3日後、涼が迎えに来たので、早速他のメンバーと待ち合わせしているという喫茶店へと向かった。
「響兄ぃ、ギターウルフの新作聴いた?」
ちなみに、男装がバレたら面倒なので、涼には、外では「ひびき」ではなく「きょう」と呼びように言っている。
「あぁ、アレメチャメチャカッコいいな。前作も、かなりのものだったけど今作はそれ以上だわ。」
「今度ツアーするらしいよ」
「ホントか!んじゃライブ見に行くぞ!」
「うん!」
そんな風に、適当に話をしながら歩いていると『ブライアン』という看板の付いた小じゃれた喫茶店が見えてきた。
「涼、喫茶店てあの店か?」
「そうだよ、んじゃ入ろ。あっ、そうだ!」
涼はドアを開ける寸前で、急に何かを思い出したかの様に歩みを止め、言いにくそうに喋り始めた。
「いい忘れてたけどさ…、みんな妙にキャラが濃いんだよ。だからさ、あんまり引いたりしないでね。」
「大丈夫だって、変な奴は見慣れてるよ」
そういって涼は、安心したようにドアを開けた。
俺はこの時こう思っていた。男装なんかして、暮らしてる奴以上に変な奴なんて、そうそう居ないと…。
だが、この五分後には、俺は自分の考えが間違っていたと気付く。彼らは、想像を遥かに超えた変人達だったのだ…。
店の中に入ると、店の外は外でよかったが、中は中で、まるでロンドン街のカフェ(行ったことはないが、たぶんこんな感じだろう)
のようにまた雰囲気がよく、そこのカウンターの中で、これまた雰囲気の良いオジサンが、涼に話しかけてきた。
「おお、涼、あいつらなら一番奥のボックス席にいるぞ」
「あぁ、ありがとねマスター。…あとさ、この間折ったモップ二本今度弁償するよ」
「いやいいって。お前らに酒を勧めた俺がいけなかったんだよ」とそのオジサンは、やたら渋くため息をついた。
どうやら、涼達は、この店の常連らしいが、モップを二本折ったというのが、やたら気にかかった。
俺はぼんやりと考えこんでいたのだが、涼が「響兄ぃ、こっち来てよ。紹介するから」といわれ、我にかえった。
涼の方へ行くと、奥の席に座っていた男が、俺の存在に気付き、席を立ち挨拶をしてきた。…が、俺は一瞬彼が怖すぎて後ずさりしてしまった。
(何でこんなヤバそうな奴が、涼なんかの知り合いにいるんだよっ!)
今まで本能だけで生きてきましたよ、とでも言わんばかりの野生の猛獣のようなギラギラとした目つき。
手の甲から、腕、胸はもちろん首まで、ギッシリと彫りつくされた刺青。
そして、何よりも目を引くのが、肩や胸など至るところにある無数の刃傷。
後で、涼に聞いた話によれば、ライブの時興奮しすぎて、自分で切りつけたものらしい。
「西園寺雷太です。ドラムやっとるんだ。よろしくね」
「あっ、ああ。神無月龍二です。いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
とりあえずこのように挨拶したものの、俺は、明らかに固くなってしまっている。
すると「だ〜から、いったよね〜。兄貴は、最初に挨拶しちゃ駄目だって」といいながら、ショートカットの元気よさそうな女の子が出てきた。
「いや、一応一番年上なんだから最初に挨拶すべきかな〜、と思ってさ」
「兄貴がいつもそうやってシャシャリ出てくるから、みんな怖がって逃げちゃうのよ」なるほど、メンバーがなかなか見つからなかったのは、コイツのせいか。
「んなこと言ったってよ〜」
「もういいから。黙ってて」あ、ホントに黙った。
「あっ、私は西園寺神奈っていいます。一応このバンドのリーダーとベースをやらせてもらってます」
「神無月龍二っていいます。よろしくお願いします」
「すみませんね〜。こんなヤクザみたいのいきなり出てきて」
「ちょっと待て、ヤクザは言いすぎだろ、ヤクザは」
「黙っててと言ったんだけど」あ、また黙った。
すると、俺たちの様子を見ていた涼がふと気付いたように、言い出した。
「あれ、右京は?」
「ああっ!そういえば!また遅刻ね、あのバカ。今度はどんな制裁を喰らわしてやろうかしら」
「涼、右京って誰だ?」
「僕達のバンドのボーカルだよ。まあ落ちつこうよ神奈ちゃん、もうすぐ来るかもしれないし」
「まあそうね、少しくらい待ってあげようかしら」
・・・・・十分後・・・・
「ま、まだなのかしらねぇ〜、あの糞ボケは」
「神奈ちゃん、落ちつこうよ〜」
「涼さんがそういうなら落ち着きますけどねぇ〜」
・・・・・二十分後・・・・・
「あのドグサレがっ!とりあえず来たらレバーに5,6発打ち込んで、その後ブツブツブツブツ」この子もなんかおかしい。完璧にSの目してるし。
「か、神奈、とりあえず落ち着こう。なっ?」
「あぁっ!?黙ってろよ、糞兄貴がっ!」
「ひぃっ!」この人見かけに寄らず妹に弱すぎ。
すると、カフェのドアが勢いよく開き、男が一人入ってきた。
「…ふぅ…まっ、間に合った…」
「間に合ったじゃねーよ!間に合ったじゃよー!てめーはどこの写真部だっ!」彼女はそう叫びながら、その男に飛びつき、
ニー○・ウィリアムズばりに間接技を極めてゆく。
「いっ、痛いよっ!痛いよ神奈!ちょっと聞いてよ!よ、用事があったんだって、用事が!」
「なにぃ〜、用事だ〜?」
「いっ、いやね、こ、ここに来る途中猫がいてね」
「あぁ、それでどうした?」
「そっ、その猫が、可愛かったから付いていったら、ま、迷子になっちゃった」
ブチッ、ブチブチブチッ
「迷子はなぁ〜、用事って言わねーんだよっ!」
雷太さんが「終わったな」と呟いたのと、彼のアゴに神奈ちゃんのアッパーがきれいに決まったのは、同じタイミングだった。
それから十分してやっと右京君は意識を取り戻したので、涼が俺のことを彼に紹介し始めた。
「え〜っと、この人が前々から言ってあった神無月響だよ」
「よろしくお願いします」
「えっ…、あっ、その、よ、よろしく…」
「だ〜めだよ、涼。右京どもり激しいうえに、人見知りするんだから」えっ、ボーカルなのにそれって最悪じゃん。
「まあいいわ。そろそろ予約してた時間だから、スタジオいくよ」神奈ちゃんがそういうと、みんな移動しはじめた。
ブライアンを出ると涼が俺にこっそり話しかけてくる。
「響兄ぃ大丈夫?」
「大丈夫じゃねーよ、大丈夫じゃ。あそこまでイかれた奴ら始めて見るよ…」
「でもみんな基本的にいい人たちだよ」
「いや例えいい人たちでも、腕は大丈夫なのかよ、腕は?雷太さんだっけ?あの人はまだ大丈夫そうだけど、右京君とかドモリの上に
人見知りでボーカルできるの?」
すると涼は、なにか嬉しそうに笑いながら「そう思ってるなら響兄ぃは、さっきよりもっと驚くことになるね」と言った。
そして涼のその言葉は、まさしくその通りになった。
スタジオの入り楽器をセットし始めると急に皆の顔つきが変わった。雷太さんは下らないジョークを言うのをやめ、ドラムを入念にチェックし始め、
涼、神奈ちゃんはギターとベースのセッティングを念入りに合わせている。右京君は部屋の隅の椅子に座り目を瞑っている。
まるで、試合前のアスリートのようだ。
「響兄ぃ、A、D,、Bマイナーで行くから付いてきてね。」涼がそういうと、雷太さんがカウントを始めた。
「んじゃ、いくぜ。1,2,3,4!」
その瞬間…俺は、本当に度肝を抜かれた。
雷太さんのドラムが響く。彼は、本能丸出しでドラムを叩きつける。まるでアフリカの原住民のような強靭なビートだ。
そして、そこに神奈ちゃんの、その小さな体から出してるとは思えないとてつもなくゴッリゴリの、それでいてメロディアスなフレーズの
ベースが絡む。兄妹だけあってこの二人はうまく絡み合い、とてつもなくドロドロとしたリズムを生み出している。
そしてその上に右京君のボーカルが乗る。さっきまでとはまるで違う。彼の声は生まれつきか、タバコの吸い過ぎか知らないが、かなりのハスキーボイスだ。
そしてその声で、どもり癖があるのが嘘のようにがなる。するとまるで声にディストーションが掛かっているかのようになり、とてつもなく迫力のあるものとなるのだ。
そして一番驚かされたのは、涼のギターだった。物凄く独特な音の紡ぎ方で、多彩なフレーズを生み出し、セッションに色をつけてゆく。
かと思えばドラム顔負けのリズムを刻み、ビートをより強靭なものにしてゆく。響姉ちゃん、響姉ちゃんとなついてき、頼りなかった涼
がここまでやるとは。涼の成長を目の当たりにし、喜ぶべきはずなのに俺の心はなぜだか複雑だった…。
俺も彼らに負けじとサックスを吹き集中していたため、セッションが終わったときには、一時間も経っていた。
終わると雷太さんが嬉しそうにしゃべり始めた。
「いや〜よかったわ!普通涼のギターとかにビビっちゃう人多いんだけどよく付いてきてたし。久しぶりに熱くなったわ!」
「うん、すごいよかった!」
「お、俺も、…よ、よかったと思う」
「おおっ、右京が褒めた!すごいよ響兄ぃ!右京は滅多に人を褒めないんだから」
「そ、そうなのか?」皆に褒められて嬉しいが、こうまで言われるとさすがに恥ずかしい。
「それじゃあ響さん、私達のバンドに入りませんか?私達はあなたを歓迎しますよ」
「いえ、こちらこそよろしく」
「ヒャハッ、や〜っと決まったわ。うし今日は飲むか!なあ右京、涼」
「駄目に決まってるじゃないのバカ兄貴。涼さんはまだしも右京は、まだ未成年なんだから」そういいながらも神奈ちゃんもとってもうれしそうだ。
そして見ると涼もすごい嬉しそうにしてる。俺はそんな涼の嬉しそうな顔を見てると、なんだか…とても気持ちが暖かくなるようだった。
だがそんな俺の心の平穏も次の雷太さんの一言で破られることになる。
「あっ、そうそう響君。言い忘れてたけど来週ライブね」
「えっ?!」
一週間後、都内のライブハウス。収容人数は五十人ほどだが恐らく百人近くいる。超満員だ。
「いや、デッドマン(俺達のバンドのこと)ライブ久しぶりだから、マジ楽しみだわ!」
「右京君のボーカルもそうだけど、涼君のギターも早く聴きたいね!」
「神奈たんハァハァ」
…最後変な会話が混じったが、久しぶりのライブだけに楽しみにしていた人が多く、皆すごく嬉しそうな顔をしている。
そしてそんな客達とは対照的に俺はかってないほどの緊張感の真っ只中にいた。
「一週間ってのがまず間違いだろ…」俺はそう言いながらため息をつく。あの後三回ほど集まりリハをしたお陰で曲は何とか全部覚えたが
人の前で演奏するということが、久しぶりなのでステージに立つとあがってしまいそうだ。
(顔でも洗って落ち着こう)俺はそう考えトイレへ向かった。
バシャバシャバシャ 顔を洗い終え鏡をふと見ると自分の顔が映る。(また肌のつやが悪くなっている)
それはそうだ。男装をしているせいでストレスが溜まる。それを消すためタバコを吸う。またストレスが溜まる。またタバコを吸う。
こんな悪循環をくり返してれば、悪くなって当然だろう。(俺は…なんで男装なんかしてるんだろう。)
「ああっクソッ!」俺はそういいながら洗面台を蹴る。緊張のせいでどんどんネガティブ思考になっている。
(まあいいや、そろそろライブだから楽屋に戻んないと…)そう考えながらトイレのドアを開けようとすると前の廊下を歩く客の声が聞こえてきた。
「お前知ってる?今回からデットマン、サックス入るらしいよ」
「マジで?でも今までのメンバーでもう完璧だろ」
「あぁ、でもそうするとかなりすごい奴なんだろうな、そのサックスは」
やめろ…、やめてくれ!もうこれ以上、これ以上俺にストレスを与えないでくれ!
彼らが行ってしまったのを確認すると俺はそっとドアを開ける。ふと横を見るとそこは出口だった。
唐突に逃げ出したい衝動に駆られる。俺は駄目だから、俺が居なくたって彼等はうまくやっていける。俺がいない方が、彼等は喜ぶだろう。
俺が居ない方が涼は喜ぶだろう。俺が居ない方が、俺が居ない方が!…皆喜ぶだろう
「響兄ぃ!」思わずビクンとする。振り返ってみると涼が居た。
「響兄ぃ、そろそろ始めるよ。…どうしたの?すごい顔色悪いよ」
「あぁ、涼…俺、俺やっぱ駄目だわ」
「えっ?」
「いや、なんだかすごい緊張しちゃってさ。ほら、手なんかこんなに震えてるし、こんなんだったら皆の足引っ張っちゃうと思うし、
それに「響兄ぃ!」」涼は俺の手を急に掴むと自分の胸に当てた。
「なっ、なにすんだよいきなり!」
「いいからっ!」涼の剣幕に押され、胸に手を当てたままにしていると、今にも飛び出しそうなくらいの心臓の鼓動が伝わってきた。
「涼、お前も…」
「うん、もう百回くらいやってるけど、ライブの前はいつもこうなんだ。特に最初の頃なんか酷くて何回も逃げ出しそうになったよ。
でも、でもさ、こういうのは逃げないで何とかして立ち向かわなきゃ駄目なんだよ。それにライブってやってみるとわかるけど、血が沸騰する感じがして凄い楽しいんだ!
だから…だから響兄ぃも頑張ろ?」
「………」
「だ、駄目かな?」
「…涼」俺がそっと呟く。
「お前、本当に大きくなったんだな…」
「えっ?」
俺は、急に恥ずかしくなって、頭を思い切り涼にぶつける。
「痛った〜!なにすんだよいきなり!」
「うっ、うるさい!早く行くぞ!もう時間ないんだろ?」
「はいはい」涼は渋々そう言いながら楽屋へ歩き始める。でもその顔は…とても嬉しそうだった。
「遅いですよ、二人とも!もうすぐで、店員が呼びに来るんですから」
「ごめんね神奈ちゃん、ちょっと用事があってね」
「まぁ、間に合ったからいいですけどね」
するとタイミングよくそろそろ始めるから用意してくれと声が掛かった。
ふと手を見ると震えは、すっかり収まっている。
「よっしゃ、ロックンロールしようぜ!」雷太さんがそう楽しそうに声を上げる。
ステージに上がると、沢山の客が歓声を上げる。俺達は各々の楽器を持ち、演奏を始めた。
正直言ってサックス吹くのに精一杯だったし、途中から涼の言った通り熱狂の渦に巻き込まれてしまったのでライブの内容はあまり覚えていない。
でもひとつだけ確かなことがある。それはこの日は俺が男装を始めてから―もしかすると人生の中で―もっとも楽しい日だったということだ。