と書かれていた。でも、きっとウソだ。まだ幼さの残る横顔はどう見ても 俺より年下に見えた。
そして何より重要なのは『優しい男の人が好き。女の人とはお友達になれません』と最後に書かれていた事だ。
彼は男を相手にする人なんだ。俺はすぐにその事を理解した。
登録番号3254番。やがて俺は裕也に似た彼の登録番号を頭に刻み、『彼とお友達になりたい方はこちら』という文字をクリックした。
そこに書かれていた内容は、だいたい思った通りだった。
彼に会うためにはまず会員登録をして、会費を支払わなければならない。そしてその金額は5万円だった。
あのウェブサイトは、少年の身売りをサポートする違法サイトだ。
『短時間で高収入』
ウェブサイトの最初にはそう書かれていたけど、一度彼に会うとあの少年のポケットにはいくらの金が入るんだろう。
…バカバカしい。俺の頭の半分はそう言っていた。写真の彼は裕也に似ているけど、れっきとした別人だ。
なのに俺は…この2週間葛藤していた。
年会費の5万円は安くないけど、絶対に支払えないほどの大金ではない。
俺は登録番号3254番のあの少年に…一度でいいから会いたいと思った。バカバカしいのは分かっているけど、 俺の頭の半分はずっとその主張をやめなかった。

 真知子が俺の肩にもたれ掛かり、俺は我に返って彼女の顔を覗きこんだ。
彼女は軽く微笑んで俺をじっと見つめ、膝の上で握っていた俺の手を更に強く握り締めた。
俺はその後、気付くと彼女をベッドに押し倒していた。
俺は最低だ。俺はその時、真知子を裕也の代わりにした。心だけでなく、体までもが彼女を裏切った。
俺の体はもうその時強く反応していた。少しでも裕也の事を考えると、いつも体が反応した。
俺は19歳の健康な男だ。性欲を溜め込むのには限界がある。
俺は柔らかな真知子の肌に触れ、ベッドの上で腰を振りながら頭ではずっと裕也の事を考えていた。
真知子とキスをする時は裕也とキスする事を想像し、彼女の中へ入る時は裕也の中へ入る事を想像した。

 ベッドの上の裕也はどんなふうだろう。
裕也にそっくりなあの少年は…ベッドの上でどんなふうに振る舞うんだろう…
その時俺は案外いい気持ちになれたけど…裕也となら、もっともっといい気持ちになれそうな気がしていた。
俺は真知子の中で果てた後その思いを募らせ、遂に決心を固めた。
一度だけ。たった一度だけあの少年に会ってみよう…