会話に花を咲かせましょう
私の祖父母は、民宿を経営している。とはいえ、片田舎の小さな旅館で、道楽でやっているようなものらしいので、満員になるほど客は居ない。泊まる客も祖父母の昔馴染みの友達や私たちのような親戚が主だ。
ともあれ、そんな小さな民宿が、満員になる時期が年に一度だけある。それは、夏だ。
数年前、民宿の近くに体育館や運動場等設備が充実した大きなスポーツセンターが出来て、それを利用する運動系の団体様が、うちの民宿を利用するようになったのだ。
だから、私たち家族一同は、夏になると祖父母のところに帰省という名の手伝いをしに行くようになった。去年は、親だけでは足りなかったのか、私まで借り出されて手伝いをさせられたのだ。
高校生の団体の部屋にお茶を運ぶ仕事は、かなり緊張したのを覚えている。
可愛いね。なんて言われて、ドキドキと煩く響く胸を抑えるのに必死だった。
ちなみに、その団体様は、隣の県の女子高である。
いや、だって、数歳しか違わないのに、あのスタイルの良さはなんですか! って感じだったんだ。羨ましいとか思ってもいいじゃない! ときめいてもいいじゃない!
私も高校生になればあんな風に成れるのかな、と思った去年の私は、今年の4月に紙くずに包んで捨てました。あれは、もって生まれた素質がなせる業だったのだ。
で、話は戻るけど、今年の夏も、祖父母のところへ行く予定だった。
それもあるから、あんなに馬鹿みたいに草むしりを頑張っていたのだ。
予定通り、早く済んで良かった。帰省の日までのんびり家でゴロゴロするぞー! と決意したのが、昨日の事。
親がとんでもない事を言い出しました。おかげで、食べかけのトマトを落としそうになった。
「ママさん、ワンモアプリーズ?」
思わず、カタコト英語で話しかけてしまった。もちろん、母には変な顔をされた。
さっきの言葉は、空耳だと思いたかったんだよ。
「だから、先日、町内会の抽選会があったの。それでお母さんが応募したのが、当たっちゃって」
「先月、応募券に何回も名前を書かされたから覚えてるけど、なんで、一回しか書いてないお母さんのが当たるの?」
神様は不公平でした。確率とかなんですか、それ?
「そんなの知らないわよ。ともかく、勿体無いから、お父さんと一緒に行こうかと思ってるの」
あぁ、確か商品はペア宿泊券だったよね。しかも高級リゾートホテルの。
それは、捨て置けないよね。
「別に、行くのに反対はしないけど、じっちゃんばっちゃんの方はどうするのよ? 今年も団体様来てるんじゃないの?」
「だから、だけでもそっちに行って頂戴」
私、力仕事出来ないから、全部は手伝えないよ! と言うか自分が行っても、全く役立つ気がしない。
多分、それが顔に出ていたのだろう。呆れた表情を浮かべられた。
「別にアンタの手伝いは全く期待してないわよ」
「娘に対して酷い台詞ですよ、お母様」
「利吉君が手伝いに来てくれてるんですって」
うわー、スルーされた。って、利吉くん、地元に帰ってきてるんだ。
あ、彼は、お父さんのお姉さんの息子さん。いわゆる、いとこだ。
「だから、アンタは彼の手伝いをすればいいの」
◇
なんか反論もないままあれよあれよと、時は過ぎていった。
というか、出発は翌日だからねってチケット渡しながら言われて、慌てて夜中に用意したから、ちょっと寝不足だ。電車の中で寝たから少しマシになったけど、せめて一日くらい猶予が欲しかった。
ああ、さよなら私の読書時間。あ、でも悔しいから数冊鞄に詰め込んできた。時間が空いたら読んでやる気満々だ。
そんなことを考えていると、ワンマン電車が目的の駅に停車したので、慌てて降りる。
改札を抜けると、そこには大自然が広がっていた。
「んー……空気が上手い!」
少し親父臭い発言をしながら、背伸びをした。
すると、プップーと軽めのクラクションの音が聞こえて視線をそちらに向けた。
白の軽ワゴン車が止まっていた。車体には「民宿・やまごおり」と言う渋い字体のロゴが印字されている。うちのじっちゃんとこの民宿名だ。
誰か迎えに来てくれたんだ。暑い中歩かなきゃいけないのかと思ってたから、助かった。
そう思いながら、その車に近づいた。
運転席側のパワーウインドウが降り、そこから馴染みの顔が現れた。
「やあ」
「あ、利吉くんだ」
「指を指すな、指を!」
彼に向けて、人差し指を指しながらそういうと、突込みが入った。
こういう細かいところで煩いのは昔から変わらない。なんだかそれが嬉しくなって、笑みを浮かべた。
「久しぶりー。アンド、今日からよろしく!」
そう告げると、利吉くんは、やれやれと言いながらも、久しぶりと挨拶を交わしてくれた。
「そう言えば、仕事バカの利吉くんが地元に居るなんて珍しいねー。やっと、おばさんの言われたとおり落ち着く事にしたの?」
窓の外は、のどかな景色ばかりが過ぎていく。ちょっと飽きてきたは、利吉に話を向ける事にした。すると、その発言に利吉は、またため息を吐いた。
「仕事バカって……そこまで言う事ないだろう」
「だって、ほとんどの休みをアルバイトに費やして、長期休暇も実家に寄り付かないほど忙しくしてる利吉くんが、じっちゃんらの民宿の手伝いをしてるって聞いたら、誰だってそう思うよ?」
去年、おばさん家に挨拶に言ったら、愚痴られたのだ。
『半年くらい戻ってきていないのよ。帰ってこない理由を聞けば、学業とバイトで忙しいってそればっかりなの』と、それはもう、こっちが頷くことしか出来ない位のマシンガントークだった。
一応、携帯電話で時折連絡は付いているらしいが、それでも顔を見たいと思うのが母心なのだろう。
「今年は、偶然、休暇が取れたんだよ。それに好きで帰らないわけじゃない」
「ふーん」
「それよりも、の方はどうなんだ。高校は楽しいか?」
「その台詞、おじさん臭いよ?」
「げほっ……5歳しか歳が変わらない男に言う台詞か!」
「いやー、その場のノリで?」
の言葉に、利吉はハンドルに頭を突っ伏したくなった。流石に運転中にそれは出来ないので、引き攣った笑みだけ浮かべた。
「冗談は置いといて、別に普通だよー? ちょっと部活が大変だったけど」
「運動部に入ったのか?」
「ううん、園芸部。これがまた重労働を課されるほどの部活で、ちょっと焼けちゃった」
「ちょっと焼くくらいなら、健康的でいいじゃないか。去年の夏のはずっと部屋に篭って本ばっかり読んでたって聞いたぞ」
なぬ!? お母さん、いつの間に利吉くんと連絡取り合ってたのだ!?
プライバシーの侵害! って言っても、私も利吉くん情報筒抜けだったし、お互い様ってやつなのかな。
「……彼女さんとは何で別れちゃったのー?」
「はぁ!?」
「利吉くん、前見て! めっちゃ危険だから!」
私の台詞に、利吉くんは、慌てて視界を前に戻した。
運転手がよそ見してどーするんだ。私は、免許持ってないんだから、代われないんだぞ。
ちゃんと運転してくれないと困る。
すると、今度は、盛大なため息が横から聞こえる。
さっきから、利吉くんため息ばっかり。幸せ逃げるぞ?
「なんで、そんなこと知ってるんだ」
「おばさんが、教えてくれた」
「母さん……っ!!」
「すっごい美人だったって聞いたけど、なーんで別れちゃうのかなー、勿体無い」
その内、結婚するのかなって楽しみにしてたし、お姉さまって呼んでいいですかっていうベタな展開もしてみたかったのになぁ。
「勿体無いって、どういう観点だ……まあ、あれだ、大人には色々あるんだよ」
あ、なんか一瞬、利吉くんが別人に見えた。
大人っぽいというか。いや、実際成人してるんだから立派な大人なんだけど、なんというか雰囲気まで大人というか、自分とは違う世界の人なんだなって自覚させられたような……これが疎外感ってやつかな?
「そっか……」
やっばい、空気まで暗くなってしまった。うーん、話題。明るい話題は落ちてないか!
「そういうこそ、彼氏とかいないのか」
「本が恋人」
「…………」
うわ、思いっきり呆れられてる。
でも、本当に、本読んでるほうが楽しいんだけどなぁ。
クラスメイトの友達の惚気とかは良く聞くようになったけど、だからって、自分も欲しいとは思えない。そもそも、自分とお付き合いをしてくれる素敵な人は何処に行けば落ちてるんだと、問いたい。
「あ、でも最近は、友達いっぱい増えたよ? 携帯番号も交換出来た子も居るし」
タカ丸は相変わらず、写メ付メールを送ってくる。
半数が自分が結ったマネキンの髪型なんだけど、感想を求められてどう答えりゃいいんだと思う髪型もあった。
綾部は、昨日の今日だから、そんなに着てないけど、最初に貰ったメールが奇妙すぎたのは覚えている。なんせ、文章の合間合間に●が入っているのだ。虫食い文字かと思ったけど、文章自体はちゃんと読めるので、なんだこれはと返信したら、デコレーションと返ってきた。だから、これはちょっと変わったデコメの一種なんだと自分に納得させることにした。
後は、女友達からのメールだ。けど、クラスメイトはみんなデートで忙しいだろうからそんなに頻繁には送ってない。中学時代の友達には、時々、高校の事を話したりしている。今朝、じっちゃんち行ってきまーすと送ったら、いってらっしゃーいと返事も貰ったし。それなりに交流はしてますよ。
「本以外の楽しみも増えたよ?」
「そっか、それ聞いて、ちょっと安心した」
そんなに本が恋人って言うのが、嫌だったんだろうか。
今度から“本は友達”って言うことにしよう。そう肝に銘じただった。