3つのSの秘密
五人でああでもないこうでもないと言っていると、入口の扉が開いて、岡部と山本が部屋に入ってきた。ホワイトボードの前に集まった五人を見て、岡部が呆れた顔をする。
「なんだ、お前ら。まだそんなことやってたのか」
小池がへらりと笑う。
「だって気になるじゃないですか」
「んなのほっとけ。誰が書いたか分かったって、それで後々気まずくなるのも嫌だろうが」
「そりゃま、そうですけど……」
「岡部さん、山本さん、これ書いたの俺じゃありませんから!」
横から青木が、二人に自分の無実を訴える。すると、山本が「分かってます」と言ってくれた。
「大体、私は最初から言ってたんです。これは青木さんの字じゃないって」
「山本さん……ありがとうございます!」
自分の不在時にも、無実を信じてくれた人はちゃんといたのだ。青木は感動して、山本に右手を差し出し、感謝の意を示そうとした。しかし不愉快そうに避けられてしまう。
「私の光源側に立たないでください。前にもお願いしたじゃないですか」
「あ、すいません」
青木が大きな体を折り曲げて、ぺこぺこと謝る。立場的には青木の方が先輩のはずなのだが、この二人の力関係は大きく間違っている。恐らく最初が悪かったのだろう。新入りに敬語なんか使ったりするからだ、と傍で見ていた岡部は思った。
すると、宇野が何か思いついたようにぱちんと指を鳴らした。
「そうか、筆跡鑑定すりゃいいんだよ。そうすりゃ一発じゃないか」
「そういやそうだな。つか、俺らって意外とお互いの字知らないんだよな。仕事中に手書きの文字書くことが滅多にないし」
宇野の提案に小池が食いつく。そして青木に、「こないだの出せ」と言った。
「こないだの?」
「ほら、アンケート取ったじゃないか。次の飲み会の店どこにするかの希望アンケート。あれに全員分の名前が書いてあるだろ」
「ああ、そういえばやりましたね」
青木が自分のデスクからアンケート用紙を取り出し、小池がそれをホワイトボードに貼り付ける。そして並べられた二枚の紙を、全員で見比べた。
「うーん、どれも違うな」
「ああ。結構個性出るもんだな。見事にバラバラだ」
「くっそー、これで分かると思ったのに……」
曽我や宇野が残念そうに肩を落とす中、小池が「ちょっと待て」と声を上げた。
「いるじゃないか、一人。こっちのアンケート用紙に名前のない人が」
「そりゃいるにはいるけど……」
曽我が困ったように口ごもる。飲み会に出ない第九職員は一人しかいない。小池の言いたいことは分かるが、それはありえないだろうと彼の表情が物語っていた。
岡部がわざとらしく咳払いをする。
「言っとくが薪さんの字とも違うからな」
「でもあの人なら、筆跡を変えることぐらいお手の物だと思いませんか?」
「そりゃやれるかどうかで言えばやれるだろうが」
「でしょう?」
小池はしつこく食い下がる。岡部が親薪派なので、彼の意見を重要視していないのだ。
「でもこっちの鉛筆で浮かび上がらせた方の文字は、さすがに工作する余地はないんじゃないか?」
「いやいや、相手は薪さんですよ。あの人がそんなうっかりミスをすると思いますか? 俺達をひっかけるために、二重三重の罠が仕掛けられてたっておかしくないです。あの人、結構嫌味なところあるし」
遠慮のない言い草に、さすがに岡部がムッとなる。
「あの人に多少そういう所があるのは認めるが、それでも違う。こういうのはあの人向きじゃない」
「絶対に? 断言できますか?」
「ああ、できる。少なくとも薪さんなら……」
岡部がちらりと室長室の方を見る。そして険しい顔でため息を吐いた。
「こんな回りくどいことなんかしないで、俺達に直接言うさ。もっと心臓に突き刺さるような、きついやつをな」
さすが親薪派の筆頭である。必要以上に貶すわけでもなく、不自然に擁護するでもなく、非常に説得力のある言葉で、全員を黙らせた。
すると、もう一人の親薪派が口を開いた。
「そう言えばさっきからずっと気になってたんですが、これなんですかね? 薪さんの所の」
そう言って、落書きの一番上を指さす。つられて全員の目が一点に集まる。
上司の名前の右に並んでいるのは、三つのSの文字。
「あれじゃねえの? S級ってやつ。A級の更に上の」
「SSSだから最高評価ってことか」
「なんで薪さんだけそんないいやつなんだよ」
「さあ……」
「まあ、薪さんだし……」
犯人捜しの時とは打って変わって、皆の口調に熱意がこもっていない。この人たちはただただ、自分に向けられた悪口しか気にしていなかったのだな、と青木は思った。
小池が腕組みして考え込む。
「でも、そうか……こんな性格の悪いやつが書いたんだ。ただでさえ鬼室長とか、第九のお姫様とか、悪意にまみれたあだ名がいくらでもあるのに、薪さんだけ褒められるなんておかしな話だよな」
「言われてみれば、確かに」
今井が同意する。
「つまり、このSSSも薪さんの悪口ってことか?」
「ああ、恐らくな」
曽我が小池に質問すると、彼はいやに自信ありげに断言した。心なしか、彼の目つきがいつも以上に鋭くなっているようだ。宇野の眼鏡もいつになく輝いている。
「なあ、エスって言えば何が思いつく?」
「そりゃあの人に当てはまるエスって言ったらあれしかないだろう」
小池と宇野が顔を見合わせる。彼らはお互いを指さし、二人の口の動きが、同じタイミングで重なった。
「サディスト」
曽我と今井がぷっと噴き出す。岡部も苦笑しながら、否定はしない。青木は山本に「そうなんですか?」と聞き、「私に聞かないでください」と迷惑がられている。
「よし、これで一つは分かったな。あと二つは何だろう」
「サディストは決定なんだ……」
「よし、青木、お前何か言ってみろ」
「ええっ!」
すっかり進行役になった小池に指名されて、青木が肩を跳ねさせる。彼は先輩達の注目を浴びながら、自信なさそうに言った。
「ス、スーパーとか、スペシャルとか……」
その途端、全員の目が冷たく青木に突き刺さった。小池は舌打ちし、宇野には「つまんねえ」と吐き捨てられる。そんな中、今井が人差し指を立てて言った。
「これしかないだろう。……エスサイズのエス、スモール!」
盛り下がりかけた部屋の空気が、一瞬にして戻る。
「やっぱそれですよねえ、今井さん」
「異論なーし」
「あーあ、せっかく簡単なうちに発言権をやったのに。青木の間抜け」
散々な言われようである。青木はすっかり落ち込んでしまい、皆の輪から離れて行ってしまった。山本が追いかけて、「青木さん、しっかり」と励ましている。
一方、残りのメンバーは後輩を気にかけることもなく、楽しそうに議論している。
「残り一つが難しいよな。ヒントがなさすぎる」
「Sで始まる単語だろ? シニアとか?」
「あの人そんな年じゃないだろ。それに山本の方が年上じゃなかったか?」
「じゃあ青木の言う通り、一つはスーパーで、スーパースモールサディストとか?」
「それだとつまんなくね? 正解かどうか確信が持てないし」
「まあ、こんだけ他人をこき下ろすのにこだわってるやつが、そんな甘っちょろい答えで引き下がるとも思えないよな」
「警察関係でエスだと、普通はSATかSITのことだけど、薪さんには無縁だし」
「検索かけたけど、それっぽいのは見つからないなあ。……ソフトウェアサービスシステムだってさ。うん、絶対関係ないな」
彼らは話に熱中するあまり、周囲に目を配ることを失念していた。ゆえに気づかないでいた。いつの間にか、岡部、青木、山本の三者がそれぞれ自分のデスクに戻っていたことに。
会話の途中で、宇野が何気なく自分の腕時計を見た時、時計の長針はちょうど真上を指していた。
「おっと、昼休みが終わ……」
その時、彼らの背後から声がかけられた。
「楽しそうだな、お前たち」