雨上がり、夏の終わり
「ご迷惑をおかけしました」
いつの間にか眠ってしまった私は、日が暮れかけた頃に目を覚ました。
顔を上げれば四人の顔が近くにあってギョッとしたが、寝る前に何をしていたのか思い出して、私は、姿勢を正すと目の前の先輩たちに謝罪の言葉を吐いたのだ。
他人の家で遠慮なく眠ってしまった自分の神経を疑いたい。
「よく眠ってたね」
「はい。このクッション、なんだか気持ちよくて」
えへへと誤魔化し笑いを浮かべると、不破先輩は、穏やかな笑みを浮かべ返してくれた。呆れられているわけではないようだ。
「、涎付いてる」
「え、嘘!」
鉢屋先輩の指摘に慌てて手で口元を拭った。
先輩たちの前に涎を垂らして眠っていたなんて、恥ずかしいにも程がある。
「ウ・ソ☆」
「はーちーやー先輩?」
ギロッと睨みつけたけれども、先輩は何処吹く風で全く反省の色が見えない。
先輩は本当に人をからかうのが好きな人だ。もう、やめて欲しいな。
「あ、もう帰らなきゃ」
ふと視界の端に映った時計を見て、そう呟いた。
それほど遠い距離ではないけれども、夕飯は家で食べると告げていたので、そろそろ帰らないと夕飯に間に合わない。
「ご飯、食べていかないのか?」
「すみません、家で食べるって言ったので」
至極残念そうに告げた久々知先輩に一言謝ってから立ち上がろうとしたけれども、足元にある何かに気づいて、視線を落とした。タオルケットが被せられていた。先輩が持って来てくれたのだろうか。それを手にとって、畳んで置いてから立ち上がった。
「今日は、本当にありがとうございました」
「駅まで送ってく」
「えっ、そこまでして貰わなくても、結構ですよ!」
それじゃあ、久々知先輩が往復する事になってしまうので、手間だ。慌てて首を横に振るけれども、先輩は、頷いてくれない。
「道、覚えてる?」
「あ」
言われて、気が付いた。行きがけは雨が降ってきて、慌ててここまでやってきたので、景色なんて碌に見ていない。もちろん、道を覚える暇もなかった。
すると、先輩が、笑みを浮かべて送っていくと告げられたので、仕方なくこちらが折れることにした。どちらにせよ、送ってもらわないと迷子になるのが必須だったからだ。
「それなら私が送っていく!」
すると、それを傍観していた鉢屋先輩が、声を発した。
「え、鉢屋先輩が!?」
まさかの発言に吃驚した顔で先輩の顔を窺うと、物凄く不機嫌そうな顔に変わった。
「私が送るのは、不満か?」
「い、いいえ」
しかし、こういう面倒ごとは倦厭しそうな先輩だからこそ、その発言は、ものすっごく意外だった。
「じゃあ、俺! 俺が送る!」
はーいと元気よく手を上げたのは、竹谷先輩だ。この先輩はいついかなる時も元気だ。
「え、と、ぼ、僕も、送りたい、かな?」
それとは反対に、照れくさそうに手を上げたのは不破先輩だった。考えてみれば、不破先輩の動作はいつも乙女チックだ。その乙女具合を少しでいいからこちらに分けてくれないだろうか。本当に見習いたい。
「ここは、家主が送っていくのがマナーだと思うんだけど?」
「兵助は美味しい思いしたから却下!」
「何で?」
「俺なんか、今日ほとんどと関わってないんだぞ! 譲れ!」
「それなら、私もそうだろう!?」
急に口論が始まってしまった。でも、早く帰らないと電車に乗り遅れてしまいそうなんだけどなぁ。
「あ、あの、道さえ教えてくれれば、一人で帰れますから」
「「「「駄目!」」」」
無理でした。でも、早く帰りたい。温かいご飯が我が家で待っているのです。
「埒が明かない! ジャンケンで勝負しよう!」
「誰が勝ってもも文句なし、だからね!」
今度は、ジャンケン大会が開催されました。とりあえず、収拾は付きそうなので、良かった。
◇
「お邪魔しました!」
玄関口でペコリと一礼した。送ってくれる人も決まり、無事に帰路につくことができそうだ。
「八左ヱ門。変なことしたら、ただじゃおかないからな」
鉢屋先輩がギロリと私の横に並んで嬉しそうに笑っている竹谷先輩に忠告らしい言葉を吐いていた。
変なこと? 買い食いかな?
「じゃ、、行くぞ」
「はーい。じゃあ、先輩たち、さようなら」
ペコリと一礼して、先に出て行った竹谷先輩を追いかける為に、背を向けた。
「雨止んで良かったですね」
まだどんよりとした空模様だが、雨は上がったようだ。草木や道路が濡れて、湿気た臭いが辺りを包んでいる。私がそう告げると、竹谷先輩は嬉しそうに笑った。
「そうだな、傘差したままだと、の顔がよく見えねぇしな」
竹谷先輩は、人の顔を見て会話をするのが好きな人なのだろうか。目を見て話せとか、言いそうだもんね。
なので、私は顔を上げて先輩を見つめたまま笑みを浮かべた。だが、何故かふいっと視線を逸らされた。
あれ? どうしたんだろう? 先輩の頬が少し赤く染まっている。雨降った後だから、それほど暑くないとは思うんだけど。
「うーあー、やっべぇ」
何やらブツブツ呟いているけど、何がやばいのだろう。ハッ、もしかして、迷子になっちゃいましたか!? それは、困ります。電車に乗り遅れます!
「なあ、」
「は、はい」
やっぱり、そうですか、迷子なんですね!?
「抱きしめていいか!?」
「……は?」
え? なんで? 迷子になったんじゃないんですか?
なら、何故、抱きつく話になるのだろうか。さっぱり、分からない。
「だ、だから、抱きしめていいかって、聞いてるんだ」
「嫌です」
頬を染めてる告げる先輩に、私は、その一言で一刀両断した。
途端に、先輩はがっくりと肩を落とした。
だからって、良いですと言える訳がない。ここは外だし、そもそも、なぜここで抱きつかれなければならないのか。あ、でもさっきも先輩抱きついてきたっけ。竹谷先輩は人に抱きつくのが好きなのだろうか。
んー、でも、私たちは兄妹じゃない。それに幼稚園児みたいな幼い子どもでもない。背が大きくないからって抱きしめていいって問題じゃないんだ!
「だよな、そうだよな……ははっ」
「…………手を繋ぐくらいなら、いいですよ?」
あまりにも落ち込むものだから、なんだかこっちが悪い事をした気分になってしまう。
それに、手を繋ぐのは、以前もしたことがあるからまだ抵抗は薄い。
「本当か!?」
「は、はい」
すると、ガバリと顔を上げて満面の笑みで聞いてきた。圧倒されながらもなんとか肯定の返事をした。
「よっしゃーー!」
途端に、竹谷先輩の元気が戻ってきた。ガッツポーズまでしている。そんなに嬉しいのだろうか。
やっぱり、竹谷先輩もよく分からない人だ。
[残暑編END]
[夏編・終]