楽しい勉強のじかん
「終わった!」
は、空欄の埋まった教材を見つめて、歓喜の声をあげた。
「良かったな」
「はい! 久々知先輩のお陰です!」
満面の笑みを浮かべてお礼を告げると、先輩は頬を緩ませて笑みを浮かべた。
「それくらい、私だって教えられるのに……」
「仕方ないだろ、僕たちはまだ自分の分の宿題が残ってるんだし」
ブツブツと文句を告げる三郎に、雷蔵が微苦笑を浮かべて宥めの言葉を吐いた。
「久々知先輩、お礼は何がいいですか?」
「お礼?」
「はい、手伝ってくれたお礼ですよ! 何でもいいですよ? あ、高いものは駄目ですからね!」
宿題が終わったのも、先輩のお陰だ。なのに何の礼もしないのは失礼だろう。
とはいっても、大金持ちでもないので私が出来る範囲は限られているけど、要は気持ちの問題だ。
「じゃあ、デート!」
「竹谷先輩には聞いてません!」
はーいと手を上げて嬉しそうに告げた先輩に、突っ込んでおいた。
竹谷先輩は、必死で自分の宿題をしていただけで、こっちに貢献なんて全くしていないのだから、彼にお礼する意味はない。
「あ、じゃあ、俺もそれで良いや」
「へ?」
久々知先輩は、頷いて竹谷先輩と同じことを告げた。
思わず、きょとんとした表情を浮かべて先輩を見つめてしまった。
「だから、デートでいいよ」
「……ええと、意味分かってます?」
一緒に出かけるって意味だ。しかも、私が相手。お礼にも何にもなっていないと思う。
別の物を要求しても文句言いませんよと返せば、これがいいと肯定の言葉を返された。
なので、私は渋々頷く。
「じゃあ、都合の良い日が出来たらメールください」
「うん」
先輩は嬉しそうに頷いたけど、やっぱり、割に合わないお礼だと思う。
先輩って、そんなに物欲ないのかな?
「ちょっと、待て」
「鉢屋先輩? どうかしたんですか?」
「なんで、デートなんだよ」
「なんでって、お礼ですから」
半眼状態の鉢屋先輩に、私は訝しげな表情を浮かべて言葉を発した。
「おとーさんは、断じて許しません!!」
「三郎って名前の父親を持った覚えもありません!」
勢いでそう返したのだが、なんでか先輩は驚いた表情を浮かべていた。
何か変なこと言っただろうかと首を傾げる。
「さっきの台詞、もう一回言ってくれないか?」
「はい?」
「だから、さっきの台詞」
「三郎って名前の父親を持った覚えもありません?」
なぜ、同じ台詞を言わせるのだろう。先輩の思考はやはり分からない。
けど、先輩は少し機嫌がよくなったようだ。
なぜ、先ほどの台詞で機嫌よくなれるのか全く分からない。本気で先輩は謎な人だ。
「三郎ズルイぞ」
すると、今度は久々知先輩が不機嫌な表情を浮かべた。なぜ!?
さっきまで物凄く機嫌がよかったじゃないですか。
「へっへーん、悔しかったら自分で呼ばせろ!」
ベーと舌を出した鉢屋先輩に、久々知先輩は、こんにゃろうと小さく呟いたのが聞こえた。
私からすれば、二人のやり取りすら意味不明です。何処かから発された電波でも拾ってきているのだろうか。
もういいや。とりあえず、ジュースでも飲もう。
ストローを口に差し込んで、じゅるじゅると飲む。課題が終わった後のジュースは格別に上手い!
竹谷先輩も不破先輩も、二人の事を放置する事に決めたのか、机に向かって課題を進めている。
どんな課題をしているのだろうと思い、コップを置いて不破先輩の隣まで寄り覗き込んだ。
未知数の単語がたくさん並んでいて、眩暈がした。
「来年こんなのやるんですか?」
無理です。脳みそが既に受付を拒否しております。
「わっ」
許可なく覗き込んだのがいけなかったのか、集中しているところに声をかけたのが悪かったのか、不破先輩が吃驚した声をあげた。
「あ、すみません」
「ううん、平気だけど……ええと、あんまりくっつかない方が、いいよ?」
視線を少しずらしながら、不破先輩は、頬を染めて告げた。
ああ、傍にいるせいで暑いのだろう。残暑とはいえ、まだ気温は高い。雨が降ってるせいで、室内も少し蒸し暑く感じられるほどだ。
「じゃあ、、俺ん所においで〜」
すると、竹谷先輩から手招きされた。向かおうかと思ったら、不破先輩に止められた。今の八左ヱ門には近寄らない方がいいよ、とのことだ。なんのこっちゃいなと思いながらも、先輩の助言だ、素直に従っておくことにした。となるとすることもなくなったので、課題の終わってそうな人に声をかけよう。
「久々知先輩、あーそびーましょー」
ものすごい棒読みで言ったのだが、先輩は嬉しそうに振り返った。
あ、なんか、近所の犬を思い出した。ごめんなさい久々知先輩。
「よし、遊んでやろう!」
「鉢屋先輩は、宿題終わってないじゃないですか」
「終わった!」
「三郎、嘘はよくないよ」
立ち上がった鉢屋先輩の服の裾を掴んで、不破先輩が指摘した。すると、鉢屋先輩が空気を読めと怒っていたけど、空気を読めていないのは、鉢屋先輩のほうだ。
「遊びたいなら、早く課題を終わらせたらいいだろ?」
久々知先輩が、尤もらしいことを言った。なので、私も頷いておく。
すると、先輩は、ドカリと座った。
「後で覚えてろよー!」
それ、雑魚敵のお決まり台詞ですよ。
◇
「あっ、先輩、そこはだめです!」
「嫌だ」
「や、だめったら、だめです! あっ、まって」
「待たない」
「っ、せんぱいの、いじわるっ!」
「お前らわざとやってるだろ!?」
ドンと机に手を付いて竹谷先輩が怒鳴ったので、私たち二人は顔を上げてそちらを向いた。
「わざと?」
「なにをですか?」
その意味が分からず二人で首を傾げて問いかけると、竹谷先輩が両手で頭をかいた。不破先輩も少し顔を赤らめて、苦笑いしている。反対に、鉢屋先輩はニヤニヤしていた。すごく嫌な笑顔だ。
「とりあえず、俺の勝ち」
「うぅ、また負けた」
視線を落として、そこに並んでいる白と黒の駒を見つめて、がっくりと肩を落とした。
暇なので私たちは、オセロをやっていたのだ。
しかし、盤上は見事に白で埋め尽くされている。不愉快なほど白い。
「って弱いんだな」
「先輩が強すぎるんです!」
この笑顔が物凄く憎たらしい。先輩は楽しいのかもしれないけど、さっきから連敗続きの私としてはちっとも嬉しくない。
プクリと頬を膨らませて睨みつけても全く効果がなく、先輩はニコニコと笑っていた。
「さんは、相手に角を取らせちゃうから駄目なんだよ?」
「え?」
かけられた声に顔を上げると、いつの間にか不破先輩がいた。目が合うと笑みを浮かべられた。
「雷蔵、課題終わったのか?」
「うん、だから、ちょっと見学してようかなって思って。それで、さん、今度は、この四隅を取られないようにしていくといいよ」
オセロ盤の角を指差しながら指摘してくれたので、私は、そのアドバイスになるほどと相槌を打った。その直後に久々知先輩が眉根を寄せたのが見えた。
「あ、久々知先輩、知ってて黙ってましたね!?」
「だって、勝負だし、言ったら面白くないから」
「連敗の私は毎回、面白くありませんでしたー!」
きーっとヒステリックに告げると、久々知先輩は、の百面相が面白かったのにと呟いた。
こっちはちっとも面白くない。実は久々知先輩は隠れSなんじゃないだろうか。頭脳ゲームが苦手な後輩をコテンパンにするなんて酷すぎる。今度、先輩の目の前で高級豆腐を一人で食べてやるんだから!
そんなことを思いながら、私は不破先輩へと顔を向けた。それに気づいた先輩は、首を傾げて用件を告げられるのを待っていた。
「その点、不破先輩は優しいから好きですよ〜」
にへらと笑って告げると、先輩は、そのまま固まった。ピシリと音が聞こえそうなほどに、ガチガチに。と思えば、見る間に顔がトマトのように赤く染まっていった。
うおお? どうした? そんなに暑い?
「あーあ、、地雷踏んだ」
「えっ!?」
何か言ってはいけない言葉を吐いてしまったのですか!?
「不破先輩、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
近くによって声をかけると、フリーズしていた先輩がやっと動いた。
しかし、自分の顔を手で押さえて、こちらに背を向けた。
「だ、大丈夫! だから、こっち、見ないで!」
僕いま絶対変な顔してる〜っ! と呟いているのが聞こえる。
見るなと言われたので、顔を覗くのは止めたが、先輩は、何か可笑しな発作でもあるのだろうか。そのスイッチを押してしまったのは、正直申し訳ない。今度から、発言には気をつけないといけないな。
後で、久々知先輩に禁止ワード表でも作ってもらおうかな。
私は、不破先輩の背中を見つめながら、そんなことを考えていた。