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落花流水

9_180氏

『あにさんと呼んで良いん?』
幼児のように外套着の端を掴んで、顔を覗く黒曜石の瞳───。
不安と何かを求める輝きが痛くて、そんな瞳で見つめて欲しくなく頷いた。

自分の名前なんてとっくに忘れ、大金を投じて手に入れた名前が今の名前───気に入ってはいるが
他人の人生も背負った気わいもする。

だから『あにさん』と呼ばれるのは悪くない

私だけの『名』のように響くから───


朝焼けが鉄格子の窓から降り注ぎ、目を閉じてても入る光線にしかめながら瞳を開いた。

レオナルトは質素な寝台から起き伸びをすると備え付けの桶に、溜めてある水で手と顔を洗う。

──今日で3日目か──
まだ覚醒しきれない頭でぼんやりと思い出す。
ユーリがガルデーニアと何の『商談』をしたのか問いつめている最中、あらあらしくドアを蹴破り、
入ってきた男達。
帯剣に憲兵の制服・・・。

憲兵等は自分を女子爵の指輪を盗んだ窃盗の罪で捕らえに来たと
取り押さえられ、礼服を調べられると
───コロン
と一つ、ズボンのポケットから出てきた粒の大きな真珠の指輪。


あの女───ガルデーニア
(絶対あの女とは情は交わさん)

少しでもくらりときた自分に憤慨する。
誘惑する振りして自分の指にはめていた指輪をポケットに忍ばせといたなど・・・。
あの時の商談でうまくまとまったら契約料
破談したら、盗まれたと通報か───
どちらになっても、自分から離れたユーリを手に入れられる。

まんまと引っかかった。
冷静なようで動揺をしていたようだ。
ポケットの中の違和感に気が付かないなんて失態も良いとこだ。



昨日、グレゴリー伯の第二子ルカが面会に来た。

「───これ、貴方の荷物です。
荒らされていましたが、残されていたものすべてかき集めて持ってきました───確認して下さい。」

レオナルトが窃盗の罪で捕らえられたと聞き、
まさかと思いつつ、残されたユーリが気懸かりで訪ねに行ったら、部屋が荒らされユーリの姿は既に
無かったという。
「それと、本日の午前付けでファルコーネ女子爵から父の元にこんな物が提出されました。」
差し出された一枚の紙。
手に取り読んでみる
「養子縁組み受理願い・・・?」


「養子として引き取りたい方の名前を見て下さい。」
「ユリアナ・・ユーリの事でしょうな・・・。」
「やはり・・・。では、ユーリさんは女子爵の手の者に拉致された可能性が濃厚という事ですね。」
「────かも知れないし、違うかも知れない・・・。」
「・・・ユーリさんが自ら出向いていったと?」
レオナルトは簡素な木の椅子の背もたれに身体を預け、腕を組む。
だんまりになってしまったレオナルトを察しるかは、監視役に金を握らせ、人払いをする。
「───驚きましたね、貴方もそんなことをなさるのですか。」
権力者の威を借りて貰うだけで良かったレオナルトは心底驚き、ルカを見つめた。
「口止め料も入っているんです。
どこで聞き耳を立てているか分からないので
いつも彼には他の者が近づかぬよう、また、うっかり聞いてしまったことを他人に漏らさぬように・・・ちょ
っとした『お小遣い』ですね。」
困ったように笑うルカだが、ユーリと年が近い割には場数を踏んで悟っている表情の笑顔だ。

そうしなくてはならない事情は大抵理解できる。
どこの国でも、情報を売る者がいてそれを買う者がいる。
そして、脅迫、恐喝。
特に海の玄関口のエダナムは、地上からだけではなく、海からも人が流れる。
他の国ー特に敵対している国に国家存亡に関わる重要な情報が漏れたら───
手っとり早く口を塞ぐ方法は───金なのだ・・・。
「────勿論、金に動かない、信頼の置ける者を側に置いていますが・・・。」

それより、と、

「───話、してくれませんか?
何故、ユーリは男名で、男装して女子爵に狙われたのか───。」
とレオナルトに詰めよる。


レオナルトは諦めたように深い息を付くと
「・・・話したら、御助力ねがえますか?」
と、ルカに要求する。
「話の内容次第です。緊急かつ、重要だと判断すれば・・・。」
まずこの石牢から出なくては身動きが取れない──不本意だが、父、グレゴリー伯の補佐役を少年なが
らに立派にこなし、父の代名でこの港地区を業じているルカにユーリの素性を話し、是か非でも協力
して貰わないと先に進まない。

ルカに彼女が、エダナム、コルスリフィル両殿下が所望している『桃娘』であること
コルフォーネ女子爵はそれを知って、ユーリを淑女にも支立てあげ、殿下に献上でもする目論見な
のだろうと。



「・・・・・ユーリが?あの子が?・・・桃娘?」
ルカは、唖然とし、信じられないとでも言うように呟きを繰り返す。
「───信じがたいでしょうか?」
「───確か甘い良い香りがユーリさんからしましたが・・確か噂ではその香りを嗅ぐと、精力増幅され
るとか・・・?」
「精力増幅と言うより、酔ったようになり、渇望感が出てやるまで収まらない───しかし、これは人に
よるようです。
体臭に酔ったようになるのがほとんどで、そこまでなる者は今まで私を入れてごく数人ですな。」
「・・・しかし、そんなに理性を失うほどの香りでしたでしょうか・・・?
───、良い香りとは思いましたが、交わりたいとかは思いませんでしたが・・・・。」




「────えっ?! なにも感じなかったのですか?」
思わず声を荒げ、身を乗り出す。
「僕には、落ち着く香りでした・・・・何か変でしょうか?」
「・・・初めてですよ、そんな感想・・・。」
そんなに変な事を言ったかとしどろもどろに答えるルカを一瞥し、無言で座ると手を顎に当て、擦る。

ユーリに施した香りは
後から香り付けした桃娘達と、皆同じ香り
それに元々の体臭が溶け合い、それぞれ微妙に香りが違う
それと同じように、香りに反応する男達も様々だと───香り付けを施術した老師は言った。

しかし、元の香りは男達を誘惑するが為に調合したもの。

───ルカのように精神を落ち着かせる作用があるなど初めて聞くことだった。

「・・・話が微妙にずれているのですが、今後の為にもお尋ねしたい。
────ユーリの体臭をはっきりと嗅いだと意識した時のルカ様は、なにをお考えでした?」
「────えっ?」
「───悪戯に聞いているわけではありません、一医師として聞いております。」
うっすら顔を赤らめ、恥ずかしいのか年頃の少年らしい表情を浮かべルカは答えた。
「・・・そうですね・・・あの時、僕は僕の気持ちも持て余してましたから・・・。
ユーリさんが認めて受け皿になってくれたような・・・心の刺が抜け、痛みが引いていく──楽になった気
がして・・・。」
「・・・ユーリに何かしようと気は?」
レオナルトの問いに慌てて首を振る。
「────そんな!・・・大げさかも知れませんが、救われた気がしたんです、ユーリさんに・・・。
・・・だから、今度は僕が、彼女の助けになれないかとーだから、此処に来ました・・・・。」
「・・・・・。」
また、黙りになり、考え込んでしまったレオナルトを何とか促してルカは先に話を進めだした。


「先ほど、自ら出向いたかもと・・・言っていましたが
それは何故です?」
「───ああ、それはですね・・・。」
話しかけられ、現実に戻され、彼はユーリは伯爵夫人と何か『商談』を成立させたらしい事を話した。
「その『商談内容』を問いつめていたら、憲兵がワラワラと・・・ね・・・・。
聞かずじまいですよ。」

「────気になりますね・・・。探りを入れてみます。」
「それと───その養子縁組み受理願いは受理されるまでどの位かかるのです?」
「腐っても子爵です。
この後、父のグレゴリー伯の捺印とエダナム国王殿下の捺印が必要になります。
まあ、普通に行けば一ヶ月。
何か『不手際』が起きればそれ以上。」
そう言って、穏やかにルカは微笑んだ。
「『不手際』ですか・・・さぞかし王宮に送る書類は膨大な数なんでしょうな。」
「ええ、───なので、混じって他の管轄部に送られてしまう───そんな事もよくありましてね・・。」

なかなか食えない子だ
こちらがどうして欲しいのか先回りしている。

そのくらい機転が利かないと、将来グレゴリー地方を次いだ長男の補佐はできないのだろうが・・・。


『残念ですが無実の証拠か、女子爵が訴状を撤回しない限り此処から出れません。
私の方からも婦人に促してみますので、それまで耐えて下さい。』


───仕方あるまい───

観念して石牢の中でぼんやりと一日を過ごした。

やることが何もなく、今までのことをつらつら思い出し、浸る。

そう言えば、こんなにユーリと長く離れるのは連れてきて以来初めてだ。

思い出すのはユーリを連れて過ごした一年。

以前の記憶より、より鮮明に思い出されるのは
それだけ濃い内容だからだろう。

連れてユーリの国を出た後
彼女はよく熱を出し寝込んだ。

著しく体力が落ちていたが故だ。
他の桃娘だったらとっくに絶命している。

それもあって西方に桃娘は『輸出』する事が困難で露わもない噂が飛び火しているのだろう。

ユーリが自分に惚れているのを利用して連れ回して、交わって・・・
もう少し、もう少し、
体力が付いたら
西方の言葉を覚えたら
伽の技を覚えたら

どこかの国の権力者に献上し、報奨金をもらいどこぞに開業し悠々自適に暮らそう───


ユーリを連れてきた理由を思い出すと自分は最低な男だと、自分で恥ずかしい。
事実を知ったユーリはなじるだろうか?───あの娘は行動は抜けているが、人に対する洞察力はな
かなか鋭い。
気付いているかも知れんが・・・。

結局、ユーリの香りから離れられなくなり
麻薬に似た効力に怖れながらも、ユーリに触れ、研究し・・・。
そのうち彼女の一途な黒い宝石のような輝きを持つ眼差しと、自分を切なくなるくらいに求め、目論
見のない想いを身体全体で伝えてくる気質に
香り以上の魅力を感じ惹かれた───

自分だけに紡ぐユーリの指、唇
絡む髪、瞳、腕、足包む体臭、
温かくも締め付ける彼女の体内───

嘘、偽り無いユーリの自分に対する想いの全て
離れられないのは香りのせいじゃない
ユーリの全てを見ていたいから離れられない───
ユーリが自分の全てを愛していると分かるから離したくない。



分かっているのに・・・
(あんなに怒鳴る必要なかったんだ)


ユーリにガルデーニアと何の『商談』をしたのか
怒鳴りつけてしまった。

青白い顔をして固まるユーリに着せた詰め襟の背広から
膨らみ始めた幼い双丘が見えた。
うっすら見える痣・・・。

自分でも気づいていた。
勝手にガルデーニアと『商談』した事に気分を害した訳じゃなく
ルカに痣が残るほどに乱暴されたのに、どう言うことかルカの頭を優しく撫でていたことが気に入ら
なかった。

本心は商談のことより、そちらの方を問いつめたかった。

でも───焼き餅を焼くなど大人げないと、いらない自尊心が邪魔をして本心を隠した・・・。

可哀想なことをした・・・。
あんな風に怒鳴っては、ひどく落ち込んでいるだろうに。

ユーリに会ったら・・・会えたら
謝らないと

そして
ユーリには言いたくても言えなかった事
今度こそ言わなくては

「愛している」───と

                                  落花流水 終わり


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