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タイトル不明2

あかはな ◆yNY0tHXWT2氏

 赤木夕貴が俺から大量のティッシュを奪った放課後。
「ごめん。ティッシュほとんど使っちゃって……」
 俺はまだ赤木夕貴に頭を下げられていた。
 陽が横から刺さってくる時刻の教室に生徒の数は赤木夕貴と俺を入れても両手で足りる程しか残っていなかった。
 その少ない人数の視線が、全て俺と赤木夕貴のしつこく終わらない問答に向けられていた。向いているだけで誰も何もしない。談笑すらも、窓や扉の向こうに追いやられていた。
 気にするな。この数時間で言い飽きてしまった言葉を赤木夕貴に繰り返した。気にするな。
 しかし全く赤木夕貴のハの字になった眉は直らない。おずおずと俺に軽くなった箱を返してからもうずっと直っていなかった。はあ、と俺は息を吐いた。
「気にするなら自分の鼻気にしろよ。真っ赤じゃん」
 しばらく、赤木夕貴は中途半端に口を開けた。そして慌ててかみすぎて真っ赤になった鼻を隠す。
 小さな手で赤い鼻は隠れたが今度は頬やら耳やらが、元の新雪のような白さも見る影も無い程無く赤くなっていた。
 と、
「くしゅっ」
 赤木夕貴がくしゃみをした。かなり大きく、水っぽいやつだった。
 教室の中の時間が止まる。 特に赤木夕貴はくしゃみをしたままの大げさな態勢のまま固まっていた。
 誰かが動くのを俺はたっぷり3分待ってみたが誰も動かなかった。
 使えよ。と俺は赤木夕貴の目の前にティッシュ箱を差し出す。
 食べ頃のリンゴ程に顔を赤くした赤木夕貴は首だけ動かして俺とティッシュ箱を交互に見た。花粉症のおかげで真っ赤になっていた目がゆらゆら光っていた。
「のっ残り少ないんでしょ、いいよ!」
 声は裏返っていた。鼻を押さえたまま赤木夕貴は意地を張って、鞄を引っつかみ教室の外へと向かった。
 今更だが赤木夕貴の髪は長い。女子と比べても長い。
 勢いよく俺に背を向けた拍子にぱっと広がった細い毛先を一房つまんで、俺は軽く引っ張った。
 何気なく触った指先からは想像もしなかった柔らかな感触が脳にドンと届いた。
 自分から触っておいて、どきりとした。それまで縁の無い少女の髪の感覚に心臓が跳ね上がった。
 なんて、俺がプチ青春している間に赤木夕貴は「痛!?」と高く声を上げてつんのめっていた。
 目を白黒させながら、片手で鼻を押さえ片手で頭を押さえて赤木夕貴は振り返る。
 今だ鼻を隠しているのはなかなかに我の強さが窺えて、赤木夕貴のこじんまりした風貌からなよなよした性格を連想していた俺には新鮮だった。
「なに? なになに?」
 困惑している赤木夕貴の鼻を隠している手を、俺はひょいとどかした。
 どこかの童謡のトナカイのように赤くなっている赤木夕貴の鼻からは透明なものが流れていた。
 俺はティッシュ箱から残ったティッシュを全部取って、1枚で鼻を拭く。残りは2枚。
 鼻を押さえていた手も汚れていたのでもう1枚消費して拭いた。あらかた綺麗になったところで最後の1枚で仕上げに拭く。全部使い果たしたところでゴミ箱に捨てた。
 清掃直後のゴミ箱へ汚れたティッシュは吸い込まれて消えていった。空になった箱も畳んでゴミ箱へ捨てる。
 その間、ぽかんと赤木夕貴は俺を見ていた。
「あ、あの。あ……ありがと……う?」
 気にするな。最後になればいいなと思いながら俺はそう返して、俺は帰る準備をした。
「曜一くん!」
 赤木夕貴が俺の名前を読んだ。初めて赤木夕貴に名前を呼ばれた。
「ありがと。あの一緒に……えと、僕と一緒に帰ってくれて……も、いいですか?」
 日本語がおかしかった。


「曜一! やだ! もうやめてええ!!」
 メールが届いた次の日の帰り道、つらつらと俺の話す昔話に顔を真っ赤にして赤木夕貴が叫んだ。
 赤木夕貴と俺が揃って登下校するのは毎度の事になっていた。多いな赤木夕貴と俺の日課。
「昨日まで曜一忘れてたのに! 忘れてたのに! どうしてそんなに覚えてんの!」
「寝て起きたら全部思い出してた」
「忘れて」
 こんなに面白い反応を返すんだったらちゃんと覚えておけばよかったと俺は思う。
 学校から徒歩10分で着く俺の家を見た時の赤木夕貴の唖然とした顔を思い出しながら俺は回想を続けた。
「忘れてよ!」

「ここ曜一くんの家だったの?」
 俺は適当に返事をした。近所で一番大きくて目立つ家が俺の家だった。近所で有名なでかい家だった。
 家に帰るまでの赤木夕貴との10分は、いやに短かった。
 赤木夕貴と俺は趣味が合うというよりは波長が合うというのが正しい気がする。
 話題を振るのに特別に努力は必要なかったし、話をせずに歩いているだけでも息苦しさを感じる事が無いままゆっくり歩いていた。
 もう少し話がしたいと思った。家に誘おうかと思った。が、やめておいた。晃が家にいたら面倒くさい事になるから、やめた。
「じゃあ曜一くん。また明日ね」
 赤木夕貴の鼻はまだ赤いままで時折ぐすぐすと鳴っていたが授業中がピークだったのか、今現在の調子はいいようだった。
 背筋は真っ直ぐに赤木夕貴が背中を向ける。
 背中の中程までの長い髪はつまんで引っ張るのにちょうどいい長さだった。赤木夕貴が体を半回転させた拍子にふわりと広がった髪を、俺はまた引っ張った。
「ひゃっ!?」
 教室で見せたのと同じ反応をして、白黒している目で赤木夕貴は俺を見た。
「え、なに? えっ?」
「あのさ、お前って女だよな」
 俺の質問にぱちりと一回瞬きをした。
「うん。……うん? え、え?」
 正直に答えたところで自分の発言がとんだ爆弾だったと理解した赤木夕貴は、また固まった。
「そっか、よかった。じゃあまた明日な」
 よかった。とどうして口から零れたのは俺自身分らなかった。
 しかしその時、心の底からほっとした記憶はまだ鮮烈に残っていた。
 立ち尽くしている赤木夕貴をそのまま残して俺は家の中に入って、そしてリビングでゆったりしている晃を見つけた。
「おお曜一お帰り」
 赤木夕貴を家に上げないのは正解だった。二重の安堵に俺は包まれた。

「んで次の日に遅刻ぎりぎりの時間に学校来たんだよな」
「やめてやめてえ!!」
「右手と右足一緒に出してたよな」
「やあだあ聞きたくない!」

 その次の日の赤木夕貴は見るからに挙動不審だった。俺が椅子に座り直す動作にさえ震えていた。
 授業中はペンを持つ手が震えて何度もペンを手から零し、休み時間は体を強張らせて机に視線を落としていた。
 どうしようも無かったので昼休みに人気の無いところに連れて話をしようとすると、ボロボロと泣き出して誰にも言わないでと懇願された。
「お願い曜一くん誰にも言わないで。僕お姉さんと2人暮らしで、おっ、お金とかは出せないけど、他の事だったらがっ、がんばる……から。だから……」
 何をがんばるつもりなのかは俺にはよく理解できない。
 誰にも言うつもりは無いから気にするな。そう伝えると、また赤木夕貴はぺたんと崩れ落ちた。
「腰、抜けちゃった」
 ぽつりと小さく呟いた。


「……お姉さん、曜一がいじめる。僕いじめられた」
 ちょうど家の前に着いたところで俺の回想が終わった。赤木夕貴はたった10分で疲れきっていた。RPG風に言うとHPは残り少なくなっていた。
 腹の底から恨めしそうに呻きながら赤木夕貴は俺を睨む。
「じゃあ、また明日な」
 面白いものを見た気分で満たされて、そのまま俺は別れようとする。
 じとりと俺を見ている赤木夕貴の、その後ろにいる晃を見るまでは本当に気分がよかった。
「お。曜一」
 スーパーの買い物袋を片手にぶら下げて晃が現れた。氷が横隔膜に叩きつけられた。
「あ、曜一の友達? こんちは」
「え? こ、こんにちは!」
 赤木夕貴の姿を認めた途端に晃の目が妙な輝きを見せた。この子が例の子なんだろ? 目がそう俺に語りかけてきた。
「曜一くんのお兄さんですか? 初めまして赤木夕貴です」
 にたにたしながら晃は赤木夕貴を観察する。
「どうも、榎原晃です」
 ぞんざいに返して晃は豪快に声を上げて笑った。よく驚く赤木夕貴はまた驚く。
 晃の説明を俺がするのは臓腑が捩れる心地がするのだが俺以外に赤木夕貴に教えてやる事が出来る人間はいない。それがいやだ。
「晃は兄貴じゃなくて、姉貴なんだ」
 え。と赤木夕貴は晃の胸にまじまじと視線をやる。大笑いをしている晃の胸には膨らみは無いが、俺の言葉が嘘でない事は悟ったらしい。
「ごっごめ、すみません! あの、お姉さんがすごくかっこよかったから」
「あははは、ありがと」
「ほめなくていいって。晃は趣味で男の振りしてんだよ」

 ひとしきり晃が笑った後、赤木夕貴は帰った。俺が無理矢理家に上げようとする晃を押さえて帰させた。
「思ってたよりずっとかわいいなあ、夕貴ちゃん」
 俺はいいともの客のマネをした。晃は気にした風も無く赤木夕貴の帰った方向を見て呟く。
「でもなんで男の振りしてんだ?」
 ぽつりと呟いた言葉で俺は初めて、赤木夕貴が男の振りをする理由を知らない事に気がついた。
 赤木夕貴が話した覚えは無い。俺も聞いた覚えは無い。
 気にした事すらも、無かった事に気がついた。
「……晃が、言うなよ」


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