学生の本分


あと数日で夏が終わる。
充実した夏休みだったなぁと、思い出に耽っていたいのだが、それを遮るように現実が、直面していた。

「……終わらない」

は、机に座り、シャーペンを握ったまま唸った。は、高校生だ。高校生の夏休みといえば、遊ぶだけが仕事ではない。
宿題だ。休み前に出された宿題を終わらせてこそ、夏が終わるというものだ。

も、地道に片付けていたのだが、最後の最後に苦手な課題でもある数学の宿題だけが一向に進んでくれなかった。
先に自分が分かる基礎部分だけ先にやっていたせいで、苦手な応用問題で思いっきり躓いてしまったのだ。
うんうんと唸っても、所詮、自分の脳みそでは、素晴らしい回答なんて出てくるはずもない。

「いっそ、答えを見てしまおうか」

それを書き写してしまえば、これで宿題は全て終わりに出来る。

「担任にはバレるよね」

答えに手を伸ばしかけて、やめた。あの担任ならば、生徒の偏差値くらい頭に入っているだろう。私が、こんなにスラスラと解けるはずがないと思っているに違いない。
証拠に解き方を書けと言われたら、書けない自信もある。

「……誰かに聞こう」

そう呟いて、シャーペンを置いて携帯を手にした。

誰にしようか。よし、花乃子に聞いてみよう。メール送信!

「お、返って来た。何々? 『ごめん。友達と映画見に行く所だから、今日は行けない』 ……なんというバッドタイミング。後は誰がいたかな?」

ポチポチとボタンを押してアドレスを確認していく。

綾部は、お願いすれば引き受けてくれそうだけど、聞いても碌な答えが返って来る気がしない。あれは先生には向いてないと思う。
じゃあ、タカ丸。期末テストの勉強を一緒にやったとき、こっちが教えてあげたくらいなんだから、土台無理だろう。
次、滝夜叉丸。勉強を聞いたが最後、自慢大会に移行されてしまうだろうから却下。
三木ヱ門は、まだマシかな? あ、でも、連絡先知らないや。

「って、聞く人いないじゃん!」

よく考えれば、どいつもこいつも全く役に立たない友人どもだ。いや、メリットで付き合ってるわけじゃないけど、少しくらい協力的な友達がいてもいいと思う。どこかに居ないだろうか。勉強が出来て親切に教えてくれそうな良い人。

「…………あ、先輩がいた」

そうだ。別に同い年に聞かなきゃいけないって決まりはないし、先輩だから一年生の数学もある程度分かるだろう。そうと決まれば、早速メールだ。

『今日お暇ですか? 数学が、未知の世界です。暇なら教えてください』

内容を打ち終えて送信ボタンを押すと、数分もしないうちに返って来た。
相変わらず、打つのが早い。

『今、俺も勉強してるところだから、いいよ。なんなら、ウチまで来る?』
『行きます! 場所、教えてください!』

直ぐにそう返した。やった、これで宿題もなんとかなりそうだ!
そう思いながら、私は、早速鞄に筆記用具と財布を詰め込んだ。

『じゃあ、迎えに行く。駅前に大きな時計があるから、着いたらそこで待ってて』

そう返信があったので、私は、それを確認してから家を出た。





目的の駅に降りて、改札を抜けた。三駅くらいの距離だから、先輩の家って思ったよりも近かったんだなと感想を漏らしながら視線を周りに向けると、本当に大きな時計が立っていた。

「あったあった、大きな時計」

先輩はまだ来ていないようだ。なので、その傍に立って待つことにした。
ふいに空を見上げる。どんよりとした灰色の景色が視界に映り、眉根を寄せた。
やけに空気が湿気ているとは思ったが、一雨来そうな天候だ。

「降らないでよ〜」

急いで出てきたので、傘を持ってきていなかった。鞄は撥水加工の効いたものなので、中身が濡れる心配はないだろうけど、自分はそうでもない。着替えもないので、濡れると困る。


「悪い、待たせた?」

ぼうっと空を見上げていると声を掛けられたので、視線を下げた。

「あ、久々知先輩。いいえ、来たばかりですからそんなに待ってませんよ」

慌てて首を横に振った。そんな私の反応に先輩は、ホッと安堵の息を吐いた後、こちらに視線を合わせてニコリと笑った。

「久しぶり」
「はい、お久しぶりです」

合宿以来だから、一週間振りくらいだろうか。
久々に見る顔に、懐かしささえ感じてしまう。一週間というのは、案外長い期間だったんだなと、今更に自覚した。

「じゃあ、行こうか」
「はい」

先輩に促されて、歩く。今日は、この間の花火大会のときと違って、歩幅を私に合わせてくれている。久々知先輩のこういうさり気ないところが、女子に人気のあるところなのかもしれない。

「……あ!」
「どうした?」

私の突然の声に、吃驚した顔で久々知先輩が視線を落としてきた。
私は、申し訳なさそうな表情を浮かべて見上げる。

「手土産を忘れてました」

他人様の御宅にお邪魔するのだから、何かしら手土産を持っていくべきだったのに、それすらもうっかり忘れていた。

「別になくても、いいよ」
「いいえ、ご両親への第一印象は、かなり大事だって教わりました!」

グッと拳を握って訴えると、久々知先輩は可笑しそうに目を細めた。

「それ、結婚の挨拶みたいだな」
「ええ!? 先輩をお嫁さんにくださいって言わなきゃいけないんですか!?」
「……俺が嫁側?」

今度は微苦笑を浮かべられた。また何かおかしなことを言ってしまったようだ。

「あの、本当にすみません」

だから、手土産のことも含めて謝罪の言葉を吐いた。

「本当に、気にしなくていいよ。それに、今日は誰もいないし」
「……へ?」
「だから、親いないし」
「ご不在ですか?」
「うん」

それは想定していなかった。
あ、そういえば、前に知らない人じゃなくても男と二人きりで部屋にいるなと利吉くんから忠告貰ったよね。
でも、今ここで用事を思い出したので帰りますっていったら、物凄く不自然だろう。しかも、ここまで迎えに来てもらっておいて帰るなんて酷い仕打ちだ。
それに、何よりここで帰ってしまえば、夏の宿題が終われない。これは、一大事だ。

(…………どうしよう)

脳内でそんな考え事をしていたら、ポタリと鼻の頭に何かが落ちてきた。
それを確認する前に、額や頭にも落ちてくる。

「わ、雨だ!」

認識すると同時に大粒の雨が自分を襲ってきた。

「とりあえず、家まで走ろう!」
「あ、はい!」

先輩に手を繋がれて引っ張られたので、私は従うがままに走った。





物凄く分かりやすいフラグ展開。
090114