矢庭に湧き上がった感情


最近、忙しい。新学期が始まり、10月に引退する三年生との引継ぎや何やらで慌しいせいもあるのだろう。

(……約束、忘れてないといいけどな)

夏休みに彼女と交わしたデートの約束は、まだ履行されていない。
何処に行こうかと考えていたせいもあるけれども、スケジュールの空きが重ならないせいで、余計にズルズルと延びてしまっているのだ。
彼女の事だ。うっかり忘れてしまっている可能性のほうが高い。それは悲しいけど、こちらが忘れていなければ彼女も思い出してくれるだろう。どちらにせよ、早く予定を立てて遊びに行きたいという気持ちに変わりはなかった。



「水浴びてくる」
「は?」

九月に入ったとはいえ、まだ暑い。体育館の中は、サウナ状態だった。
パタパタと胸元に風を送っても、生温いものしか来ない。

水でも浴びてすっきりしてこようと思い八左ヱ門にそう告げると、相手は驚いた顔を浮かべた。

「だって、暑いし」
「いや、暑いのは分かってるけど、風邪引くぞ?」
「直ぐ乾くだろ?」
「まぁ、いいけど。それなら、タオル持っていけ」
「サンキュー」

俺は八左ヱ門が差し出したタオルを手にして、体育館から出た。
出た途端照り付ける日差しに目を細めながらも、目的の水場へと足を進めた。


(……あれ?)

けれども、その途中で見覚えのある顔を見かけて、俺は足を止めた。

だ! 久しぶりに見たその顔に、暑さなど吹っ飛ぶほどに嬉しさがこみ上げてきた。しかも、彼女の制服姿は初めてみる。とても新鮮で嬉しくなった。これは、またとない幸運だ。俺は、手を上げて声を掛けようとした。

けど、その横に誰かいることに気づいて、動きを止めた。
その人物にどことなく見覚えがあった。予算会議で顔を合わせたことのある用具委員長だ。話をしているという事は、彼女の知り合いなのだろう。
けど、なんだか、面白くない。

内容は聞こえてこないけれども、物凄く楽しそうに見える。
居た堪れなくて踵を返そうと思っているのに、足が地面に縫い付けられたみたいに動かなかった。

そのまま見ていると、先輩が彼女の頭を撫で始めた。それに彼女も吃驚したようだが、直ぐに笑みに変わった。

(……!)

これ以上見ていられなくて、俺は踵を返した。先ほどまで動かなかったはずなのに、簡単に足が動いた。
体が熱い。握り締めた手が震える。なんだ、これは。なんなんだ。叫んでしまいたい衝動と何ともいえない胸の痛みが、体を駆け巡る。


もしかして、日に中てられたのだろうか。それで、こんなにおかしな気持ちになっているのだろうか。

それを振り払うかのように、俺は、走り出した。





久々知微自覚編
091021