湯けむり事件簿 後編
「あ、煩くして、すみません」
誰か一人が、入浴中のこちらに気付いたようだ。
バレませんように!
は、祈りながら、出来るだけ顔が見えないように、利吉の胸の中に顔を埋めた。
この際、素肌が直にあたる事に関しての羞恥心なんて捨てておく。
「いや、別に……」
「従業員さんですよね?」
「ああ」
利吉くん、よく悠長に話してられるね。私の心臓、すっごくバクバク言ってるんだよ。
……いや、これ、利吉くんの心臓か?
頬に心臓なんてないもんね。ということは、頬に伝わる心音は、彼のものと言う事になる。
それが、通常よりも速い。入浴中だからかな?
「俺たちも、入っていいですか」
「ああ、構わないよ」
利吉くん、どういうつもりですか。私のこと、放置ですか。
このまま我慢しろってことですか。
うお、水面が揺れてる。
入ってきたんだ! で、出たい。私はもう出たい!
「あっ……お、お邪魔してしまいました?」
き、気付かれたーーーー!!
この声は、不破先輩だ。うん、戸惑いっぷりが目に浮かぶよ。
「いや、お構いなく」
構え! そこは、思いっきり構っていいのよ、利吉くん!
「そ、そうですか?」
ほら、相手も戸惑ってるじゃんか。
青少年には宜しくないよ! だから、出よう、利吉くん、このまま私を連れて出るんだ!
「一緒に入るなんて仲がいいんですね」
今度は久々知先輩か! もう、構ってくれなくていいからッ!
「ああ、仲良しだよ」
確かに、仲良しだけど、いつも一緒に入ってるわけじゃないよ。
一緒に入ったのなんて、幼稚園の時くらいだからね、それ以後は一切、入ってないからね!
「さっきから大人しいですけど、彼女さん、大丈夫ですか?」
今度は、鉢屋先輩ですね……。
「ああ、これは、甘えてるだけだから」
頭撫でなくていいからさ、撒いたタオルがズレるから! それに、一切甘えてませんからね!
叫びたい、声を出して文句を言いたい!
実は利吉くんは、楽しんでるんじゃないだろうか。声が物凄く、機嫌よさそうな感じに聞こえるのだ。
遊ぶな。こんな危険な状態の中で、私で遊ぶな。
「俺たち一緒で、彼女さん、平気なんですか? その、タオル一枚だし」
今度は竹谷先輩か。なんで、皆構ってくるんだろう。黙って風呂に入っててください。
「ああ、そうだね。うっかりしてたよ。出来れば見ないでやってくれないかな。彼女、照れ屋さんだからね」
利吉くん、何でそんな爽やかな笑いをしてるんですかね。
むしろ、あんた誰ですかって聞きたいよ。急に別人っぽくなったよ。
「あ、すみません」
む? これはもしや、視線が逸らされたのか?
こっち見てないのか?
なら、出よう、さくさく出よう。そろそろ逆上せてきそう。
軽く、顔を上げて利吉くんを見上げた。それに気付いて視線が降って来る。
出ーまーすー! と口パクで伝えてみる。
伝わったようだ。手が放された。ああ、これで、漸く解放される。
先輩たちが、こっちに視線を向けていないうちに、さっさと脱衣所に戻るんだ。
そう思い、立ち上がる。ちょっとクラッとした。危ない危ない。もしこのままずっと居たら、逆上せ切っていたかも知れない。それだけは勘弁だ。
後のフォローは任せた利吉くん!
心の中で告げながら、湯船から上がるために足を上げた。
「ひゃっ!!」
ところが、縁に躓いてこけた。
「痛っ……りきちくーん、手擦り剥いたぁ〜」
咄嗟に手を付いて顔面衝突を防いだけど、お陰で手のひらが痛い。
「こんの馬鹿っ」
目が合った利吉くんが小声で呟いたのが耳に届いた。
バカって、何でそんな失礼な事を――――をああああああ、しまった!!
ずっと声を押し殺して我慢していたのに、最後の最後で気を抜いてしまった。
ものすっごい驚いた顔の4人の姿がバッチリと視界に入った。ということは、向こうもこっちの顔が見えていると言う事だ。
「…………?」
ああ、終わった。完全にバレてしまった。
どうしよう、どう言い訳しよう。別に好き好んで混浴に入っていたわけではなく、ってなんかいい訳臭く聞こえないかな。でも、真実なんだ!
「ご、ごゆっくりぃーーー!」
とりあえず、逃げました。だって、あの状態でどうすれば良いというんだ。
あんなに凝視されたら逃げたくなるじゃないか。
だから、追いかけられないように、脱衣所に逃げ込んだ。
はぁと息を吐いた。
混浴に入っていたこととか、こけた事とか、こんなタオル一枚の姿を晒してしまった事とか、色んな意味で恥ずかしさが募ってくる。
もしかしたら、下手な芝居を打ったこともバレてるかもしれない。
「…………もう、お嫁に行けない」
混乱のせいか、場違いな言葉が彼女の口から漏れた。