湯けむり事件簿 前篇
「はぁ。生き返るー」
湯船に体を沈ませたは、とてもオバサン臭い台詞を吐いた。
重労働の後のお風呂は、格別だ。
しかも、露天風呂。空を見上げれば、木々の隙間から月と星が見える。
なんて風流。
普段は、風景に目もくれないだったが、これだけの星空があれば、目を向けたくなるというものだ。
「露天風呂を独占するのって、気分がいいよね」
と言っても、誰もいなくなる時間帯を狙って入っているからこそ、邪魔がいないと言うわけなのだが、それでも独り占めには変わりない。
「鼻歌でも歌いたい気分だけど、響くと嫌だし、止めとこう」
怪奇! 女の呻き声! なんて噂が広まったら嫌だ。
いや、そこまで音痴だと思ってないけど、お世辞にも上手いとは言えないから、安全圏を保っておいた方が身のためだ。
「?」
背後から声が聞こえたので、石に凭れて星を見ていたは、声のした方に顔を向けた。
「あ、利吉くん」
吃驚した顔の利吉くんがいた。けど、なんか途端に顔が赤く染まった。
かと思えば、今度は怒りの顔に変わる。コロコロと忙しい人だ。
「なっんで、お前がここに居る!」
「なんでって、見れば分かるじゃん。入浴中」
「それは分かってる! ここが、混浴だって分かってるのか!?」
露天風呂は、21時を過ぎると混浴に切り替わるのだ。
普段は、時間指定で男女で入れる時間が割り当てられている。
「分かってるけど、誰も入ってこないから、いいかなーって」
本当は室内にも檜風呂がある。そっちは、男女別々だ。
でも、折角の露天風呂を満喫したいじゃん。
それに、初日から入ってるけど、誰一人出会わなかったし。
「お前は、昨日の忠告を全く覚えとらんじゃないか!」
「え? あれは、男の部屋で寝るなってことでしょ?」
あ、なんか頭抱えた。
もー、利吉くんって、口煩いなぁ。まるで小舅だよ。
「それより、入んないの?」
利吉くんは、いつまでの洗い場に突っ立ったままだ。
別にいいんだけど、利吉くんの上半身、ジロジロ見てていいの? って投げかけたら、何か苦虫を噛み潰したみたいな顔になって、無言で入ってきた。
「いらっしゃーい」
声をかけると、ギロリと睨まれた。おお、怖っ!
なんだ、すっごい不機嫌だ。
「そんなに私が露天風呂に入ってるのが気に喰わないの?」
「気に喰わない」
「即答!?」
えええ、何でよ。別にこの露天風呂は、利吉くんのものじゃないでしょうに。
かといって、私のものだってことにもならないけど、つまり、公共物だ。宿泊客なら入りたい放題のものだ。
はぁ、と盛大にため息を吐かれた。
「もっと、意識してくれ。襲われたらどうする」
「利吉くんが襲うの!? 私を!?」
ガバッと自分の腕を体に巻きつけて、身構える。
すると、利吉くんは、もっと早くに気付かんか! と突っ込んできた。
「擽り攻撃は、禁止だからね!」
「だはっ!」
あ、湯に顔突っ込んだ。あれか、誰が一番長く潜ってられるかっていう大会か!?
でも、参加しないぞ? 熱い湯に突っ込むのは、嫌だ。
「ぷはっ……お前それで、よく今まで無事で生きてきたな」
「えっへん、世渡り上手ですから!」
「アホか」
「いたっ!」
チョップされた。
何度も思うが、利吉くんは手加減と言うのを知らないのだろうか。
あんまり叩かれると、その内に脳細胞死んじゃうぞ!
「仕返し!」
両手を湯の中に付けて、水鉄砲をしてやった。
おお、見事に勢いよく飛んだ。利吉くんの顔にクリーンヒット! 100点満点!
「……」
あ、やっばい、これは本気で怒らせた。
避難って行っても湯船ん中で何処に逃げればいいんだって感じだけど。
とにかく、腕をつかまれる前に逃げる!
「どわっ!」
とか思ってたら滑った。ぎゃー、顔から湯にダイブ!?
「ぶへっ!」
痛い。実に痛い。硬いもので鼻を打った。
湯船って、そんなに破壊力あったのか。でも、確かに小学生の頃にプールで飛び込んだ時、水面で思いっきり顔をぶつけたのは、痛かった。そして、先生に怒られた。
いや、その割には、顔が湯で濡れてない。
うぬ? 私、何にぶつけたの?
そう思いながら、顔を上げた。
ドアップの利吉くんがおりました。
なるほど、私がぶつけたのは、利吉くんの胸板でしたか。
鍛えられてるんだねー、利吉くんは着やせするタイプなんだとさっき裸見たときも思ったけど、実際にぶつかるとその硬さが良く分かった。
この胸板を彼女さんも満喫し……すみません、調子乗りましたぁ!!
そんな思考を読まれたのか、ジッと見つめられたので、苦い笑みを浮かべ返した。
けど、なんでか、利吉くんの表情は変わらない。
怒ってるのか。これは、まだ、怒っているのか。
「りきちく」
「しっ」
名前を呼ぼうとしたら、人差し指で唇を押さえられた。
何故に?
「誰か来る」
ぎょえー!!
内心で叫びました。これ、やばくない?
だって、今から入ってくるの、知らない人でしょ?
じっちゃんばっちゃんは、とうに入ったし。
泊り客と言えば、団体さんくらいしかいない。ということは、男バスの人じゃん!
顔バレたらやばい! 何言われるか分からない!
あいつ、堂々と混浴に入ってたんだぜぇ? なんて言われでもしたら、学校に居られない!
もしも、今のの思考を利吉が読めていたら、そこまで予測が付くのに、なんで危機感がないんだ!? と突っ込んで居ただろう。
ともかく、出来るだけ相手に見えない位置に隠れた。
隠れるものといえば、利吉くんしかいないので、その腕の中にお邪魔させてもらうことにした。
うん、どの道、時間なくて、ここから動けないから。
「お前のせいで、風呂入るの遅れたんだからな!」
「なんで、私のせいなんだ」
「部活中にナンパしてるところを先生に見つかって、罰として床掃除させられた上に、食事の後にも更に説教されてたから、だよ」
「失礼だな。私はナンパなんてしてない。向こうが勝手に声をかけてきたんだぞ?」
「だとしても、サボってた事に変わりはないだろ? そもそも、どうして俺たちまでつき合わされなきゃいけないんだ?」
「連帯責任ってやつだ、諦めろ」
「三郎! お前が偉そうにいうなよ!」
体が硬直した。
聞き覚えのある声だとは思ったけど、最後の名前で確信した。
よりにもよって、なんでこんな所で先輩たちに会うのよ!
昨日の件で、先輩たちがここに居るってことは分かってたけど、ついでに、昨日の不破先輩との件も後でちゃんと説明しようと思っててうっかり忘れていた事に今気付いたんだけど、なぜ露天風呂で遭遇するんですか。
タイミングの神様は、やっぱり意地悪です。