幸せは、日常の中にある
「んー……」
ごろりと寝返りを打った。
(ん? 寝返り?)
なぜ、鉢屋先輩の目覚めを待っていた自分が、寝返りなんて打つのだろうか。
しかも、ベンチに座っていたはずの自分が、布団の中で。
自分は一体いまどこにいるのかと、は目を開けて確認する事にした。
白い天井が視界いっぱいに広がっていた。
上半身を起こして、あたりをキョロキョロと見渡してみたが、見に覚えのない場所だ。
雰囲気からすると、保健室に何となく似ている。ということは、ここはスポーツセンター内の医務室なのだろうか。
はてさて、何故自分がこんなところにいるのか。先ほどまでベンチにいたはずだし、傍には鉢屋先輩もいない。どうやってここまで来たのだろう。まさか、自分には瞬間移動できる隠された能力があったのか! って、あるわけないない。それとも、夢遊病でもあるのだろう。
とりあえず、いつまでもベッドにいるわけにも行かないので、降りることにした。足を出して、そこに置いてあった自分の靴を履く。
「あれ? 手当てしてある」
いつの間にか、膝に絆創膏が貼ってあったのだ。気付けば、腕のほうも治療が済んでいる。
小人さんか、まさか、小人さんでもいたのか!?
いかん、起き抜けでいまいち頭が回ってないみたいだ。
寝不足がたたって、思いっきり熟睡してしまったせいでまだボケているみたいだ。
「ってことは、先輩に逃げられた!?」
あれからどれだけの時間が経ったのか分からないが、ここに先輩の姿がないと言う事は、逃げられたのかもしれない。折角、逃げないように捕まえていたのに、寝ちゃ意味ないじゃん! 私のバカー!
頭をかき回したいが、ぐしゃぐしゃになるので何とか抑えた。代わりに重いため息を吐いた。
避けられるのは精神的に来る。折角、仲良くなったのに、こんな一回の喧嘩で関係が崩れるなんて嫌だ。もっといっぱい話したいこともあるし、これからの時間も一緒に共有していきたい。
「……あ」
私、すっごく馬鹿だ。久々知先輩の言っていた意味に、漸く気付けた。
鉢屋先輩は、私のことを心配してあんなに怒ってくれていたのに、関係ないなんて言ってしまった。売り言葉に買い言葉とは言え、酷い言葉を吐いてしまったのだ。先輩が一瞬悲しそうな顔をしたのは、私の言葉に傷付いたからだ。
過去に戻れるなら、昨日の私をぶん殴ってやりたい。
これでは、先輩に避けられるわけだ。
プルプルと首を横に振った。何のためにここに来たと思っている。
謝る為だ。どんな結果になっても、謝罪だけはきちんと告げておくべきじゃないのか。
パンと軽く両頬を叩いた。
「……よし!」
また、先輩たちを探して待ち伏せだ!
気合を入れたは、立ち上がった。
ガチャ
それと同時に、扉が開く音が響いた。視線を向けると、丁度入ってきた人物と目が合った。
「あ、さん、目が覚めたんだ」
「……え?」
「良かった」
「じゃんけんに勝った俺は、ちょっと不服なんだけど?」
「八左ヱ門。こればっかりは仕方ないじゃない」
目の前で、不破先輩と竹谷先輩がナチュラルに会話しているので、こっちは拍子抜けして目が点だ。
多分、ポカンとしているのが分かったのだろう。不破先輩が、心配そうな表情でこちらを見てきた。
「もしかして、まだ寝ぼけてる? あ、それとも状況が分からない?」
コクリと頷いた。すると、先輩が最初から説明してくれた。
どうやら、私はあの後、鉢屋先輩の傍で眠ってしまったらしい。そのまま放置しておくわけにも行かないので、鉢屋先輩が医務室まで運んでくれたそうだ。
ということは、先輩が手当てしてくれたのか。ちょっと吃驚。
で、休憩時間終了ギリギリに戻ってきた鉢屋先輩に、他の三人が何処に行っていたのか問い詰めて、先ほどの経緯を説明してくれたそうだ。それで、じゃあ、こっちの練習が終わるまで寝かせておこうと言う事になり、先ほど練習が終わったので、帰宅の途につく為、迎えに来たらしい。
竹谷先輩が不服といっていたのも、私がまだ眠っていた場合に備えて、誰かが負んぶで連れ帰ることになり、その役をじゃんけんで決めたそうだ。
自分がここにいた謎が解けたのは良かったが、しかし、それよりも一番気になっているのは。
「先輩たち、怒ってないんですか?」
避けられてると思っていたので、先ほどから普通に接してくれる先輩たちに、こっちはずっと驚きっぱなしだったのだ。
すると、先輩たちはお互いの顔を見合わせて、笑みを浮かべた。
「うん、確かに怒ってたけど、寝不足の上にそんな怪我までして、ここまで謝りにきてくれたんでしょう? それがとても嬉しかったから」
「それで、十分だろ?」
「……っ」
なんだ、この先輩たちは。優しすぎる!
もっと怒っていいのに、どうして、そんなに優しくするんだ。
こっちが付け上がっちゃうじゃないか。
「ごめんなさい! 本当に、ごめんなさい!」
でも、やっぱり、きちんと謝りたい。それだけのことをしたのだから、ケジメだけはつけておきたかった。
すると、下げた頭の上に手を置かれた。ぐりぐりとちょっと痛いくらいに撫でられる。
この手は竹谷先輩だ。
「おう、許してやろう!」
「それすっごく偉そう」
「そうか?」
ああもう、先輩たちには敵わないなぁ。
◇
「おまたせ!」
「待ったぞ」
久々知先輩と鉢屋先輩は、入り口で待っていてくれたようだ。
姿を視界に入れて、不破先輩が手を振ると、向こうも同じように振り返してきた。
「で、その手は何だ?」
鉢屋先輩の視線が、下方に向けられた。私の手元に向けられる。
「えと、両手に花?」
「こいつらは花と呼ばん」
私の両手は、今塞がっている。片方は不破先輩の手と、もう片方は竹谷先輩の手と繋がっているからだ。
負んぶが出来なかったことが悔しいと告げる竹谷先輩に、じゃあ、これで良かったらどうぞと手を差し出したのだ。流石に、起きたまま負ぶってもらうのは、憚れた。それに、考えてみれば、ここに来るまでに汗を掻いているので、どっちにしろ負んぶは遠慮したい。
そして、不破先輩がじっとこっちを見ていたので、先輩も繋ぎますかと聞けば照れた様子でどうしようか悩みだしたので、これじゃあ埒が明かないと思って、遠慮なく繋がせてもらったのだ。
二人が横に並ぶと、如何に自分が小さいか分かる。違うな、先輩たちが大きすぎるのだ、そうだ、自分は決して背が小さいなんてそんなことはない! 断じてない!
「どっちかって言うと、親子三人じゃない?」
「ってことは、私が、二人の子どもですか?」
どっちがお母さん?
「兵助、お前なぁ!」
そう告げると、竹谷先輩が思いっきり怒鳴った。
何か変なことを言ったのかと久々知先輩は不思議そうにしている。
ああ、いいな。こういう雰囲気。
「鉢屋先輩、久々知先輩」
私が呼びかけると、ぴたりと動作を止めて視線をこちらに向けてくれた。
私は、そんな二人に頭を下げた。
「昨日は、本当に、すみませんでした」
「俺は、もう怒ってないよ」
「…………私は、怒ってる」
久々知先輩とは反対の言葉に、私は恐る恐る顔を上げて鉢屋先輩を視界に移した。
目が釣りあがってる。鉢屋先輩には、許してもらえないのだろうか。なんだか悲しい。
「だから、その両手を離して、私と繋いでよ」
「……え?」
「だから、八左ヱ門と雷蔵の手を離して私と繋げって言ってるんだ」
意味が良く分からなくて、先輩が差し出してきた手を見つめて瞬きを繰り返した。
「三郎は、素直じゃないな」
「煩い、兵助は黙ってろ。それで、どうするんだ?」
「え、と……怒ってるんじゃないんですか?」
なのに、どうして、私と手を繋ぐ事になるのだろうか。
「怒ってるさ。雷蔵と八左ヱ門と手を繋いでる事に」
「へ?」
え、こっち? 昨日の事じゃなくて、怒りの原因はこれなの!?
「ほら、早くしろ」
「は、はい!」
慌てて手を離して、鉢屋先輩の手を掴んだ。
すると、先輩は満足そうに頷いて、帰ろうと言葉を吐いた。
全くわけの分からない人だ。
だけど――凄く嬉しい。
先輩たちが怒っていないことが分かって、本当に嬉しかった。
また、いつもと同じように接してくれる事が堪らなく嬉しかった。
帰りの足取りは、とても軽やかだった。
[田舎編END]