「カズやん今年の予定は? 」
「例年通り」
「健は? 」
「右に同じく」
「司は? 」
「デート」
カズやんと健は顔を見合わせ、深くため息をつく。
『は〜』
「結局去年と同じなのは俺ら二人か」
「まさかこうなるとはな……」
一年生の頃からの友人である四人の間では、司は年上の女性と付き合っていることになっている。
三宅隆也の姓と名をいれかえてもじり、高久都という架空の女性を作り上げている念の入れようだ。
その四人は去年ことごとく一人身だったのだが、今年は司とマサにそれぞれお相手ができ、
寂しいクリスマス率は50%減となったのだ。
そのマサは、それこのこの昼休み、年下の彼女と屋上でいちゃいちゃしているはずである。
飄々と苺ミルクをすする司の横で健とカズやんが肩を落としていると、
タイミングよく昼休みの終りを告げる予鈴が鳴った。
「んじゃ俺戻るわ。またな」
腰を上げたカズやんは、司と健の隣のクラスだ。
「おう」
「じゃーな〜」
言っちゃ悪いが顔も後姿もオッサンのカズやんは、今日は何時にもまして哀愁を漂わせている。
モテないのも頷けるのだが、その性格の良さを知っているとどうにも同情したくなる。
――してる場合じゃねーけどよ
ふと自分で入れた突っ込みが胸に刺さって、健は首を振り頭を切り替える。
「で、司。どーすんだ、当日」
「何が? 」
きょとん、なんて可愛い顔ではなく、どうにも可愛げのない無表情で聞き返す司に、健は少し言いよどむ。
目の前にいる司は男だが、大前提として、やっぱり司は――一度は好きになった――女なのだ。
だからこそ、ややこしい問題が身の回りに山積していて、こうして自分は手助けをしようとしているのだが。
「……だから、俺のアリバイ工作はいるのか、って聞いてんだよ」
それは間接的に、隆也と会う手伝いをしてやろう、という申し出なのだが。
「いや、今回はいらない。俺も色々考えてあるから。ありがとな」
特に何の気遣いもなく、あっさりとそう言い切られるのは予想外のことだった。
男の友人として、以前の付き合いに戻れたことは嬉しい。
「そっか。ま、うまくやれよ」
「おう」
「期末テストも終わったし、先生もやっとゆっくりできるね……って、先生?」
数日後。十二月も半ばの日曜日。司はお気に入りのマグカップでココアを飲んでいた。
その隣に隆也がいたのだが、その手が何の脈絡もなく司の体を抱き寄せた。
本当に、何の前触れもなく、である。
思わずいぶかしげな声をあげた司が顔を上げると、これもまた唐突に、唇を奪われる。
甘い口内を貪る舌の動きは激しく、司は手にしたカップをテーブルに置くこともできず体を強張らせた。
それでも、愛しい人の舌使いは快感に結びつき、ぞくぞくと体を疼かせる。
「……っ、は、せんせっ」
ようやくのことで口を離した司に呼ばれ、ようやく隆也は言葉を発する。
「司……可愛い、な」
すっかり興奮した目でそう言う隆也の様子は明らかにおかしい。
「なっ、何言ってるんですか!? なんか今日の先生ヘン―」
「だってしょうがないだろ。司がほんとに可愛くて……美味そうなんだから」
司の手からマグカップを取り上げてテーブルに置いた隆也は、さらにおかしな台詞を口にする。
いや、普段もこのくらいのことは言う男だ。しかしどうも、様子がおかしい。
戸惑いながらも頬を染めた司の視線が隆也のそれとかみ合って、それを契機に隆也は再び唇を重ねた。
情熱的な口付けは簡単に司の力を奪い、戸惑いを消し去る。
静かな昼下がりの部屋に響くのは乱れた息遣いと口付けを交わす音だけで、それはいつもの情事と変わらない。
「司……」
愛しそうに呼ぶその声も、それに感じてしまうのも、何一つ変わらないはずだ。なのに。
「せん、せ……」
ソファに横たえられた司は頬を上気させ息を乱して、ふいに不安に駆られ口を開く。
「先生、なんかヘン……だよ」
その隆也は、眉をひそめた司の言葉にもまともに反応しない。
「そうか……」
ふ、と口元に笑みを浮べた隆也はうなじを舌でなぞり、服の中に手を差し入れる。
「や、ぅ……やだ、なんかっ……あ」
さらしの上から敏感な先端をひっかかれ、抗議の声が止む。
「そっか。嫌か。じゃあしょうがないな……」
言葉とは裏腹に執拗に続けられる悪戯にぴくぴくと背をのけぞらせ、首を振って耐える。
それでも体は快感に従順で、こりこりと固くしこるそこを強めに摘まれ、飲み込んでいた声が漏れる。
「ひゃっ、うっ……あう、あ……」
口をぱくぱくさせている司の耳元に顔を寄せ、ズボンの中に手を差し入れる。
「……嫌じゃなかったのか? いつもの男らしい司はどうした?」
下着の上から割れ目に指をおしこむと、じっとりとした熱が伝わる。
指を動かせば内側にぬめる蜜が溢れていることもわかる。
「ひ、い、やっ……せんせ、いつもと違うっ……」
ぐ、と肩口を掴んでにらみつける司の瞳が潤んでいるのを見て、隆也はようやく悪戯をやめる。
「……悪い……」
「……」
隆也の下から抜け出した司は、眉間に皺を寄せて黙り込む。
隆也が声をかけるのを躊躇っている間に、司が口を開いた。
「……なんで? 」
「……」
隆也は答えられない。
冷たい声が、再び彼にかけられる。
「なんでですか」
「悪い……その……」
後が続かない、そこに見える後ろめたさが、司をいらだたせる。
「はっきりしてください。理由、あるんでしょ?」
つめよるような口調におされ、隆也は溜息をつき、そして申し訳なさそうに言葉を継ぐ。
「その……昨夜、AVを見てて、だな……男装した女の子の……それでこう、余計に、したくなって」
「何それ」
冷ややかな返事と視線に、嫌な汗が流れる。
表情を凍りつかせた司の機嫌をつくろうように、隆也は慌てて続ける。
「いや、別にそれだけじゃないぞ? もちろん相手が司だから……」
隆也が言い掛けたところで、凍り付いていた司の口が動く。
「俺は」
その声の静かさが、ぞっと隆也の背を走った。
「俺は、先生だから……嬉しいし、気持ちいい、のに……」
そしてその静かな声は、彼の胸を締め付ける震えを伴っていた。
だというのに、それを聞いた瞬間、隆也の口から出てきたのは往生際の悪い言葉だった。
「だから、俺だって―」
「嘘。さっきの先生は、俺じゃなくても良かった。こういうカッコしてれば、それでよかったんだ」
たしかに、隆也は司の表面だけを求めようとしていたかもしれないが、
もちろん相手が司でなければあんな性急な態度はとらなかった。そこに愛はあったのだ。
それを言い分も聞いてもらえず、こうも一方的に非難されると、大人気なく反論もしたくなる。
「そんなこと―」
「じゃあなんで服脱がせなかったの? この格好が良かったからでしょ? 違うの?」
まくしたてる司の台詞はほとんどが真実で、隆也は返す言葉がない。
押し黙り必死で言葉を探すが、どんな繕いの言葉もこの怒りの前では無意味に思える。
それくらい、目の前の司の語気は強く、目は。
「……」
目は潤んで、とうとう俯いてしまった。
司の手がきつく握られているのを見て、隆也はようやく謝罪を口にする決心がついた。
「司」
「帰ります」
間髪いれずそう言い放って、司は立ち上がり隆也に背を向ける。
乱暴に上着を拾って出て行くその背中に、隆也は何か言いたげな表情を見せる。
けれどその口からは、気の利いた言葉など出てきそうもない。
ただこのまま帰らせたくはないという思いだけで、口を開く。
「司」
自分を呼ぶ声に気付いただろう、司は。
彼を拒絶するように、そのまま部屋を出て行った。
乾燥したドアの音を聞いて、あげかけた腰をソファに落とす。
目の前のテーブルには、おそろいのマグカップ。
腰を落ち着けたソファの片隅には、司が使っていたクッション。
そのまま目線を壁にやれば、可愛らしいサンタクロースの描かれたカレンダーが視界に入る。
「……何やってんだ、俺……」
ちくたくと、無機質な時計の針が進む音だけが部屋に満ちた。
一週間が過ぎた。
街中がクリスマス一色で、放課後ぶらりと遊びに出た司と健は溜息をつく。
「って、司、どーかしたのか? 」
「あ? 何が? 」
「何が、ってお前。ものっそ溜息ついてたぞ」
先生と何かあったのかと、健としては聞きたいが聞けない。
うっかり聞いてしまったら、まだ心のどこかで喜んでしまいそうだし、何より司の不機嫌を煽るのは怖い。
「あー……こーいう華々しいイベントごとってあんま好きじゃねーんだよな」
「あぁ、そうだっけな。ほんとに枯れてるよなぁ司は」
「うっせ。似非クリスチャンの祭りがなんだってんだ」
まったく浮かれた様子のない司は、やはりおかしい。
聞きたくはなかったが、やはり聞かなければならない。友人として。
何でもなさそうに、顔を正面に向けたまま問いかける。
「―先生となんかあったのか? 」
「……うん、まぁ」
呟く横顔はイルミネーションに照らされて、微妙な影を落としている。
健は努めて明るい声を出す。
「ばっかだなー。なんでまたこの時期に喧嘩なんかするかね」
「俺のせいじゃないし。っつーか100%先生のせいだし。っつーかもういい。滅入る」
畳み掛けるように言って、司は歩調を速める。
それに遅れじと健も足を速めて、司のやや後ろから声をかける。
「で? 仲直りして仲良くクリスマスを迎えようって気はねーのかよ?」
「先生が謝れば考える」
「お前、先生が謝ってもきかなかったんじゃねーの? 」
ぴたりと司の足が止まり、思わず肩がぶつかる。
「……なんで」
「いや、お前切れると言い訳きかねーし。つーか図星か」
「……」
再び無言で足を動かし始めた司に溜息をつきつつ、後を追う。
「でー、どうすんだ、お前」
「……どうもしねーよ」
「そうもいかないだろ。 都 さ ん も落ち込んでるんじゃねーの?」
そう、仮の名前を強調する健を置いていきそうな歩調で前を行く司が呟く。
「……しらねーよ」
もうひとつ溜息をついた健は、それ以上その話題には触れなかった。
「電話に出ません。メールも返しません。学校でも目を合わせません、か」
ぼんやりとカレンダーを見つめつつ呟いて、隆也はソファに荷物を投げ出す。
とうとう終業式のこの日まで、司は機嫌を直してくれなかった。
成績表を手渡すときすら目もあわせず、手も触れず、それどころか返事すらしなかった。
何もそこまで、と思うとこちらも折れる気が失せる。
子供っぽいといわれようがなんだろうが、それはお互い様だ。
――と、七つも年上の男が意地を張っても仕方がない。
仕方がないから一生懸命接触を図ろうとしているのだが、応じてくれないとどうしようもない。
家にでも押しかけたいところだが、こんなかたちで司の両親に会うのも気が引ける。
マフラー、コートを脱ぎ捨てて台所に向かいながら悶々と考えを巡らすが、どうにもいい案がうかばない。
そのうえ冷蔵庫は空ときている。
今回に限っては行きたくもなかった職員の忘年会から帰ってみればこのざまだ。
買い物に行くのも忘れていたのかと思うと、イライラを通り越して情けなくなってくる。
「……しょーがねーな」
カップラーメンでも食おうと湯を沸かしながら、一度はソファに投げ捨てた携帯を拾う。
ここ数日は聞いていない、司からの着信音を心待ちにしながらメールを打つ。
『24日、待ってるからな』
もう機嫌を取ろうとか仲直りをしようとかいう努力は諦めた。
あとは司が折れるのを待つだけだ。それがだめなら、もう全てを諦めるしかないのかもしれない。
着信音は、鳴らない。
二十四日。午前九時。
ベッドから伸びた隆也の手が携帯を開き、メールも着信もないことを確かめる。
「……」
昨日メールを送ってから、いまだ携帯は鳴らず、こちらからも何もしていない。
先週までは、当たり前のように司が来てくれるものだと思っていた。
終業式の後から、ひっきりなしにメールを交換するんだろうと思っていた。
ケーキも予約してあるし、シャンメリーも買うつもりだった。
なんなら、手料理の一つも作ってやろうと。
溜息をつきながら体を起こす。
がしゃがしゃと髪を混ぜて、身をすくめて歩く部屋は寒気に満ちている。
床の冷たさから逃れるように暖房をつける。
ケーキは取りに行かなければ。ついでに、自分が食べるものもない。
洗面所の鏡に映った自分の顔はひどく憔悴していた。
顎を撫でて気づく。ここのところ、髭も剃り忘れていたかもしれない。
溜息をつきながら髭を剃って、着替え、家を出る。
予約した以上ケーキは取りに行かねば。一人でもまぁ、この際仕方ない。
この寒空の下、一人身などいくらでもでもいる。