寂寞とした夜
何故にこんな事になったのだろうか。
は、ベッドに腰を下ろしたままそんなことを思った。
あの後、おば様に挨拶に行った。物凄く喜ばれた。
伯父さんと利吉くんも加わって、軽い雑談を交えながら取った食事も物凄く美味しかった。
その後も、食器の片付けを手伝いながら、おば様と楽しく談話した。
それで、私は民宿に帰るはずだった。荷物を持ってきてるといっても、本と財布があるだけのものだったのだ。なのに、伯父さんたちの口車に乗せられて、私も泊まっていく事になってしまったのだ。
それは、いい。
ここに泊まるのは、別に苦ではない。小さな頃に何度も泊まった事だってあるので、慣れたものだ。
「……なんで、お泊りがこの部屋なの。利吉くん?」
「私に聞くな」
机の椅子に座って頭を抱えている利吉くんに首を傾げたまま聞き返せば、そんなつれない言葉が返って来た。そりゃそうだ。利吉くんも予想していなかっただろう。
まさか、私と相部屋にされるなんて。
小さな頃は一緒に寝ても何ら問題なかったが、今の私は高校生、利吉くんも大学生。一緒に寝るほど幼くはない。なのに、どこをどうすれば利吉くんの部屋で寝泊りさせられる事になるのだ。親として、それでいいのか伯父さんたち!
利吉くんの戦場だって意味、なんとなく今なら分かる気がする。伯父さんたちの仕出かすことはいつも予測が付かない。だからこそ、何があるか分からないから、構えておけと警告したのだろう。
でも、あの伯父さんたちが相手じゃ全面降伏するしか術がないとは思うのだが、それは、言わないほうがいいのだろうか。
「すまないな、巻き込んで」
「うーん、まあ、伯父さんたちには勝てないって」
伯父さんたちは昔から、何かと頑固なのだ。利吉くんですら負けてるのに、私が勝てるわけがない。
利吉くんも、いとことはいえ自分の部屋に誰かがいるなんて、嫌だろう。気を使わせてしまうのは申し訳ない。
「私は、リビングで寝る」
利吉くんはそう告げて、椅子から立ち上がった。
私のその発言に驚いて顔を上げた。
「え! でも、ここ利吉くんの部屋だよ?」
「をソファで寝かせるわけにも行かない。ベッドは勝手に使ってくれ」
「いやいや、私はソファでも気にしないから! むしろ、部屋主を追い出して寝るほうが気使うから!」
出て行こうとする利吉くんの腕を掴んで、引き止めた。
流石に、それは悪い。こっちは親戚とはいえ客人に違いないのだ。
すると、利吉くんは盛大にため息を吐いた。
「お前は、この状況を理解できているのか?」
「え」
真剣な瞳がこちらを射抜いた。思わず掴んだ手が緩みそうになった。
「状況って、そりゃ、ちゃんと分かって」
「ない」
断定されてしまった。思わず、ムッとした表情を浮かべたが、しかし、利吉くんの表情は変わらず、真剣そのものだった。むしろ、怒っているようにも思える。
「別れたと知った途端これだ。私の気持ちなんて何も分かっていない……いい加減にしてくれッ!」
否、利吉くんは、怒っているのだ。身に纏う雰囲気そのものが怖い。だからか、私は、金縛りにあったかのように動けなかった。利吉くんのことを怖いと思うなど、可笑しな話だ。
「り、きち、くん?」
けれども、そのまま黙る訳にもいかなかったので、勇気を出して声を発した。だが、気持ちが音に表れていたようで、それは、とても掠れたものになっていた。
私の呼びかけに、利吉くんはハッと我に返った様だった。私の表情を見て、申し訳なさげに眉尻が下がった。
直ぐに空いた方の手で、頭を撫でられた。その手は、いつもと変わらぬ優しい手だった。それにどこかホッとしたけれども、思考が上手く纏まってくれなくて、笑えなかった。
「私のことはいいから、ここで寝てくれ」
「……うん」
私は、無意識に頷いていた。すると、やんわりと掴んだ手を離された。空になった私の手は、支えるものをなくしてだらしなく下がった。
そして、呆然としていた私の耳に、静かに扉が閉まる音だけが響いた。
◇
ブブブブブ……
どれくらい、そうしていたのだろうか。
鞄の中から聞こえてくる微かな振動音に気づいて、私は、我に返って鞄の蓋を開けた。
音の原因は携帯電話だったようだ。
「……はい」
着信相手を確認せずに、私は受話ボタンを押した。
『ちゃん?』
「タカ丸?」
聞き覚えのある声が、鼓膜を刺激した。携帯電話に掛かってくるのだから、知り合いの誰かだということくらいは分かっていたはずだったのだが、どうして、相手を確認せずに出てしまったのだろうかと後悔の念が湧き上がった。
『もしかして、寝てた?』
「ううん、起きてたよ」
『……何かあった?』
相手の言葉に体を震わせた。携帯で良かった。もしこれで相手の姿が見えていたら、直ぐにバレていたかもしれない。
「ううん、何にもないよ?」
出来るだけ明るい声を努めて発した。
そう言えば、いつも通りってどうやるのだったか。これであっていればいいのにと思った。
『――嘘でしょ』
見破られた。心臓が大きく撥ねた。けれども、それを肯定されたくなかった。
「そんなことないよ」
『こう見えても僕は、そういうの結構分かっちゃう方なんだよ?』
そう言えば、タカ丸って学生でありながらも、美容師でもあったよね。
接客業だから、客の反応に敏感に出来ているのだろうか。そう言えば、クラスでも気の効くところが女子に受けていた。へらへらと笑ってるだけの人なのだと彼を侮って見ていた自分が、恥ずかしい。
「…………」
『沈黙は肯定になるよ?』
「大したことじゃないの」
隠し通せそうにもなかった。素直に話すしかない。もしかしたら、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。するりと言葉が口から出ていた。
「ちょっとだけ、怖かったの」
そうだ。怖かったのだ。さっきの彼は、いつもの利吉くんじゃなかったから。
しかし、考えてみれば、自分は彼の何を知っているというのか。今の彼のことなど何一つ知らない。人間関係も生活も昔とは全く違っているのだから、彼の本質を全て知ることなど出来るはずもないのだ。
けれども、親戚という繋がりを特別のように思っていたのかもしれない。
「相手のことを全部分かってるって、自惚れてたのかもしれないなぁ」
乾いた笑いが漏れた。こんな事でショックを受けるなんて、自分は本当に子どもだ。
『…………』
今度は相手が無言になってしまった。
自分が愚痴のような言葉を吐いてしまった事に気づいて、慌てて言葉を続けた。
「ごめん、意味不明だよね!」
『その人が、羨ましい』
「え?」
相手の言葉の意味が分からず聞き返した。けれども、タカ丸は直ぐに「なんでもない」といつもの口調で告げたので、気のせいかと思って深くは追求しなかった。
その後は、タカ丸と、他愛のない話をして電話を切った。
もしかしたら、それが彼なりの慰め方だったのかもしれない。おかげで、鬱々とした気分が軽くなったような気がする。タカ丸に感謝しなければいけない。今度何か奢ろうかなと思いながら、私は、利吉くんのベッドに入り目を閉じた。