呼び出しと金槌と先輩
「なにこれ?」
いつものように登校して上履きに履き替えようと蓋を開けたら、なにやら手紙が入っていた。
無地の薄いピンク色のそれを手にとって見ると表には何も書かれていない。しかし、私の下駄箱に入っていたのだから私宛なのだろう。
誰からだろうと思いながら裏を返したが、そこに名前は書かれていなかった。
不思議に思いながらも、破らないように封を開けて中の便箋を取り出した。
そして、四つ折にされてあるそれを開いて中の文字に目を通す。
『放課後、裏庭でお待ちしております』
そのたった一言だけだ。名前すらもない。
これは、一体、どういうつもりなのだろうか。
「まさか、果たし状?」
今まで穏便に過ごしてきた自分が、なぜ、そんな物騒なものを貰わなければならないのだろうか。自分は、格闘家でもない。誰かに喧嘩を売った覚えもない。もしかして、知らぬうちに売ってしまったのだろうか。どちらにせよ呼び出しに変わりはない。
行きたくない。それが、第一の感想だった。けど、こういうものは、行かないと余計に悪化していくものだと相場が決まっている。行っても良い事など何もないのも分かっているけど、もしかしたら、穏便に済ませられるかもしれない……という、淡い期待を抱きながら、私はそれを鞄に押し込むと靴を履き替えて教室へと向かった。
◇
そして、私の気持ちなど無視して時間は過ぎていく。もう放課後だ。手紙にあった呼び出し時間が来てしまった。気乗りはしないが行くしかない。重い足取りで私は、裏庭へと足を向けた。
裏庭は、建物に遮られて日が当たらないせいか、昼間なのに少し薄暗く感じられた。校門とは正反対の場所にあるので、もちろん人の気配すらもない。
けど、今日はそこに人がいた。多分、その人が私を呼び出した人物なのだろう。遠めに見える限りでは、一人だ。実は、茂みに伏兵がいて近づいた途端に襲われるなんて卑怯な事はしてこないだろうか。念のために、ポケットに携帯電話を忍び込ませておいた。これで、いざというとき助けを呼べる。
(よっし、行くぞ!)
いつまでも立ち止まっているわけにも行かないので、私は覚悟を決めて、その人物へと近づいていった。
「あの」
私は、その人物の前に立ち、背を向けている相手に声をかけた。
遠目では分からなかったが、その人は男だった。深緑のジャージを身に纏っているので、三年生だ。
「……あ?」
その人は、私の呼びかけに顔を上げた。
(ヒィィィ!!)
睨まれた。しかも、相手の手には金槌があったのだ。
一人だと油断していたが、まさか相手が武器を所持しているなど予想もしなかった。
(ど、どうしよう!?)
今すぐ、ここから逃げた方がいいだろうか。でも、相手の用件も聞かずに逃げるわけにも行かない。
「何だ?」
「わ、私に何か恨みでもあるんですか!?」
「は?」
しまった、質問が直球過ぎた!
でも、金槌を持った状態で待ち伏せされてたら、恨み辛みがあるとしか思えないじゃないか。
「は、話は聞きますから、その金槌で殴るのだけは、や、止めてくださいッ!」
「…………」
私がそう懇願すると、相手は黙ったまま答えを発してこなかった。
え、これって交渉決裂ですか?
恐る恐る相手の顔を窺うと、相手が怪訝そうにこちらを見下ろしていた。
「アンタ、一体なんの用だ?」
「え!? 呼び出したのはそっちじゃないですか!」
シラを切らないでください! そう叫んで、今朝貰った手紙を相手に突きつけた。
彼は、その便箋を受け取りジロジロと見た後で眉根を顰める。
「これ、俺の字じゃないし、そもそも、手紙なんて出した覚えもねぇ」
「…………へ?」
今度は私が驚く番だった。
ここは裏庭で、呼び出した本人だからここにいるはずで、それで、私に恨みがあって金槌もってるんだよね。
「俺は、先生に頼まれた柵を直してただけだ」
その心の疑問が顔に出ていたのかもしれない。相手は、トンと足元にある柵に手を置いた。視線を向けると、確かにそこには真新しい柵が見える。
すると、もしかして、人違い?
「あ、はは、すみません」
苦い笑みを浮かべて、そう告げると、相手は呆れたような表情を浮かべた。
文句の言葉も出ません。ガックリとうなだれる。
「じゃあ、私を呼び出した人は一体どこに……?」
ここには目の前の先輩しかいない。
もしかして、悪戯だったのだろうか。はた迷惑な悪戯だ。私に何の恨みがあると言うのだ!
「あ、あの……先輩、ですよね」
憤慨していると、背後からか細い声が聞こえてきた。
振り返ると、後ろで申し訳なさそうな表情を浮かべた女の子が立っていた。
「はい、私がだけど?」
「遅れて、すみません。HRが長引いてしまって」
「それは構わないけど……え? もしかして、呼び出したのって貴女?」
私が恐る恐る尋ねると、相手は恥ずかしそうにコクリと頷いた。
なんということだ。こんな可愛らしい子に、恨まれるようなことしてしまったのだろうか!?
いや、でも、こんな子一回も見たことないし、そもそも中等部に仲の良い女友達はいない。
「用事って、何かな?」
出来るだけ平静を装いながら、怯えさせない様に優しい声で尋ねた。
すると、彼女は益々恥ずかしそうに顔を俯かせながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「先輩は……三反田君と仲が、いいんですよね?」
三反田? はて、それは誰だろうか。つい最近、色んな名前を覚える事が増えたせいで、全員の名前を頭に入れきれたかどうかの自信もない。
三反田、三反田、さんたんだ、さんた、って噛みそうな名前だよ…………あ!
「保健委員の数馬君のこと?」
思い出した。苗字がややこしいからって、下の名前で覚えちゃったせいで、うっかり苗字を忘れてしまっていた。悪い事をしたなぁ。
私が訪ねると、彼女はコクリと頷いた。
しかし、彼と仲良しになった覚えはない。自己紹介を交わした以降は一度だけ水遣り当番が一緒になって軽く話をしたくらいの仲だ。
それで仲良しだというなら、私は、保健委員全員と仲良しという事になってしまう。
「私、数馬君と同じクラスなんですけど、先日、教室で数馬君が、嬉しそうに先輩の事を話しているのを耳にしてしまって……どんな人かなって気になって」
数馬君や。一体、どんな話をしてたんだい。
むしろ、2回しか会っていないのに私の話題が出ること自体が凄いんですけど。あと、その内容が物凄く気になるんですけど。
「とりあえず、私なんか見ても何の得にも参考にもならないと思うけど?」
何故にこの子も、そんなことでわざわざ呼び出してまで私を見学に来たのだろうか。分からない事だらけだ。
「……えっと」
相手は、戸惑った様子で言葉に詰まったようだ。もしかして、私はまたなにやら禁句を言ってしまったのだろうか。
「だー、見てらんねぇ!」
「!?」
いきなり背後から声が聞こえてきて、ビクリと肩を震わせた。
振り向くと、先ほどの先輩がまだそこにいた。あ、まだ修理中だったのかもしれない。だとすれば、場所を移せばよかった。
「お前は、この子の気持ちを汲んでやれよ!」
「はぁ、気持ちですか?」
どこから汲めばいいのですか。私はバケツなんぞ持っておりません。そもそも、初めから意味不明なので、よく分かりません。
きょとんとした表情を浮かべている私に、先輩は、また呆れた顔を浮かべて、今度は女の子のほうに視線を向けた。
「三反田って、保健委員だろ?」
「は、はいっ」
先輩、その子怖がってるんで、睨まないであげてください。可哀想ですよ。
「伊作の後輩だから、話したことはある」
「……伊作?」
ちょっと待って。伊作って、物凄く聞き覚えのある名前だ。
しかも、数馬君の先輩保健委員って、あの人しかいないじゃないか。
「先輩って、善法寺先輩のお友達ですか?」
「ああ、クラスメイトだ」
おお、意外なところで意外な繋がりの人と出会ってしまった。
「ともかく、俺とこいつで協力してやるよ」
「……へ?」
一体、何の協力?
キョトンした表情を浮かべていると、女の子は安心した表情を浮かべてお礼を告げた。
え、何、何なの? 脳みそが理解する前に、その子は一礼してその場を去ってしまった。
残されたのは、善法寺先輩のお友達だというこの先輩と私の二人だけだ。
「あのー、協力って何するんですか?」
「はぁ!? お前はまだ気づいてねぇのかよ!?」
「はぁ、ちっともさっぱり、ちんぷんかんぷんです」
ちょっとムッとしたけど、分からないものは分からない。だから、素直にそう告げた。
「しっかたねぇな、俺とお前であの子の恋を応援してやるんだよ」
「なるほど、恋の応援ですか…………はぁ!?」
今度は私が驚く番だった。